キーミー/差し出す
全ては同時に存在する。
チョップの縊死に立ち会った僕と、『世界の頸動脈』とやらでイシュタムと言葉を交わした僕。2つは重ね合わせの中を生きていた。
「……………………、」
眼軸が揺れるような嘔吐感が蒸し暑い臭気とともに僕の脊髄を焼いた。
森を焼いた報復のように水晶体を刺激する木酢酸にさらされるよりも、もっと、ずっと、生理的な嫌悪の強い涙が
人の死には慣れているつもりだった。あんなに苦しいのは最初だけ。ペックが死んだとき以下の経験など、しなくてもいいと思っていた。軽い安心を得ていたのだ。
死ぬ気はなかった。しかしそれと現実は別の話だ。死ぬ以外の道はない。その諦観を拭い去れていなかった。
だから。それまでの僅かな時間で、誰かを大切に思うようになるなんて、夢にも思っていなかった――。
肉も、骨も、全てが剥離したようだった。重力に見放されているような感覚だった。
何もかもが、噛み合っていなかった。
歯の食い縛りかたも分からずに、裸の赤子のように震えていた。
チョップを殺したのは僕だ。
他のすべての罪を拒絶しても、これだけは決して
自分の運命から逃げ続けた。
何もかもを跳ね除けた。
一度きりの人生だからと、不相応な望みを抱いた。
あまつさえそれを赤の他人と共有した。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)
何もしなかった。全てを人に任せて、命を巻き込んで。それで結局、努力に報いることすら出来なかった。
もう自分自身を大切に思えない。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………)
――――――― ―――――― ―――――― ―――――
長い時間が経ったのか、それとも母が僕のために落ち着く猶予を与えてくれたのか。
やがて、イシャンに立っていた僕は。
観衆のいちばんうしろ、一種の安全地帯から彼女が首を吊る一部始終を見ていた僕は。
ゆっくりと。人を押しのけるように。自分のために道を作れと、そう肩で語るように歩き始めた。トゥン爺さんを倒してしまったりしてけっこう怒られているけれど、もう気にしないしその必要もない。
ただ歩くだけではつまらなかったので、なにか話すことにした。もう終わってしまう命の最期なので、人の記憶に残るものがいい。物質として残るものを作るには
さて、どうすれば皆に覚えてもらえるだろうか。僕が生きていた事実、それから目を背けさせずにいられるだろうか。
長考の末、詩でも即興で吟じてみることにした。
とても難しく、昔の人は偉いなとしみじみする。
それでも自信はそこそこあったので、それなりに語り継がれるんじゃないだろうか。
「 人の得る死は2つある。
心が体を殺すのか、
体が心を殺すのか。
けれど命は1つだけ。
心が体を生かすのだ 」
(ああ、悪くない)
チョップの遺骸に近づいていく。
もう何も話さない口も、瞳も、それらときちんと向き合うのだ。
ネックレスに触れようとするが、高さが足りない。彼女の首から外すどころか、装飾物にすら手が届かない。
そう悩んだときだ。
するり、と。
まるで神が僕の動きを見ているように。ネックレスの紐が彼女の
僕は慌てる間もなく両の手のひらを皿にして、カカウの実を受け止める。
「!」
装飾品には違和感があった。
これまで仮にも僕達をさんざん苦しめた植物と同類だとは思えなかった。
あまりにも、軽い。
(空洞?)
腐敗を防ぐため? いいや違う。
これはネックレスだ。
貨幣でもあるカカウの実をこういう形で利用するには、まだその価値を証明し続けるような状態にしておかなければならない。
中身が詰まったままでも、紐を通すための穴は開く。
つまり。このネックレスには一つの意味がある。
(……ああ、そう、なのか。そうだったんだね、チョップ)
もう前を向くなんてできない。
彼女のことを少しでも思い出してしまえば、今度こそ涙が溢れて止まらなくなる。
だから。別れは、これで最後だ。もうこういう形で済ませていいはずだ。
完熟した果実の重みに耐えかねたつるべのように。
黒曜石の導きを待つ、生贄のように。
命を預けるロープを握り込む。忘れないようにしっかりと。その感触を手のひらのシワに刻みつける。
植物で織られた縄は、未だに誰かのぬくもりを残していた。
すとん、と、落下か上昇か判別の付かない反発が足の裏に返ってくる。
――――――落ちる。
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