たとえ何も言えなくとも

 消し炭になったカカウの大樹を、冷めた目で脇から見つめている。

 灰は強風に押し流され、化け物の吐息模様に名残なごっていた。


「……、」


 村人の視線が私に集まる。私は有象無象にく認識力を切り捨てて、たった一人の少年を探した。


(いない)


 全方位を取り囲む人の壁。これ以上の抵抗は、いかなる種類のものであっても無意味だろう。


 するり、と視界の上から影が降りてきた。細長い、ワームに似た形状の無生物。

 ロープだ。


「ご丁寧に輪っかまで作ってくれやがって」


 どこから降りてきたのか気になったが、上をむこうとすると眩しくて、ろくに何も見えやしなかった。このロープを通している空間には不思議な力が働いているのかも知れない。

 しかし、イシャンの住人には勝手が違うようだった。彼らはそこに何があるかを、きちんと視認してはばからなかった。

 ……彼らは本質的にマヤパンの人々とは別の生き物のように思えた。一人ひとりが面白い顔を持っていて、イシュタムの恩恵にもきちんとあずかっている。しかしそれは羨ましい反面、耐え難い絶望を内包していた。


 最期、だからか。こんな意味のない、どこに出力するものでもない。哲学的な思考に時間を任せられるのは。しかしそれも飽いた。

 もうさっさと、終わりにしてくれたなら――


「チョップ!!」

「…………ふん」


 こうして実際に突きつけられると、自分がそれを期待していたことを最も強烈にわからされている気分だった。決して理想には近くないけれど。全力を傾けた人生の最期としては、及第点ではないだろうか。

 少しだけ、幸せだ。


 まずは息を整えなよ、とぼやいてもよかった。けれど、なぜかだ。この言葉を彼が聞くのは、息の切れている時がいい、そんな風に考えた。


「あぁ。……良かった。話し相手がいなくて、退屈してたんだよ、ボク」

「どう、して――」

「どうして? なぜ抵抗しないのか? 意味がないからさ。なぜキミに協力したのか? キミの言葉には価値が有ったからさ」

「……!」

「おいおい、最期なんだから、自分よりボクを優先させてくれよ。今だけなんだよ、我儘わがままを言えるのは」

「わかった……」


 この戦いに付き合わされた、いや闘いを始めた者として。私には言う権利と義務がある。

 何をしても無駄だったと。

 カカオという命の終わりは、絶対に覆らない未来だと。

 そう、だから。

 どれだけ泣いても、これで最後。

 キミもすぐに私の後を追うのだ。

 いや、もっとハッキリしよう。そうじゃなきゃ、残酷なだけだ。


(――――もう諦めろよ)


「チョップ?」


(――――もう諦めろよ、って)


「しっかり聞くから! ……なにか言ってくれよ!」

「言えるわけないだろ! この野郎!!」


 びくん、と。筋肉が直接、水面のように波打つ感覚があった。

 思考も夜闇のように薄暗くなっていく。恐らくはもう酸素の遮断が始まっているのだろう。そして夜闇に塗れた場所を埋めるように、新しい思考が流れ込んでくる。自殺への憧憬。もはや肉体そのものが、縊死のことにしか反応できなくなっているのだ。

 口が動かない。

 昨晩、あの神をめつけたときに仕掛けられた回帰式。いま、この瞬間、動き始めたのだ。



(……ああいや、それでも、もう片方ひとつ、言いたいことはあったんだけどなぁ)


 この村には誰も私を知る者がいなかった。

 マヤパンがどういう都なのかを知る者でさえ、本当に少なかった。

 だから。私がどんな嘘を吐いても、彼らは全て受け入れてしまう。

 


(そんなに演技が上手い自信、なかったのに)


 最後の言葉は吐き出せない。脳髄の奥に噛み締めるしかない。

 痺れた指先が、微かに感触を教えてくれる。

 今、きっと、私はロープを掴んでいる。


 何にもならない抵抗をすることにした。

 ロープから指を引き剥がす。

 首から垂れる、カカウの実ネックレス

 その温もりに触れるために。


(ボクは)


 観衆がどよめいた気がした。いい気味だと思う。

 そう妄想したときには、既に指は元の位置に戻ってしまっていたが。


(ボクね、本当は奴隷の子なんだよ。

 貴族に飼われていたの。

 どうしても彼女たちを嫌いになれなくて、中途半端な気持ちで逃げ出したんだ)


