第30話 ボーイ・ミーツ・クイーン

 王城の庭園には美しくカットされた木々と花々が整然と並ぶ。二人の小さな女の子が芝生に座り込んで、花で王冠を編んだり駆けっこしたりして仲良く遊んでいた。侍従と侍女達がそれを微笑ましく見つめる。


「エリザベート妃のことは残念でしたが、シャーロット殿下は本当にご健康で」


 侍女の一人がハンカチで涙を拭う。彼女はシャーロットの乳母で、メグの実母である。シャーロットの母であるエリザベートは、その出産時に命を落とした。享年十六歳。彼女は亜麻色の美しいダークブロンドヘアに翡翠色の瞳をしていたが、それは娘のシャーロットにそのまま受け継がれた。


「これはこれは、シャーロット殿下。ますますお美しくなられて花の妖精のようですね」


 庭園に息子のヨハンを連れて現れたリンタール侯爵は、片膝をついてうやうやしくシャーロットに挨拶をした。それから立ち上がると、侍従の一人に「会議の間、ヨハンを見ていてほしい」と頼む。


 彼には、比較的年齢の近い次男のヨハンに、シャーロットと懇意になってほしいという魂胆があった。次期王太子のヘンリー王子は、この第五王女のシャーロットを溺愛しているという。取り入るなら、ここからだと彼は思っていた。しばし、幼子三人が仲良く遊んでいるのを確認してから、リンタール侯爵はその場を離れた。


 しかしながら、父親がいなくなるとヨハンは、あからさまにシャーロットとメグに嫌な顔をした。当たり前ながら二歳下の女の子達と遊んでも、彼はちっとも楽しくない。そこで、ちょっとしたイタズラ心で、植木の間にいたカエルを捕まえると、シャーロットの頭の上に乗せた。


 花の冠か何かだと思ったシャーロットは頭の上のそれを触る。


 ヌメ……。


 変な感触がする。シャーロットに触られたそれは驚いたのか、ピョンと彼女の頭の上から跳ねて降りると、目の前に鎮座してゲコゲコと鳴いた。


 十秒ほどの間が空いてから、シャーロットの泣き声が盛大に響き渡る。侍従も侍女もビックリして、何事かとてんやわんやの大騒ぎになった。だから、誰も彼に気がつかなかった。正確には、突然能力を発動させて疾走し始めた息子を必死に追いかけている彼の父親以外は、誰も気が付いてなかった。


 シャーロットの目の前を金色の光の線が通り過ぎる。それがあまりにも一瞬でキレイだったため彼女は息をのみ泣き止んだ。そして、次の瞬間、彼女を泣かした狼藉者の顔面に正義の鉄槌が下った。



「グラム・パァァァアアンンチ!!!」



 ヨハンは庭園をゴロゴロと殴られた勢いで、どこまでも転がっていく。


「お前、なんつーことをッ!!!」


 正義のヒーローの活躍を止めることができなかったハロルドは、現場に到着すると頭を抱えて悲痛な声を上げた。


(ちょっとマジで相手の子供、どの子、誰!?)


 転がっていたヨハンは植木に突っ込んで止まると、鼻血を出したまま茫然自失といった顔で固まっていた。


(ゲ……リンタールのクソガキ)


 侍従と侍女達も呆気に取られて、周りを囲んではいても誰一人動けずにいる。ハロルドはグラムの首根っこを掴むと、とにかくシャーロットの近くから引き離す。


「このバカッ!」


 それから、グラムの頭にゲンコツを落とそうと拳を振り上げた。



「ダメッ!!」



 その声でハロルドは拳を止める。声の主を見やると、先ほどまでワンワン泣いていたせいで目を真っ赤にしたシャーロットがジッと彼を見つめている。そして、ヨハンを殴ったグラムの手を取ると、シャーロットはそれを撫でた。


「あなた、おなまえは?」


 鈴が転がるような可愛い声がグラムの耳を震わせる。グラムの顔はみるみる赤くなった。


「……グラム……です」


 シャーロットは花のような笑顔を彼に向ける。


「まもってくれて、ありがとう。グラム」


 ハロルドは、完全に彼女に恋してしまった息子の様子に溜め息をつく。


 このそこそこな大事件は、最初こそ怒り心頭だったリンタール侯爵もヨハンのイタズラが原因だとわかると、急に内々で処理してほしいと言ってきたので、ハロルドもグラムもお咎めはなかった。


 ちなみにグラムの噂を聞いたヘンリー王子がこの後「シャルの遊び相手兼護衛に」とグラムの王城滞在を許したので、シャーロットとメグとグラムはこの事件以降、一緒に育つことになる。


 何はともあれ、失業の危機は去り、ハロルドはホッとしたのだった。



◇◇◇



 プハッとグラムは液状化した魔鉱石の海から顔を出した。


 竜の身体に顕現することで損なわれてしまった体内の魔素を再充填している間、シャーロットに初めて出会った時の夢を見ていた。


 ファーヴニルはすべての未来を知っているくせに何も教えてはくれない。時々、シャーロットに取り返しのつかないことが起きる時だけ知らせてくれる。彼女が王城を抜け出した時や工房での魔鉱石の混入事件の時のように。


 だから、今回の呪いの矢は一瞬こそ血の気が引いたが、「これは起きなければいけないエピソードなのだ」ということを理解できたら冷静になれた。ファーヴニルもグラムも、シャーロットを守るということだけは決して変わらない。


 魔鉱石の海から腕を出して、グラムはそこから這い出す。グラムが身体を全て引き上げると、ファーヴニルの躯の魔鉱石は再び固体となって固まった。



◇◇◇



 ガタン。動いた椅子が鳴る。


「マリガンさん、背低いから立ったままだと、キスしづらい」


 そう言って向かい合ったマリガンの腰と太ももを抱えて、抱っこするような恰好でハロルドは彼女を持ち上げた。


「ちょっと……グラムそろそろ帰ってくるかもしれないし……」


 自分の上に跨がせてからベッドに座ったハロルドは彼女の制止を聞かずに服を脱がそうとする。


「だからこそ早くしないと!」


 いつもはふざけてばかりなのに、こういう時だけは真剣な顔をする夫にマリガンは呆れる。だが、久しぶりにハロルドの匂いを嗅いでしまうと、彼女も形ばかりの抵抗しかできなかった。



 シャーロットとガルバを伴って一旦王城に戻り、とりあえずの指示を出した後でマリガンの家に戻ってきたハロルドは、すっかり冷えてしまった料理を魔導道具ソーサリーアイテムでマリガンが温め直してくれたので、久しぶりに妻と一緒に夕食をとった。というわけで、ちょっと燃え上がっていたわけだが……。



 ガチャリ。


「ただいま」


 グラムが扉を開けると、半裸の母親の背中とその母親の胸に顔を埋めているであろう父親の姿が目に入る。



「息子が帰ってる時くらい控えろよ、そういうの……」



 ファーヴニル山に気まずい雰囲気が立ち込め、夜はさらに更けていくのだった。

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