第26話 邪竜の終活

―― 約五三〇年前。


「おいおいおい。なんだよ、これ。話に聞いてたのと全然違うじゃん」


 聖職者であることを示すローブを着ていなかったら、彼の職業が司祭であることなど誰からも信じてもらえなさそうな見るからに俗世にまみれた男が驚きの声をあげた。男の名は、インエルマ。特に神を信じていないが、食いっぱぐれがないのと、口から出まかせ言っていても怒られないからと司祭になったような「テキトー男」だ。



 邪竜ファーヴニルがいるという洞窟の奥深くで、その討伐を命じられた勇者シグルドと魔導士マリガン、そして司祭インエルマの三人は予想外の「邪竜」の本当の姿に困惑していた。


 洞窟の奥には底が見えないほど深く巨大な洞穴が空いており、そこには紫色に揺らめく黒炎が底から這いあがってきている。洞穴の淵に屈みこんで、マリガンはお手製の解析ゴーグルを付けると、穴の中を覗き込んだ。


 解析ゴーグルで可視するのに問題となっている成分を除くと、黒炎の中に赤子のようにうずくまっている小さな竜の姿が見えた。続いて対象までの距離を測ると、この洞穴は底まで数百メートルはあるようだった。


「何かの原因で自分の力に耐えられずに崩壊したみたいだね。自我残ってるのか、怪しいかも」


 マリガンがゴーグルを取ると、白銀の髪が揺れる。


「たぶん洞穴のどこかでマグマ溜まりにつながってるせいで、魔素が流れ込んで天変地異が起きてるんだと思う。この分だとプレート上にも大量に流れ出てるんじゃないかな」


 ここ百年、世界各地で魔獣と呼ばれるモンスター達が大量に発生し、人の住む地を荒らし、そして人々を襲った。また、魔法使いと呼ばれる物理法則と人の心を意のままに捻じ曲げる者たちのせいで、世界は混とんと化している。年々、気候変動も激しくなってきており、飢饉も多発し酷いありさまだった。


 マリガンの見立てではこれらの現象は、邪竜ファーヴニルの大量の魔素エネルギーが急激なスピードで大地に流れ込んでいるためだろうということだった。また、マグマ溜まりを通じて地殻からエネルギーの補給もしているようで、このままでは永久機関のように大量の魔素エネルギーを作り出して垂れ流し続けてしまう。


「え? じゃあ、どうすんの? 倒しておしまいって方向で、ここまで旅してきたのに」


 テキトー男こと、インエルマは自分で何か策を考えるでもなく、まるでマリガンの失態かのような発言をする。いつものことだが、イラっとすることには変わりがないので、マリガンは腕を組んで眉間にシワを寄せると彼を睨んだ。


「とにかく、俺、下に降りるわ。マリガン、準備して」


 二人の険悪な空気など気にしていないかのようにシグルドは、マリガンに話しかけた。


「はぁ? 君は死ぬ気なのか? バカなのか?」


 マリガンの批判の声など聞こえていないかのように、シグルドは武器や防具を外して降下の準備を始めている。シグルドがこうと決めたらテコでも動かない頑固男なことを嫌というほど思い知っているマリガンは仕方なく、必要な道具を鞄から取り出し始めた。


「インエルマさん、報告お願いしますよ。領主さまと教会にちゃんと条件守らせてくださいね」


 シグルドはこの討伐命令に際して、己が死亡した場合でも故郷に残してきた妻子と妹には十分な報酬を支払ってもらう旨の約束をしていた。インエルマは教会が派遣した監視役だった。長い旅路の中で仲間として彼とも手を取り合ってきたが、それでもシグルドの領主と教会への不信感はぬぐえない。


 インエルマは俯いて「んなこと、わかってるよ」と小声で返事した。それを聞いてシグルドは眉を下げて苦笑いする。


 マリガンから通信用の魔導道具ソーサリーアイテムを受け取ると耳にはめ込む。両腕には防御シールドのバングル。両足首には重力操作のアンクルを装着した。


「自我が残ってるようならサルベージできるか試すから、再生の記憶装置オシリス・ストレージも」


 言われるがまま再生の記憶装置オシリス・ストレージを鞄から取り出したが、マリガンは自分の命を粗末にするこの男にイライラして、手渡す際に怒りで瞳から涙がこぼれた。


「……君は大バカ者だ」


 シグルドが親指の腹でマリガンの頬を伝う涙を拭ってやると、その行為にマリガンが思わず彼の胸に頭を埋めた。今まで郷里に残してきた妻のことを思い、マリガンの好意に応えることはなかったが、さすがに今日は彼女の頭を撫でて「ごめんな」と呟く。


 ひとしきりの別れの言葉を残すと、彼は奈落の底に降りていき、


――――そして、帰っては来なかった。



◇◇◇



「どうした? ファヴさん。今日は機嫌がいいじゃないか」


 森林の中、切り株のテーブルと椅子で、優雅にティータイムを楽しんでいたマリガンは、テーブルに置かれた鳥かごの中で揺らめく黒炎に声をかけた。


<我の力もだいぶ消えた。あともって百年というところだろう>


 ファヴさんと呼ばれた黒炎は、そう答える。黒炎は邪竜ファーヴニルの魂だった。



 あの時、シグルドが洞穴の底でファーヴニルの自我を救いだしたことで、暴れ回るような魔素エネルギーの急激な垂れ流しは止まった。エネルギー供給が止まったため魔獣は息絶え、魔法使いたちも力を失った。


 それから五百年かけて、魔素エネルギーをゆっくりと魔鉱石へと変化させ、どうしても大地へと流入してしまう分については龍脈レイラインへと流すことで世界への影響を最小限に留める。地殻からのエネルギー補給も邪竜自らの意思で控えているので、あとはその力がなくなるのを待つばかりだった。


 最近では、龍脈レイラインに仕方なく流していた量もめっきり減ったため、先祖返りアタヴィスモスの数も減少している。



<マリガンよ。お前、我を人間にすることはできないか?>


 藪から棒な邪竜からの提案にマリガンは思わず、お茶を吹き出す。


「何を言い出すんだい。君が人間になりたがってたなんて、この五百年で初めて聞いたよ」


<夢見をしたのだ>


 夢見は未来視のことだ。邪竜は未来に起こることがわかる。だが、その内容を彼が口にすることは珍しい。


<何度、条件を変えてシミュレーションをしても、上手くいかないことがある>


 意味深なわりに要領を得ない邪竜の発言はいつものことだが、なぜか上手くいかない夢見にイラついているというよりは逆で楽しんでいるようだったので、マリガンは話の続きを待つ。


<それで、我が直接に手を下した場合を、シミュレートしたところ上手くいった>


 長い付き合いで今更この邪竜が世界を滅ぼす計画を立てているとは思えないので、受肉の手伝いをしてやってもいいかという気分になった。


「残りの命を、一生を送ってみたいってことなら手助けできるよ。でもその代わり、夢見の内容を全部教えてくれたらだけどね」


 ティーポットからお茶のおかわりを注ぎながら、マリガンは親友にそう条件を出す。邪竜はなぜかしばらく言いよどんだ後で、夢見の内容を話し始めた。



 長々と彼は話していたが、話を要約すると、もうすぐ生まれる人間の女の子を救いたいというだけの話だった。


 マリガンはひとしきり大笑いした後で、この邪竜の恋を応援することを快諾した。

 

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