第22話 しばしの別れ

 ヘンリー王太子から正式に「王立病院の事業を再開する」と発表があった数日後、シャーロットは自身の執務室でロベールから帰国について切り出され、それを黙って聞いていた。


「ロマフランカに残してきた親類の具合が良くないようなので、一度帰国したい」


 和平後もう十年経っているとはいえ、いまだシグルズとロマフランカの間は簡単に旅行できる距離でもなければ、街道も整備されていない。「一度」帰国したらならば、再来訪できるかは運次第であろう。


 それでも、シャーロットは引き留めるのは気が引けた。成り行きとはいえ、彼を無理やりシグルズ王国の政治に巻き込んでしまったのだ。ロベールの当初の予定から大幅に狂ってしまった滞在であったのは間違いなかった。


「わかりました。とても残念ですが……」


 あとシャーロットにできるのは、侍従長に掛け合って彼の退職金に多少イロをつけてあげることくらいだ。


 本当は王立病院の開院式典までいて欲しかったが、ロマフランカとの行き来をしている行商の馬車に相乗りする都合で、その数日前にはお別れしなればいけなかった。


◇◇◇


 シャーロットの警備に明け暮れて、近衛隊の定期訓練と試験をいくつか受けていなかったグラムはまとめて今日一日で全部クリアしようと躍起になっていた。


「正直、もう俺全部免除でいいと思うんすけど……」


 試験官達が若干怪我をしながらも試験の相手をしてくれるので、思わずグラムはそうこぼす。十五歳になってから急に身体が大きくなり、力の加減がまだ上手くいかない。なるべくコントロールしようと心がけているが、今までなら寸止めで済んだはずの距離でも当たってしまい、稽古相手に怪我をさせることが増えた。


 春だった季節は巡り夏も過ぎ、秋の紅葉が山々を埋め尽くす。もうすぐシャーロットもグラムもメグも十六歳になる。


「ねぇ、グラム君。私たち、来週から親衛隊の方に戻されるんだけど、グラム君歓迎会も来てくれなかったし、最後のお別れ会くらい来てくれないかな」


 グラムが井戸の水を頭からぶっ被っていると、フィリップ王子の関係でガルバ小隊に来ていた女性隊員達が話しかけてきた。彼女達に限らず、今まで話しかけてきたりしなかった侍女など女性達が、背が伸びてからやたらと話しかけてくるようになった。


「いや、自分まだ酒飲めないんで、遠慮しておきます」


 布巾で髪の毛の水滴を拭うと、ぶっきらぼうに断る。彼女達は何か言いかけたようだったが、結局黙るとそのまま離れていった。



「おい……そこの水も滴るイイ男のつもりの少年……」


 建物の陰からその様子を見ていたガルバ小隊長は、薄暗い声をかけた。


「うわっ! なにやってんすか。そんなところで」


 ジトっとした目で上司から監視されていたことを知って、グラムはちょっとビビる。


「お前、フィリップ殿下が近衛隊の男連中全員連れて娼館に連れて行ってくれた時も断ってただろ。あそこ近衛隊の給金じゃ一生に一回も行けるかわからんくらい高級なところだったんだぞ。天国だった。……天国あったわ」


 最後ただの感想になるガルバに、グラムは溜め息をついた。


「いや……別に女性とのそういうのに興味ないわけじゃないですよ。ただ、他の人のこと考えながらしても、相手にも失礼だし、自分も空しくなると思って」

「ガハッ……」


 十五歳の純真無垢な正論にガルバの心臓は打ち砕かれ、吐血しそうになる。


「……いや……でもお前、だからって間違っても変なことしでかすなよ……」

「はぁ。いつも言ってますけど、俺、シャルの迷惑になること絶対しませんって」


 一矢報いてやろうと言葉を絞り出したが、自分より遥かに大人な部下から再度溜め息で返されただけだった。


◇◇◇


「ハッハー! シャル、よく来たな。座れ、座れ」


 呼ばれてフィリップ王子の部屋を尋ねると、フィリップはたくさん侍らせていた女性達を下がらせた。


「兄様、どうされましたの?」


 とりあえず空いてるソファに座ってから、シャーロットはそう切り出した。


「いやな、そろそろスッドルノガに戻ろうと思ってな。王立病院の開院式までいようかと思ってたんだが、道中の天候が怪しくてな。早めに出立することになった」


「それはとても残念。フィリップ兄様が結局最後までランキング独走でしたのに」


 すでに病院建物の壁に設置する寄附者一覧を刻んだ顕彰銘板けんしょうめいばんの用意もしていた。


「あれは良い余興だった。毎年やるがいい。うちの領民達から殺されん限りは頑張ろう。ハッハー!」


 いつも豪快に笑えないことを笑い飛ばす兄に、シャーロットも思わず笑ってしまう。


「しかして、シャル」


 急にフィリップが真面目な顔をしてシャーロットを見つめたので、彼女も姿勢を正した。彼は彼女の知ってる人間の中で、一番頭がいい。それでいてバカなふりをして、長子であるヘンリー王太子の顔を立てている。ヘンリーもそれをわかって良好な関係を築いていた。



 彼は「何を」とは言わなかったが、明白だった。シャーロットは目を伏せると、微笑みだけ浮かべた。否定も肯定もできない。


「俺はつまらんことが嫌いだ。そして、面白いことが大好きだ」


 そして、一拍置いてから続ける。


「だが、戦争はそれ以上に大嫌いだ。あんなものはバカがやるものだ」


 ヘンリーの敵になるならば、妹であろうと敵だと言いたいのだろうか。だが、シャーロットも伏せていた目を上げると、兄を見つめ返した。


「兄様。たぶん近いうちに、我が国だけではなく、周辺諸国含めて我々王族は岐路に立たされますわ。その時、我々の正当性……必要性を判断するのは我々自身ではなく、国民でしょうね」


 ソファの背に肘をついてふんぞり返っていたフィリップは、妹が本気で言っていることがわかると、しばらく考えているようだった。


「ふん。あい、わかった。俺はこの国に尽くすと決めている。お前がこの国のためにならぬと判断した時は、泣こうが喚こうがお前を叩き潰す。しかし、お前がこの国の利益となる限りにおいては、全力で支援しよう」


 こうして兄は可愛いだけだった妹を、為政者として自分と同じ土俵に上げた。


 シャーロットはこの日のことを「ようやく兄からとして認められた瞬間だった」とのちに語っている。

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