 視点が前へ動いた。どうやらおしまいらしい。


 ――――落ち













 ――――――― ―――――― ―――――― ―――――


 足元のない空間を歩いている。

 いや、正確に言うと、足場が見えないというのが正しい。

 見下ろすとイシャンや周りのサバンナが小さく映る。

 ひどく硬質な中空を。無機に支配された道程を進んでいた。


 道の奥には神が佇立ちょりつしている。

 まぶたを下ろし、その網膜に僕の姿は映らない。

 頬は赤青黒、まず自然界では見ることのない色が並んでいた。それでいて、少し動くとポロポロと崩れそうに危うい。腐敗しているのだ。

 首に残るのは赤い縄目の跡。象徴を最も表現する具現……索条痕さくじょうこんか。

 


「お母さん」

「……、」


 呼びかけに応えはなかった。


「ここはどこなの?」

「夢の中……とはまた違う。俯瞰の視点だよ。世界を人間に例えると、この場所は頸動脈なの。私に導かれた者は、死の体験の前に、たいていはここを通るのさ」

「じゃあ、どうして僕を呼んだの」

「特に意味はないのだけれど。お母さんね、色んな人と思い出を共有できるこの場所が落ち着くんだ。だからカカオも同じかなと思って。感覚が違ったなら謝るよ」

「いや、いいよ。このままでいい。快不快はともあれ新鮮な気分」

「そりゃよかった」


 空間には壁があるらしかった。それも側面や天井(?)だけではなく、無数・無限に。極めて複雑なベクトルで反射し回った声の振動は、空間全体に粘土粒のような印象を付与している。


「僕は死ぬの?」

「えぇ」


 神が子をはらんだのか、それとも母体が神となったのか。

 いずれにせよ善神の返答はあっけらかんとしていて、後悔や躊躇など微塵も感じさせなかった。ある意味でユカタンの空のように。


「最後だからこんなことを言うけれど……大好きだよ、カカオ。何よりも大切に思ってきた。

 あなたが私の中から出るとき、頭がつっかえてしまってね。一瞬でも辛いのにずっとずっと続いて、あんな痛み二度と味わいたくないと思った。うん、そう、まだ新しい感覚として残ってるんだよ、このお腹に。本当に、こないだ生まれたばかりだって思っていたら――もうこの時間になってしまった。

 いつだったっけね、あなたが自分の最期は自殺だと知ったのは。いや子守唄にも混ぜてはいたのだけど、違うの。、自殺を決意したのは何時のことだったか。

 ……|この村では、死が身近に有りすぎたのかもしれないわね。特別なものという感じがしないもの。神が生まれるのってさ、まず特別なものに対してでしょう? それが原始の信仰というものだったはず。そして次に生まれるのが特別でないけれど大切なもの。この種類は非常に大きな力を持ちやすい傾向にあると思う。トウモロコシの神なんて、主神だしね。どういう生き物なのか想像もつかないけど。とにかく、私自身イシュタムが生を受けたのは死が特別じゃなかったから。ううん、きっと、死を特別にするためなのよ」

「……今日はよく喋るんだね」

「えぇ、もうカカオともお別れだからね、言いたいこと全部言っておかないと! それにほら、今は目を閉じてるから、口がどんどん動いてくれるの。この姿で話すのは初めてよね? それで話を戻すけれど、何もね、死を特別にしたのは私だけじゃない。カカオも十分にやってくれたわ」

「僕が?」

「そう。無意識ではなかったはず。……あなたは、何事に対しても全力で取り組んだ。いいや少し違うな、全力で楽しもうとしたのよ。命という瞬間が激烈であればあるほど、それに結びをつける最期おわりも大きな価値を帯びる。あなたはそれを知っていた。さすが、私の息子だから。サイクル化した日常に飽きることなく、その毎回に別々の反応をするあなたの活発さに救われていた人は多い。もっと自身を持っていいの。カカオ。あなたはいい加減、自分の価値に気づくべきだよ」


 しゅるり、と。

 細長い影が眼前を舞った。


「うん、やっと言えた。とうてい全部には届かないけど、世界樹ヤシュチェへのお土産には適量なんじゃないかな」


 人間が進化の過程で失った器官、すなわち尻尾しっぽを思わせる形状だ。

 振り子のように揺れたあと、いつの間にか出来ている輪がじっと僕を、いやイシャンすべての住民を睥睨していた。

 輪の下端がちょうど見切れ線になって、向こう側から覗くのは母の双眸そうぼうだけだ。世界が僕を手招いていた。早く首を通せ、と。


「さようなら、カカオ。

 お母さんはずっとあなたを視ています。誰よりもあなたの味方ですとも!」

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