第23話 束の間の勝利、そして

 表門から盛大に帰っていったフィリップ王子とは対照的に、ロベールはこの数カ月一緒に駆けずり回った仲間に見送られて、裏門からひっそりと帰国の途についた。



 見送りが終わってからシャーロットはいくつかの仕事をこなし、マイヤー先生の授業を終えた後で、グラムに声をかけた。


「いまから完成した病院を見に行きたいんだけど、平気かしら? 明日から式典の飾りつけ作業始まってしまうし、できたら今日行きたいの」


 グラムは扉を開けて、部屋の外に控えていたガルバ小隊長にシャーロットの要望を伝えた。ちょうどこの時間の警備シフトは先祖返りアタヴィスモスのガルバとグラムだったため、少しだけ考えたあとでガルバは「シャーロット殿下、お一人でしたら」と回答した。



 ルクス地区の北西の端に王立病院は建設されており、まだ建物の裏手には森が残っている。診療棟だけでなく入院棟もあり、開院後は国内で一番大きな病院となるだろう。


 ただ、開院とは言ってもまだ医師団は帰国していないため、それまでは医療助手達の訓練と町医者からの精密検査依頼を受ける程度の運営だ。


 それでも、シャーロットは建物の周りを歩きながら感慨にふける。何ら力を持っていなかった自分が数カ月でここまで成し遂げた。


(もう少しは猶予があるはず。また街のために仕事をしたいわ)


 ゼロイセンに輿入れしないという高い目標は掲げているが、残りどれだけ長く見積もっても二年そこそこで王位継承権をどう得るかについて、シャーロットはまだ何も作戦を思いついていなかった。


(爵位は可能かな。テレーゼお姉様の件もあるし、あといくつか成果を収めれば)



 そんなことを考えながら歩いていると、急に立ち止まった先頭を歩いていたグラムの背中にドンとぶつかってしまった。「どうしたの?」と問おうと思ったが、幼馴染の男の子は瞳を金色に光らせ、すでに臨戦態勢だった。



 黄金色の視線の先には、大柄で筋肉質な男性が立っていた。素人が見ても彼が軍人またはそれに類する人間であることがわかる出で立ちだ。


「ガルバ小隊長、森の奥におそらくもう一人います。目の前のあれは俺が対応するので、シャルのことお願いします」


 小声でグラムがそう言うと、ガルバは頷いた。相変わらず部下に命令される側のガルバであるが、今はふざけている場合ではなかった。



「初めまして、シャーロット様。そして、こんにちは。それから、君は……グラム君だよね? わたくしめの名は、レイヴンと申します。が、お見知りおきを」



 レイヴンは芝居がかった口調と動作で自己紹介をする。そして、「ヨーイ」と掛け声をあげると彼の瞳の色はに染まり、続いて「ドンッ」という合図とともにグラムに向かって猪のようなスピードで突進してきた。


 しかし、例え出遅れたとしてもグラムの方がスピードは速い。跳躍してレイヴンの頭を掴むと、その勢いのまま膝を顔面にめり込ませる。


(鼻っ柱折られりゃ、大抵は怯む)


 だが、レイヴンは鼻を折られ鼻血を出しながらも怯むことなく、一撃離脱しようとするグラムの襟首をつかむと、彼の顔面に拳をお見舞いし返した。打撃力はグラムと良い勝負のレイヴンの右ストレートに、彼の軽い身体はそのまま後方へ吹っ飛ばされる。


(クッソ。顔面に食らうなんて、ガキん時に親父に怒られて以来だ)


