ワイェブ

「あと少しで実が成るわね」


 カカウの樹をじっと眺めていたからだろうか、母が声をかけてきた。


「そうだね……でも、今年は少し少ないかもね」


 そんな事を言いながら、僕はぼんやりしていたことを隠すために小走りで動き出した。


 イシャンには牢獄がなくなっていた。だからなのだろうか、罪人は村から追放するのみに留めるらしい。

 変わったことと言えばそれぐらいで、他はすべて前と同じだ。お母さんが優しいのも、ときたま人が首を吊るのも。……ただ、前回より時間は進行していた。具体的に言うと僕がこの身で体験した時刻までだ。けれど僕はまだ首を吊っていない。お母さんの指定する日程は前回より遅れている。そこは、メチャクチャをやった故の齟齬そご、というやつか。


「よっ!! カカオくん!」

「トゥン爺、こんばんは」


「兄ちゃん!」

「おうビトールこんばんは、ただ何度も言うが、お前の兄ちゃんは僕じゃないぞ」


「いよいよ明日だな」

「あぁ」



 樹の広場に寝かされたチョップの死体はもう頬が腐り始めていた。いや、そんなにじっと見ることは出来ないのだが、遠目でそうわかる色合いだった。あんなに大きかったカカウの樹は体積を減らしに減らして、そう意識しなければ気づかない程度の量の灰になっていた。灰はチョップの体の周りに渦模様を描いて、彼女の死にせめてもの修飾を加えていた。



 道をく人に声を掛けられながら、村の中心を外れていく。

 誰に気づかれていようが関係ない。


 足の裏に力を込める。

 大地の芯を跳ね上げる。


「は――――アッ!」


 だって僕はこんなに速いのだから。

 もう誰も追いつけない。

 いくつもの視線を置き去りにする。痛快すぎて頭がしびれてしまう。


 体がコウモリの羽のように軽い。

 もっと、いける。もっと、速く!


「っ!」


 ……何か、とてつもなく速いものとすれ違ったような感覚を味わった。

 胸元で転がる玉に気づく。

 カカウの実のネックレス。

 貴族が身につけるようなランジェリーが、僕の首にかかっていた。


「っ――――」


 中空の飾りの軽さを指先でもてあそぶ。

 果実に体温が移っていくうちに、体を巡る血流の速度に思い至る。


 まるで拍動のはげしさに驚いたみたいに。

 ネックレスは風に揺られて、僕を次の方角へと導いた。

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拍動 雨間 京_あまい けい @omiotuke1

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