第24話 獣の刻
ロベールが眼鏡屋の扉を開けると、カランカランと優しい鐘の音が店内に響いた。カウンターの店主に修理品の引取票を渡す。
「はい。ジャン=ジャック・ロベールさんね。ちょっと待ってね」
店主は後ろの棚からロベールの眼鏡を探し出して、布巾でレンズを拭いてから眼鏡をロベールに手渡した。そのまま、ロベールは眼鏡をかける。
「かけ心地はどう?」
「問題ないです。ありがとうございます」
代金は先払いだったので、ロベールは店主にお礼を言ってから店を出た。
「あら、お父さん。今のお客さん、見え方のチェックはしなくて良かったの?」
店裏の工房から出てきた娘が店主に声をかけると、店主は振り返って、こう言った。
「ああ、いいんだよ。あの人の眼鏡は、度が入ってないから。ロマフランカで流行ってるオシャレなのか、酔狂なこった」
◇◇◇
「……呪い」
そのグラムの言葉にガルバ小隊長は、シャーロットを抱きかかえたまま振り返った。
「お前、『呪い』って。旧世界の魔法を使える奴なんて……」
呪文を唱えて魔法を行使する魔法使いは、魔力の源たる邪竜とともに消え去った。
「まだ、マリガンの魔具が残ってる」
大魔導士マリガン。数々の
「じゃあ、呪いの矢の対になる解呪の魔具があればってことか?」
「いえ、時間がない。作った本人に解呪させます」
さっきからいつもとは違い、なぜかグラムは異様に落ち着いていた。ガルバは不気味で仕方なかった。なぜこれが「呪い」だとわかるんだ。それに「作った本人」って誰のことだ。
(大体こいつ、お前の大好きなシャーロット殿下が死にそうだってのに、なんなんだよ)
疑問が頭を渦巻くが危機的状況に何一つ考えはまとまらない。
シャーロットの傍らに膝をついて、グラムはその生気を失った頬を撫でた。
「ガルバ小隊長、今から起きること……内緒にしておいてくれますか?」
警護対象者、それも現国王の直系王族を死なせたとあっては、自分が死刑になるだけでは済まないかもしれない。故郷の親類縁者までどうなるか分からない。ガルバは藁をもつかむ状態だった。
「なんでもいい!! シャーロット殿下、助けられるんだな? どんな秘密だって墓までもってく!!」
そのガルバの様子に、グラムはフッと優しい笑顔を浮かべた。
「何が起きても驚かないで」
グラムはガルバにそう耳打ちすると、なぜか立ち上がって二十メートルほど離れてしまった。その間にも呪いの蔦はどんどんとシャーロットの身体を覆っていっている。
グラムは周りを見回した。誰もいない。先ほど殺したはずのレイヴンの死体もなかった。
(本当に不死身だったのか。あのオッサン)
森の中のもう一人の敵の気配も消えていた。二人とも逃げたか。まぁ、ちょうどいい。今からすることは、さすがに見られては困る。
地面に片膝と両手をつくと、グラムは目を閉じた。
晴れていた空に急に雷雲がたちこめる。あたりはまだ夜まで時間があるというのに薄暗くなり、ゴロゴロと雷が鳴いた。
――受肉、解除。
≪666秒、限定承認≫
――顕現、
突如として地面から黒い炎が舞い上がり、グラムの全身を包み込む。どんどん炎は大きくなり、やがて渦を巻き始めた。
ガルバはその炎の竜巻が巻き起こしている暴風から、シャーロットを抱え込て飛ばされないように必死に耐える。頭の理解は追いつかず、目の前に起きていることが現実だと脳が拒み認識できない。
歯の奥が勝手にガチガチ鳴っている。驚愕なんてものは遠に超越し、それは恐怖……いや畏怖だった。
なぜなら、
竜巻の中から現れた黒炎によって
この国の民であれば誰でも小さい頃から繰り返し繰り返し読み聞かせられる絵本の中の存在。
