第9話 その日、王女は最強の武器を手に入れた①
人生で寝た中で一番寝心地の良いベッドから起き上がったロベールは、枕もとの壊れた眼鏡を見て「ああ、夢じゃなかったのか」とまだ寝ぼけた頭で理解する。
給金自体も破格だったが、ロベールの身分では一生泊まることができないホテルのような部屋に住めて、食事までついていた。使用人食堂はいつ使っても良いと言われ、昨日はついついガッツいて食べてたので、起き抜けの今は少し胃がもたれている。胃もたれするほどの食事をしたのは初めてだった。しかし「無料」と言われると、食べないと損な気がしてしまう。
(さて、朝食は何を食べよう)
そんなことを考えながら、洗面器に水を注ぐと顔を洗い、歯を磨く。
(えっと、朝食のあとは、もう一人の家庭教師の方にご挨拶して、教科の割り振りとか調整しないとな。下手な対応をして機嫌損ねられないようにせねば)
初出勤だ。せめてひと月の給金が満額でるくらいは解雇されずに頑張りたい。
文官用の宿舎を出て食堂に向かうと、出勤前の近衛隊の兵隊達がぞろぞろと朝食の列に並んでいた。
(この時間は混むのか。明日からは時間をズラそう)
そこそこな時間を並んでようやく朝食にありつき、空いている席を探していると、食事をしているグラムとガルバ小隊長を発見する。ガルバ小隊長の隣が空いていたので、ロベールはその席に失礼することにした。
「おはようございます。ここの食堂はとても美味しいですね。故郷に帰る頃には太ってしまいそうです」
ガルバ小隊長はかなりお疲れ気味な顔で、挨拶を返してくれる。
「ああ。お偉いさん向けの厨房を仕切ってる総料理長がロマフランカの宮殿で修業したとかで、我々も美味しい食事のおこぼれに
「俺、ここの飯以外、知りませんけど、ここってそんなに美味しいんすか?」
グラムが朝っぱらから大量のマッシュポテトと肉料理を食べながら、首を傾げた。
「王城育ちのお前は口がおごってるから、戦場行ったら餓死する。間違いない」
「ゲェ。不味い飯は食べたくないな……」
ロベールはその二人のやりとりを聞きながら、コーンポタージュにちぎったパンを浸して口に含んだ。自分の生まれ故郷の宮殿では、こんなにも美味しいご飯がでていたのかと、ロベールはやりきれない気持ちになった。
「まぁ、人間食べる物がなくなったら、なんでも食べれるから大丈夫だよ」
今食べている朝食程度の食事を一日に一回も取れないことなど、日常茶飯事だったロベールは、思わずグラムにそう言ってしまう。
そうだ、世界の大半の人間は飢えているのだ。こうやって一握りの選ばれた者だけが世界の恵みを享受している。そして、小麦粉、トウモロコシ、ジャガイモ、牛、豚、鶏……これらを作っている本人たちは食べられずに野垂れ死ぬ。
ロベールが考え事をしながら、モソモソ食べている間に、近衛隊の兵士たちはあっという間に食べ終わって、いつの間にか食堂からいなくなってしまった。
◇◇◇
倉庫から黒板を引っ張り出し、下働きの男たちと一緒に勉強部屋に運び入れる。
もう一人の家庭教師であるマイヤー先生は、謹厳実直を絵に描いたようなレディだった。これまでは教会などで多数の生徒を相手に教えていたとロベールが自己紹介をすると、これにいたく感心し「倉庫に黒板があるから使うといいですよ」と教えてくれたのだ。
「得手不得手でいえば、歴史や政治といった方向は弱い分野でしたので、パリス大学で学ばれたご専門家に担当していただけるのは非常に助かります」
そう歓迎されてロベールは安堵する。その流れで、マイヤー先生に専門を聞いたが、「女の身である私に専門などございません」とはぐらかされてしまった。
午前中、先にマイヤー先生が担当し、昼食を挟んでロベールが諸外国を含めた歴史と政治学を中心で教えることになった。
今夜は小規模ながら舞踏会があるそうで、授業の終わり時間は厳守だと告げられる。あの愛らしい少女のスケジュールはなかなかハードだったので、ロベールは少し同情した。
勉強部屋を訪れたシャーロットは可愛く会釈すると、黒板を見て目をキラキラさせた。
「これはなんですの?」
「『黒板』といって、こうやって石灰でできたペンで文字を書いた後に消して、また別の文字を書けるんですよ」
シャーロットはチョークを珍しそうに持つと、ウサギの絵を描いてからコロコロと楽しそうに笑って、黒板消しでウサギを消した。
「さてと、授業を始めようか。マイヤー先生に伺った限りだと、シャーロット殿下は……」
「シャルとお呼びになって」
ロベールはその要求に言葉に詰まってしまったが、まぁこの教室の中だけならいいか、と頷いて了承を表した。
「シャルは、一通りの読み書き計算その他の教養をすでに身に着けているとのことだから、少し踏み込んだ授業をしようと思う。かなり革新的な話もするから、ここだけの話にした方が君にとっては良いことも多い。そこは理解してくれ」
シャーロットは姿勢を正して頷く。未知なるものを知るワクワク感。今まで勉強の時間は退屈だったが、ロベールのその話し出しからして彼女は期待で胸がいっぱいになった。
黒板に「国家」と、ロベールは書くとシャーロットの方を向く。
「じゃあ、シャル。『国家』とはなんだと思う?」
シャーロットはキョトンとする。そのようなことを考えたこともなかった。
「え……。そうね……このシグルズ王国のことかしら」
「ふむふむ。そうだね。シグルズ王国は国家だ。そして、ロマフランカ王国も国家だね。ゼロイセン帝国も国家だ。じゃあ、共通しているのは?」
「王様がいて、土地があって、……うーん。国民がいる?」
「シャル! 君はマイヤー先生の言う通りとても優秀だね!」
生徒を褒めながら、「国家」の下に「王・領土・国民」とロベールは板書する。
「じゃあ、王様ってどうして国家に必要なんだろう?」
それは今までの穏やかで朗らかな彼からは想像もつかないほど酷く挑戦的な問いかけだった。
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