一縷の

Ab

本文



 別れ話をされた途端、彼氏を批判する女性の何と多いことか。

 ネットの掲示板を見ながら私はそう思った。


 一週間前まで私にも彼氏がいた。大学で一番の美女と言われる私と付き合えて本当に幸せだと彼は──橋倉はしくらとおるは付き合い始めた頃に言っていた。


「はい。徹くんの分のお弁当。食べさせてあげようか?」

「え、いいの? ありがたくいただきます!」


 マウスから手を離し、スマホのカメラロールをなぞりながら大切な思い出たちに心を寄せる。

 徹くんは私にとって、本当に大切な彼氏だった。

 作ったご飯は美味しそうに食べてくれて、髪型を変えれば大喜びで褒めてくれて、毎日私に「愛してる」を言ってくれて。

 大学からの帰り道に歩道で撮った写真はどれも、当たり前のように彼が車道側に立っていた。細かいところも自然と気遣ってくれる、理想的な人だった。

 だった?

 違う。今でもきっとそうだ。

 彼以上に優しい人を私は知らない。

 その優しさの矢印は、もう私には向いていないけれど。


「他に好きな人ができた。……別れたい」


「……」


 ありきたりな言葉を最後に、徹くんは私の元を去った。

 なんで?

 どうして?

 別れたくない。

 その一つすら私は口に出せなかった。ましてネット上に蔓延る元彼への罵倒の数々なんて、思い浮かびもしなかった。今でもそれは変わらない。


「他に好きな人ができた」


 そう言った彼の顔は、本当に辛そうだった。


 お互いの愛が冷めたわけでは決してない。

 だって、彼は前日まで私に「愛してる」をくれていたのだから。心がこもっているかいないかなんて二年も付き合った私には一目瞭然で、確実にこもっていた。


 結局、悪いのは私なのだ。


 高校からずっと一緒で、大学に進学してから二年間も付き合っておいて、私と彼は一度も体を重ねていない。

 誠実な彼が浮気をするはずもなく、溜まった欲を私は解消させてあげられなかった。それどころか毎日何時間も見た目に気を遣って、彼に私を愛して良かったって思って欲しくて甘えたり甘えさせたりした挙句、キスを求めて彼の欲を刺激した。

 要するに、掻き立てるだけ掻き立てて、最後の一歩、私は彼の欲を押し留め続けたのだ。


 動画では何度も見た。

 何が起こるかも、どれだけ彼の愛を近くで感じられるかも分かってた。

 でも、いざ雰囲気が出来上がって本番になると、私の肺は決まって凍りついたのだ。


 怖かった。


 大好きな彼が相手なのに。


 泣いてしまった。


 彼なら誰よりも私を大切に、優しくしてくれるってわかっていたのに。


 そのあと一年間も彼は我慢してくれた。

 私から誘わない限り手を出さずにいてくれた。


 それでも私は変われなくて、彼は私の元を去った。

 仕方がないし、当然の選択だろう。

 私たちは二十歳を過ぎたばかりの年齢。今が一番若いときだ。


 仕方がない。

 彼は本当に、何一つ悪くない。


「……ふぅーっ」


 熱くなった目頭を擦って、もう何度目かわからない単語をパソコンに打ち込む。


『元彼 復縁 方法』


 開いたサイトには、決まって同じようなことが書いてある。


『元彼に振られた場合、振られた原因を治してからじゃないと復縁は絶対に叶いません』


 当たり前のことだろう。

 分かっているとも。

 私はただ、彼に体を任せられるようになればいい。

 たったそれだけのことなのに。

 こんなにもまだ彼のことが好きなのに。


 できるだろうか?

 今ならあの恐怖に勝てるだろうか?


「……コホッ」


 思い出すと乾いた咳が出た。

 きっと無理だ、私には。

 なら彼を忘れて前を向けるだろうか?

 無理だ。それだけは絶対に。



 自分の弱さから逃げるようにして、日が変わった今日も私はネットの海を彷徨い続ける。

 情報飽和のこの時代。

 いつか誰かが、私の求める答えを書いてくれますようにと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一縷の Ab @shadow-night

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