絶えま

彼女が私の名を呼び、明るく微笑む。癖のある小麦色の髪が揺れ、手でそれを押さえながら、私の元へ駆ける。

「波墨様の神力はとても凄くて綺麗ですね」

目を細め、屈託なく笑う彼女は、彼女の名は……。

「ずっと一緒にいたいです。でも」

彼女が私の手を取り、愛おしそうに両手で包む。声をかけたかった。だのに、声が出せない。

「優しい貴方はあの方達を支えて下さいね」

手が放れる、呆然と眺めたままの私に向ける彼女の表情はとても柔らかく、幸せそうだった。そのまま、彼女が白くぼやけていく。私は彼女を呼びたかった。呼び止めたかった。

言わねばならない事があるのに、何も思い出せない。

「波墨様はまだ、此処には来てはいけませんよ?」

彼女の笑顔が薄れていく。私の手を彼女は掴まない。

声が出ない。彼女が消えてしまう。

その気持ちを私は押し殺した。行かないで欲しい。伝えたい事はそんな事ではない。礼が言いたかった。彼女の名を呼びたかった。

そうだ、彼女の名は、




「……緒花」

「……俺はオバナではない」

そんな二人の声が聞こえ、僕は急いで医療室に駆け込んだ。神力の暴走の件は過ぎ、今は夜中になっていた。部屋に入ると、一つの寝具の傍に寄せた椅子に座る切と、先程意識が戻ったらしい波墨が、寝台の上で横になっている。僕はほっと胸を撫で下ろし、安心した。

「気が付いたか、波墨」

「……來嘉、どうして」

「お前は、神力の放出をし過ぎで、死にかけたんだぞ」

「ど、どうやって、止めたのですか」

「……ん? 僕が波墨の神力を僕のものに変換した。それを切に移した」

「は?」

状況が読めずに細い目を見開いて、こちらを見る波墨に、僕と切は互いに頷いた。「化け物……」という波墨の呟きは、あろう事か、宙に消えたかのように無視される。

落ち着いた後、波墨は自覚しているのか、気まずい顔で沈黙する。すると、切が彼の顔を覗き込んだ。

「痛い所はないか、波墨」

「え、ええ……。貴方の怪我は?」

「足は骨に罅が入ったらしい。治れば歩ける」

「……貴方のそういう所ですよ」

呆れたように呟く波墨は、ちらりと僕に視線を移す。困った顔で見つめ返していたが、少しおかしくなり破顔してしまう。

「とても素敵な方と会えましたね」

「……ああ、波墨も、だろう? 切から少し聞いた」

「……そうですね」

その顔を見て柔らかな表情で、懐かしむように、彼は目を細めた。

大人しくしている切の傍に寄り、髪を撫でる。されるままの切が愛しくて、しかしその気持ちは、永遠に心に仕舞うものになりそうだ。


僕達はずっと一緒には居られない理由がある。


考えを切り替えて、僕は二人に伝えたい事があった。

「切、波墨。僕にはやる事が沢山できた」

「あの矢の件、ですか?」

波墨が真顔で言い当てた。僕は頷く。波墨に刺さった謎の失。あれは何か、異質な不気味さを感じる。

「矢に関する情報や警戒、その件についての会議や報告も……」

「忙しいですね。領主にもなるというのに」

やれやれと波墨が同情したように言う。そうだなと頷いた僕は、その後我に返って反論した。


「そうではない….僕は領主候補で」

「私は領主候補から降ります」

当然の事で、思考が停止する。しかし、波墨は冷静だった。

「私は未熟でした。一からやり直しますよ」

そう言った彼に、切が首を突っ込んだ。澄んだ赤い瞳で見つめ、ふと言葉を紡ぐ。

「なら波墨は、來嘉の手伝いをしたらいい」

「切、それは波墨が使用人になるという事だぞ……?」

「? いいと思う。波墨は信用できる」

「確かに」

「勝手に話を進めていません?」

冷静に口を出す波墨にも構わず、僕と切は考えを言い合う。

「屋敷は広いからな……使用人は一人ではきついんじゃ」

「皆で手伝えばいい。それに俺は料理も作れる」

「……それは楽しみだな……」

波墨が横になっている寝台を囲んで、言い合う僕と切を見て、渡墨は笑うしかなかったようだ。くつくつと笑い出す彼を見て、会話を終える。それを見ても微笑が続く波墨は、こほんとひと息吐くと、ゆっくりと上体を起こした。僕はそれに手を貸しながら、見た事のない彼に少し戸惑っていた。波墨は前髪から覗く目元を下げて微笑む。それを気にする事も、着飾る事もなく。

「私は厳しいですよ?」

「それは承知だ」

「そうですねえ……、領主になるにはもっと勉学に力を入れましょう。切さんも、ですよ?」

「む……?」

背節をぞっとさせる僕に、來嘉と呼ばれる。振り回ると、切も、波墨もこちらを見ていた。頭に疑問を浮かべている僕に、二人が揃ってこう言った。

「ありがとう」

そうして鬼の町は夜が明ける、残酷にも時間が流れ、それでも僕は、この三人と共に生きていきたいと思っている

「こちらこそ、本当にありがとう」

また、いつものように、一日が始まる。

火の粉は、もう散っていた。

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焔、散る。 あはの のちまき @mado63_ize

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