黄金色の瞳。黒き巨大な体躯は鈍い紫色の光を放つ魔獣の王。
――――邪竜ファーヴニル。
<そなた、ガルバといったな。いつももう一人の我が世話になっている>
大きな金色の双眸に見つめられる。指一本……いや瞬きさえもできない。正真正銘の金縛りだった。邪竜の声は直接脳内に響き、身体の拒絶反応で胃液が食道をせり上がってくる。
<ああ、心配するな。グラムは我の中で寝ている>
喉の奥が「ヒュッヒュッ」と変な音がする。胃液が肺に入ってしまいそうだ。
<あまり時間がない。急ごう。口の中に入れ>
歯の根が合わない。胃液を吐き出したいのに身体は動かない。強烈な酸が喉を焼く。歯の隙間から涎とともに胃液が口からこぼれた。
<カッカッカ。安心したまえ。食べたりなぞせん。人の身では耐えられぬスピードで飛行するだけだ>
ガチガチガチガチ。奥歯が鳴る。止めることができない。
(なんだよ……これ……なんなんだよ……)
邪竜はガルバの返事を待たずに、シャーロットと彼を頭からパクリと口に入れると、頭を一回ブルッと震わせ、大きな翼を広げた。
<さて、急いでマリガンの元に参ろう>
大きく翼をはためかせると、森の木々が何本か衝撃で折れる。そして、流れ星の如き速さで、王都の北西の遥か遠くに位置するファーヴニル山へと飛翔した。
あまりの速度に、邪竜の飛び去る姿に対して何秒も遅れて爆音が響き渡った。
◇◇◇
「えっと、
馬車に乗り込むと、二人はお互いに怪我の手当てをしあっていた。彼らのほかに客はいない。
「ようやく、ちゃんとお会いできた」
彼は握手を二人に求めると、二人は手当てを中断して、その握手に応えた。
「アンタのことは見てたよ。
レイヴンは握手しながら、ニヤリと笑う。ロベールはその言い方に、フフッ笑って返すと、座席に腰かけた。
「しかし、『マリガンの呪いの矢』なんて貴重な物をあのお姫様に使ってしまって良かったのかい? 予定じゃ、ヘンリー王子かフィリップ王子だったはずだろ」
ロベールは、眼鏡の真ん中を押し上げる。
「いやぁ、あの子が一番、将来が危険だったからね」
とても優秀で可愛かった教え子を思い出して、ロベールは微笑む。
「あれだけ手塩にかけてた教えてた子を殺そうとするアンタの頭が一番危ないよ」
クロウは矢じりが貫通した肩からレイヴンに矢を抜かれて、痛みで顔をしかめてそう憎まれ口を叩いた。
「それにしても痺れるくらい強かったね、グラム君。俺、好きになっちゃった。もう何回か殺されたいよ。ドキドキしちゃう」
表側を縫い終わり、今度は背中側の傷を縫いながら、ニヤニヤと思い出し笑いをするレイヴンをクロウは「オエェ」っとジェスチャーしながら嫌がる。
「キモイんだよ、オッサン。私はあんな化け物と二度と戦いたくない」
矢を投擲で投げ返してきて、何百メートルも離れた相手に当てるだけでも化け物なのに、矢は肩を貫通したのだった。クロウはレイヴンに包帯を巻いてもらうと、ストールで肩を吊って固定した。
「それにしても眼鏡なしで、気が付かれなくてよかったな。ロベール先生」
ロベールは頭の後ろで手を組むと、背もたれにもたれかかった。
「ほんと。ほんと。シグルズ王国まで手配書が回ってなくて助かったよ。王城に連れていかれた時は心臓止まるかと思ったね。しかし、良い国だったなぁ。技術は遅れてるけど、牧歌的な国民性だし、ご飯も美味しかったし」
ガタゴトと馬車は揺れながら、ロマフランカを目指して進む。
ジャン=ジャック・ロベール。レジスタンス組織『マリアンヌ』のリーダー、
(町医者編・終)
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