 そんなことを考えながらもグラムは、病院の外壁に叩きつけられる直前でなんとか自分で着地した。


「グラム!!」


 シャーロットの悲鳴のような大声が響く。鼻血を手の甲で拭うと、グラムは「大丈夫」と心配しているであろう彼女にジェスチャーした。



ッ!! !!」



 予想外の言葉に思わず彼女の方を見ると、ガルバの後ろから手を大きく振って、「建物から離れろ」と身振りで表していた。完成したばかりの病院を壊すな、ということらしい。


「ダッハハハハッ!!」


 さすがのレイヴンもこれには、鼻血を出しながら大笑いしている。


「こりゃ、すごいお姫さんだ。肝っ玉が据わってるね。確かに彼女の言うとおりだ。俺も病院を壊す気はない」


 シャーロットを背後にしながらグラムは移動して病院建物から離れると、それにレイヴンも同調した。


「ところで、君。もしかして、はパパから教わってないのかな?」


 ニヤニヤしながら鼻血を垂れ流したままで、赤い目のオッサンが指をさしながら、そう言ってくる様子はかなり不気味だった。 


「いや、君のパパなら初手で俺は殺されてるな、と思ってね。ま、けど」


 言ってるいることの真偽は不明ながら相手の尋常ならざる様子に、グラムは首の後ろの毛がチリチリと逆立つのを感じる。今まで会ったことがないレベルのヤバい奴なのは確かだった。そもそも自分の一撃で沈まなかった人間自体、初めてだ。


「アンタ、すげぇ気持ち悪いな。人間、辞めてんのか」

「君、暴言ストレートすぎるでしょ。オジサン傷ついちゃうよ」


 ニィィイとより一層、気持ち悪い笑顔をレイヴンが浮かべる。その表情と瞳孔が開いている赤い目が相まって、さすがのシャーロットも恐怖でガルバの背中にしがみ付いた。


(あ、うん、それはね、グラム君の中の『ぶっ殺すランキング』に俺が急上昇ランクインしちゃうから困るかな)


 ガルバは目の前の敵のことも怖いが、この王女命のストーカー部下も怖い。わりとマジで。


 シャーロットの恐怖を感じ取ったグラムは、一呼吸おくと決意を固めた。あまり彼女の前で自分の恐ろしい姿は見せたくなかったが、すでにカッコをつけてる状況ではなかった。


「さっき『殺し合い』は教わらなかったのかって言ったよな。アンタ、勘違いしてるよ。俺は人間アンタらルールに合わせてやってるだけだ」


 グラムは少しだけ首を傾けてそう言い終わると、最初からトップスピードでレイヴンとの間合いを詰めた。まずは蹴りで彼の右膝を破壊する。そして、態勢を崩したレイヴンの頭が下がった隙に相手の首を腕に抱え込んで、そのまま首の骨を全体重をかけて捻り上げた。



「君、やっぱり可愛いね。忘れてるでしょう?」



 頸椎の折れる音がする直前にレイヴンは気味の悪い言葉を残す。


(最初に……? そうだ……もう一人は……)


 グラムが気が付いた時には、森の奥から何かがシャーロットのいる方に向かって飛んできていた。動かなくなったレイヴンの首から手を放して、グラムはシャーロットに着弾する前にどうにか止めるべく走る。


 その驚異的な身体能力で、彼はそれを掴んだ。矢だ。だが、安心したのも束の間、矢を掴んでいるはずのグラムの手をすり抜けて、矢の霊体のようなものはそのままシャーロットに直進する。


「なっ!? ガルバさんッ!!」


 思わずグラムが叫ぶ。ガルバは瞳を金色に変えて、シャーロットの前に身を挺する。ガルバは衝撃に備えたが、


「え?」


 ガルバは恐る恐る後ろを振り返る。霊体の矢は、ガルバの身体を素通りして、後ろにいたシャーロットの左胸に刺さっていた。


「あれ……?」


 シャーロットは自分に何が起きたのか、わからなかった。ただ、霊体の矢は目的の場所に着弾すると、形を変えてまるでつたのように彼女の心臓から身体に侵食し始める。意識を失い崩れ落ちるシャーロットの身体をガルバが受け止めた。


 その様子を見ていたグラムは激情のまま手に握った矢を、それを放った犯人のいる方向に槍投げでもするように投擲する。遠くの方で当たった手応えはあったが、今はそんなことどうでも良かった。


「なんだよ、これ……」


 シャーロットを止血しようとして、ガルバは困惑の声を上げる。彼女の身体から血は出ていない。ただ黒い植物のような何かが左胸から蠢いていた。


「……


 太古の昔に邪竜とともに滅んだはずの魔法は、今シャーロットの心臓を止めようとしていた。

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