第7話 僕たちの上司は「王女」ではなく「王太子」である

 唖然としていたヨハンだったが、ようやく頭が回り始めて、普段の他人をバカにした顔に戻った。


「何言ってんの、シャル。君にそんな権限ないでしょ」

「あら、どうして? フィリップ兄様だって、いかがわしい侍女をたくさん勝手に採用してるじゃない」


 ヨハンはヤレヤレと肩をすくめて、より一層小バカにした態度をとる。グラムが斜め前でこめかみに青筋を立てているのに気が付いてないようだ。


「フィリップ殿下と自分が一緒だとでも思ってるわけ? フィリップ殿下は南方のルノガ領の公爵でもあるし、自分の家来をどう雇おうが自由だけど、君は例え王族だとしても何の権限もないんだよ」


 シャーロットがきれいな形の眉毛をひそめると、玉のようなオデコと眉間にしわが寄った。少し唇をとがらせているその不満そうな顔は大層可愛かったので、グラムは思わず見惚れてしまったが、慌てて彼女にこんな顔をさせた犯人の脛を蹴りつけてやる。


 犯人は痛みで声もあげられずに、座ったまま脛を押さえてうずくまった。


「あ、すいません。脚長くて」


 すっとぼけるグラム。一方そのころ隣に座ったロベールはというと、先ほどから「殿下」「王族」といったヨハンの言葉が脳内リフレインを起こしており、思考停止状態で石のように固まっていた。


「じゃあ、誰に頼めばいいの? お父様?」


 眉をひそめたまま腕を組んで頬を膨らませたシャーロットが痛みでうずくまっているヨハンの背中に問いかける。


「……ほっんと、手癖も足癖も悪い狂犬だな」


 ぶつくさと文句を言いながら、ヨハンがようやく起き上がった。


「そりゃ国王陛下が決めれば、黒いものでも白くなるけど、王室府の長は代々王太子が歴任。だからヘンリー殿下にお願いしなよ」


 第一王子のヘンリー王太子の名を聞いて、パッとシャーロットの顔は明るくなった。


「ヘンリー兄様なら、私に超甘々だから、なんでもOKしてくださるわ! ああ、良かった。ロベールさん、ということで、私の家庭教師よろしくね」


 国王を「お父様」、王太子を「兄様」と呼び、にっこりと微笑むシャーロットを前にして、ロベールは一体全体なにが起きてるのかわからなさすぎて、とりあえず何がなんやらよくわからないなりに頷いてみせるのが精一杯だった。


◇◇◇


 ザ・おじいちゃんといった見かけの老医師が、手をプルプルさせながらロベールの頬に触れる。そして、白濁していた瞳の色が金色に変わり、少しすると痛みがまったく消えてしまった。


「んにゃ、奥歯……もう揺れんか?」


 自分はもう歯がない老医師は、口元をムニャムニャしながらロベールに確認する。恐る恐るロベールが舌で奥歯に触れると、元通りに治っていたので驚いた。


「……これが先祖返りアタヴィスモスの力……」


「ま、他人を治癒する能力がある先祖返りアタヴィスモスはこの爺ちゃん先生以外いないけどね。超貴重」


 王城内にある医療施設にロベールを連れてきたグラムは、彼の感嘆の言葉について補足した。老医師はそれを聞いて「儂が若い頃はもっとおったんじゃがの」と、ムニャムニャしながら言う。


 二人は老医師に礼を言って医療施設を後にした。


「一応、釘指すけど、爺ちゃん先生、なんでも治せるわけじゃねぇから。外で言いふらしたりすんなよ」


 前を歩く少年のまだ成長しきっていない背中に向かって、ロベールは「ああ、わかってる」と答える。それくらいの分別は持ち合わせている。


「……えっと、君も先祖返りアタヴィスモスなんだろう? 人生で初めて出会ったよ。それも一日に二人も。明日は隕石にでも当たりそうだ」


 グラムは「ん?」という顔で振り向く。


「あ、そっか。普通あんまりいないんだっけ。周りに多いから、感覚バグってるわ俺。それいうならだよ。あそこに来てた俺の上司も先祖返りアタヴィスモスだし。まぁあの人、翌日がキツイとかいって全然使わないけど」


 今日は王族しかり、レアなものばかり目にしているので、ロベールは「実は三人だった」と言われてももう驚き疲れて口からため息が出ただけだった。



 この世界では、先祖返りアタヴィスモスに生まれたら軍人として立身出世を目指すというのがポピュラーな成り上がり法だ。


 そして、邪竜のむくろが眠ると言われているファーヴニル山にほど近いシグルズ王国の先祖返りアタヴィスモスの出現率は、他国に比べて驚くほど高い。


 一昔前のシグルズ王国の主な輸出品は、先祖返りアタヴィスモスの傭兵軍であったほどだ。この百年でその出現人数は激減したものの、それでもやはりシグルズ王国軍内の先祖返りアタヴィスモスの数は他国の比ではなかった。



 グラムの後を黙ってついてきているが、一体どこに向かってるのかロベールには見当もつかない。王城の中はまるで迷路だった。しばらくすると『王室府』と書かれたアーチが現れる。アーチをくぐり階段を上がると、グラムは木目細工の美しい扉の前で止まり、扉をノックした。


 ドアプレートには『侍従長室』の文字。ほどなく中から声がして、入室を許可される。室内には銀髪にも見える白髪をオールバックにした見るからに執事という出で立ちの男性が立派な執務机の前に座っていた。


「えっと、シャーロット殿下がこのロベール氏に『家庭教師』を頼みたいそうです。ヘンリー殿下にはご自分で許可を取るとのことです」


 ガルバ小隊長が考えた文章をそのままグラムは暗唱する。もう少し難しい言い回ししていた気がするが覚えていないので仕方がない。


「わかりました。ロベールさん、もうシャーロット殿下がお決めになったことですので、形ばかりの面接とはなりますが、こちらへご経歴の記入をお願い致します。また、給金等についても説明させていただきます。グラム君はもう下がっていいですよ」


 侍従長は机の引き出しから、用紙を取り出すとペンと共にロベールに差し出した。そして、グラムは一礼して退出する。


 完全に予定外の高職への就職決定に、もう困惑も通り越して濁流に流されるまま、ロベールは必要事項を黙々と用紙に書き込んでいく。ただ、侍従長から提示された給金額は、眼鏡なんてすぐに修理できそうな金額だったので、その点は素直に喜んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る