第19話 反省すれども後悔せず

「……地区税を払えば良いのではないか?」


 右のこめかみを拳で支えて肘をついたエドワード国王のその一言に喧々諤々けんけんがくがくの議論を繰り広げていた会議室内は静まり返った。


「そもそもルクス地区あそこは、王太子の実験場として設けられている特別行政区だ。行った施策が良いものなら国王となった時に全国土で実施するもよし、失敗したなら反省材料にするもよし」


 エドワード国王は静かに続ける。


「むしろ十年間も我慢し、余に助力を求めるでもなく、自ら解決しようとしているヘンリーを褒めたいくらいなのだが。貴殿らは諫めよと申すのか」


 宰相サイフリッド大公は、その国王の発言に口の端だけ微かに上げて反応した。裁定は下った。


「では、キュスナハト公爵の邸宅の件は補填はなし、ルクス地区の治安維持回復についても地区長であるヘンリー殿下のご判断に任せるということで。リンタール侯爵、次の議題を」


 鼻白んだ反対派は押し黙り、閣議は再開された。


◇◇◇


 シャーロットは上がってきている報告書に目を通し終わると、顔を上げてメグを見た。


「メグ、今日どこかで一時間……いや三十分でもいいから、空き時間作ってくれないかな」


 あの可憐で透き通るようだった親友の顔がどんどん険しいものになっていっていることに気が付いていたメグは、実は各方面に調整しもう時間を確保していた。


「シャル、そう言ってくれるの待ってた。はい! グラム、出番!」

「よしきた!」


 メグの後ろに控えていたグラムは、素早い動作でシャーロットの後ろの窓を開けて、彼女の座っている椅子をグルッと回転させた。椅子に座っている彼女を抱き上げる。


「きゃっ」


 これには、さすがのシャーロットもビックリして声をあげた。グラムはニヤッと不敵な笑みを浮かべて、まるで怪盗のようにお姫様をさらって窓から出ていった。


(もう二人で、このままどっか行っちゃえ)


 そうは言っても絶対帰ってきてしまうだろう幼馴染二人を見送りながら、メグは胸を痛めた。


◇◇◇


 青天の空に気持ちの良い風が吹く。シャーロットはなびく髪の毛を軽く抑える。


 そして、王城の一番高い建物である鐘塔しょうとうの上まで連れてきてくれた男の子の金色に光った目を見て、そっと彼の頬を撫でた。


「ちょっ……、シャル。危ないからドキドキさせないで」


 急に触られてビックリしたグラムは、それでも彼女を絶対に落とさないように彼女の肩と腰に回した手に力を入れた。


「グラム、そんなに頻繫に力使って大丈夫なの? あんまり身体に良くないって聞いたことあるわ」


 金色から黒に瞳の色が戻ったグラムは、ニカッと笑う。


「大丈夫。大丈夫。俺、特別製だから」


 全然、回答になってないが、シャーロットは王族自分たちのためなら死をもいとわない人達がいることを知っている。グラムも自分のために喜んで盾となり剣となり死ぬことをシャーロットは理解していた。



 鐘塔の上で二人は腰かけて、美しい王都を眺める。シャーロットの目の端に、ルクス地区の黒く焦げた一画が入り込んできた。


「私は……働いたこともないし、お腹を減らしたこともない。税金を払ったから薪が買えずに凍えたこともないわ。……人々の心を甘く見ていた」


 こんな暴動に発展するだなんて思いもしなかった、とシャーロットは心の中で続けた。


「なぁ、シャル。君が働いたことがないってのは違うと思うよ」


 彼の腕の中からシャーロットはグラムを見上げる。毎日一緒にいるせいで気がつかなかったが、いつの間にか彼の身体は随分と大きくなっていた。


「王女様って立派な仕事だし。いっつもニコニコしてさ、どんなに疲れてても社交界でて、興味のない話題で気の利いたこと言って、踊りたくない奴とだってダンスもしないといけないし、……遠くに行かないといけないし」


 本当は「お嫁に行かないといけないし」と言おうとして、認めたくなくてグラムはそう言いかえる。でもそれを聞いてシャーロットは、仕事に「」を持ち込んでしまったことに思い至った。


「……自分のために始めたの。でも、きっと上に立つ者は、それではいけないのね」


 彼女は「政治」が楽しくなっていた。自分の考えた通りに面白いくらい上手くいくのが快感だった。でもそれは昔、兄たちとしたチェスを思い出して、人々を駒に、ルクス地区を盤上にして遊んでいただけだ。人々の気持ちを弄んだ。


「『王』って……人々の願いを叶る願望器じゃないといけないんだわ。自分の願いのためじゃなく、人々の願いのために」


 難しいことは皆目理解できないグラムは、とりあえず黙って可愛い彼女のつむじを眺めていたが、途中で「あれ?」となって首を傾げた。


「……ん? シャル、王様になんの?」


 シャーロットは否定するでもバカにするでもなく、また「王様になりたいの?」でもなく、「の?」と聞いてくる型破りな幼馴染が面白くて、久しぶりに声を出して笑う。そして、ひとつ大きく頷く。


「ええ。そうね。そう決めたんだった。よし! じゃあ、まず私の国の一人目の国民は、グラム。それも決めた!」


 グラムの眉間にシワがよる。あんまり理解できてないようだった。彼はまた首を傾げて、しばらく考えたあとで、口を開いた。


「女の人の王様ってなんていうの?」


 シャーロットもこの問いには首を傾げる。女王がいる国を聞いたことがなかった。


「確かになんて言うのかしら。王后と一緒で『クイーン』かな」


 ふーん、とグラムは頷いた。父親が近衛隊の大隊長として国王に対峙している時のことを思い出す。


「じゃあ……このような姿勢で申し訳ございませんが……」


 一呼吸おいて、続ける。



「イエス・マイ・クイーン。ご命令を」



 そして、また満点の笑顔を彼女に見せると、グラムとシャーロットは顔を見合わせて笑い合う。


 二人はメグに許された時間いっぱいまで、女王と臣下のごっこ遊びをして他愛のない会話を楽しんだ。

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