第6話 王室医療機関の患者の範囲

 ガタゴトと馬車が揺れる。シャーロットから借りたハンカチで口元の怪我を押さえているロベールは居心地のあまりの悪さに怪我の痛みも忘れ萎縮していた。ロベールの向かいに座っているヨハンは不愉快そうに眉をゆがめている。


「……なんで僕の馬車に庶民を乗せなきゃいけないんだよ」


「あ? 何かおっしゃいましたか? ヨハン。ガキん時みたいにまた鼻の骨を折って差し上げましょうか? 多少はその意地悪そうな顔もマシになると思いますよ」


 ロベールの隣に座っているグラムが凄むと、ヒェッと喉を鳴らしてヨハンは黙り込む。二歳年上のヨハンは、幼少期にシャーロットの頭の上にカエルを乗せて泣かせた報復として、グラムから顔面パンチを食らったことがあり犬猿の仲だ。


「あらあら。ヨハンとグラムは相変わらず仲良しさんね」


 ヨハンの隣に座っているシャーロットが鈴を転がしたように笑う。


「シャル。この狂犬、早く捨てなよ! 絶対にいつか問題起こすって!」


 グラムを指さして抗議するヨハンを無視しながら、シャーロットはニコニコしている。それを見たグラムは中指を立てて、勝ち誇った顔でヨハンにあっかんべした。


◆◆◆


 さて、なぜこんな地獄絵図になったかというと、遡ること三十分前。


「え……ちょっと……グラム君? 君が破壊したのは、どのあたりなの……まさか……全部とか言わないよね……?」


 グラムの後を追って馬で駆けつけてきたガルバ小隊長が、現場の惨状にガタガタと震えて目を泳がせる。


「俺がやったのは、あそこで伸びてる衛兵だけっすよ」

「ほんとだよね!? 嘘ついてないよね!?」

「ホントですって!」


 そのあとも何度もしつこく確認し、周りの目撃者達にも聞いてみたが本当なようだった。ようやくガルバ小隊長は始末書の枚数が少なく済みそうでホッとする。


「しっかし、本当にシャーロット殿下がいるとわな。お前、殿下に居場所追跡する魔具まぐでもつけてんの? それなら普通に引くわ」


「つけてないですよ。そんなストーカーみたいな。


「むしろ、ちょっと何言ってるかわからない」


 部下の天然ストーカー発言に、ドン引きする上司。


「それよりもアレ、マジでなんなんですか。キレそう」


 顎でグラムは、とある方向を指し示した。ガルバ小隊長がそちらを見ると、衛兵に殴られて怪我をした青年をシャーロット殿下と侍女のメグが何やら気遣っているようだった。


「そんなちょっと街に出ただけで、すぐに男と出会っちゃうとかおかしいでしょ! いや、シャルはめちゃくちゃ可愛いですからね、男が声かけちゃうのはわかりますよ。百歩譲ってね。でも、おかしいでしょ。シャルが声かけてるの!!」


「ええええ……お前……いまからそんなんで、ゼロイセンに輿入れする時どうすんの……」


 ゼロイセンの話をした途端に、スンッとグラムの目が死んだ。


(こいつ、殿下が王女様で、自分は平民だって、ちゃんとわかってんのかな……)


 続ドン引き中のガルバ小隊長は、ドン引きしながらもあまりにも王族と貴族と平民の境界線が曖昧な部下を心配する。



「ロベールさん、大丈夫ですの?」

「あ、はい。ハンカチ汚してしまって、すいません」


 ロベールは壊れた眼鏡を拾い上げる。フレームからレンズが外れて、しかも割れていた。眼鏡は高級品なので、かなりの痛手だ。口の中が切れて鼻の骨が折れたところで放っておいても勝手に治るが、物は勝手に直ってはくれない。


(なんて思ったけど、奥歯……グラついてる……これ最悪抜けるかもな)


 舌で奥歯を押してみる。尋常じゃない激痛が走った。さすがに歯は生えてきてくれないが、まぁ歯の一本二本なくなっても生きていけるだろう。


 ただ自分の奥歯のことよりもこの少女が想定していた以上に地位の高い貴族のご令嬢らしく、そちらの方が気が気ではなかった。


 そんなロベールの心配をよそに、メグがキョロキョロと周りを見渡す。


「メグ、どうかしたの?」

「いえ、さっきの放り投げられたおばあちゃん、どこ行っちゃったんだろうと思って。痛そうだったし、心配で」


 確かにシャーロットもあたりを見回してみたが、どこにも事の発端になった老婆の姿はなかった。動けるようになって、怖くて逃げてしまったのだろうか。それならば良いが。


「それにしてもロベールさん、貴方、頬が随分と腫れてきているわ。病院に行った方がいいかも」


 ロベールは顔を左右に振る。死ぬような怪我でもないのに、いちいち病院にかかっていたら破産してしまう。


「いや、大げさですよ」


 無理に笑い顔を作るロベールを見かねて、メグがシャーロットに「普通、平民はこの程度で病院に行ったりしませんから、金子きんすをお渡しになった方がいいですよ」と小声で耳打ちした。


「ならに連れて帰りますわ。良い医師がおります。治療費はヨハンに出させますから、ロベールさんもお気兼ねなく!」


 メグもロベールも「はぁああああ???」という「なんでそうなった!?」顔をしているが、驚きすぎて声がでない。口をパクパクさせている。


「ヨハン! ちょっとヨハン!」


 ロベールのそばにしゃがんでいたシャーロットは立ち上がると、大声でヨハンを呼びつけた。のそのそと馬車の扉が開く。ヨハンは腰に手を当てたシャーロットを見るとウンザリした顔をした。


「えええええ……絶対に意味不明なこと思いついた時の顔してんじゃん、シャル……」


◇◇◇


 そして、現在。


「大体なんで、この狂犬まで乗り込んでるのか、意味わかんないし。メグちゃんでいいじゃん」 


 ヨハンの馬車にロベールを無理やり乗らせようとしているシャーロットを目ざとく見つけたグラムは、ヒョイっと自分よりも背の高いロベールを持ち上げて馬車に詰め込んで、そのまま自分も満面の笑みで乗り込んだのだった。


「なぁ、シャル。この庶民を王城に連れていくのはいいけど、治療なんてしてもらえないぞ」

「え? どうして? グラムもメグも怪我したり病気したら診てもらえますのに」


 シャーロットがキョトンとした顔でヨハンを見るので、彼は盛大に溜め息をつく。


「それは、メグちゃんも狂犬も王城で働いてるから!」

「……あら。それは困ったわ」


 顎に人差し指を当てると、シャーロットは小首を傾げた。しばらく、トントンと人差し指で顎を叩いたあとで、「うん」と頷く。


「じゃあ、ロベールさん。今から貴方を!!」


 この思いつきに、今度は男衆三人して「はぁああああ???」という「なんでそうなった!?」顔のまま、全員声も出せずに固まったのであった。

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