4
季節がほんのちょっと過ぎて、風が少し肌寒くなった頃。
俺は、リフィの屋敷へと向かっていた。手には、ピンクを中心にリフィの好きな花ばかりを束ねたかわいらしい花束を持って。
「こんにちは。リフィを迎えに来ました」
大柄な体格をした男が、屋敷の門の前で仁王立ちしている。
「……門限は、きっかり夜の八時だからな。一分たりとも遅れたら、二度とリフィには会わせんからな」
ぎろりと威圧的ににらみつけられるも、神妙な顔つきで「はい。必ず時間までに送り届けます」と答えれば、渋い顔がうなずいた。
リフィの父親とのこのやりとりにも、最近では大分慣れてきた気がする。なんせ毎回同じやりとりを繰り返しているし。
あのガーデンパーティから、もう数ヶ月が過ぎた。
実はあのパーティの後、俺はすぐにリフィの屋敷へと押しかけた。
『どうかもう一度婚約を結び直させてくださいっ! 今度こそ絶対にリフィを泣かせたりしないし、もう二度とリフィを離しませんっ』
そう言って頭を下げた俺の隣で、リフィも一緒になって頭を下げてくれた。
そして開口一番、リフィの父親に大声で怒鳴られた。
『直談判にくるのに半年近くもかかるとは、遅すぎるっ! さっさとこんかっ!』と。
どうやら、実際のところは本気で婚約を解消させる気はなかったらしい。俺にそれだけの覚悟があれば、きっと頭を下げに来るだろうと見込んで。
結局その後すぐに婚約は結び直され、俺とリフィはまた婚約者同士に戻った。
そして今日は、再び婚約者になってから幾度目かのデートの日――。
「お待たせっ! メリル!」
階段をぱたぱたと弾むような足取りで、リフィがかけ下りてくる。
うん。今日もリフィはすこぶるかわいい。
淡いクリームイエローのレースを重ねたドレスがリフィの明るい茶色の目に良く映えるし、髪に結んだリボンが階段を下りる度にぴょこぴょこ跳ねて、まるでうさぎみたいだ。
「メリル君、顔がだらしなくにやけてるぞ。まったく……」
父親に指摘され、慌てて口元を引き締める。
その様子を見ていたリフィの顔が、少しだけ険しくなった。
「あら、お父様。もうお仕事に行かれたのじゃなかったの?」
リフィに問いかけられ、父親は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「ちょうど行こうと思ったところにメリル君が来たから、ちょっと話をしていたんだよ」
「……お父様? もしかしてまた小言を言ってたんじゃないわよね? メリルはちゃんと私を大事にしてくれているんだから、もうあんまり心配しないで?」
娘にそう言われては、少々決まりが悪いらしい。
「わかったわかった。ほら、そろそろ時間なんじゃないか? 劇の開演に遅れるぞ。さっさと行きなさい!」
小さく咳払いすると、やれやれといった表情で馬車を指した。
「はぁい! じゃあ、いってきます」
満面の笑みで俺と手をつないで馬車に乗り込む娘を、なんとも言えない、でもやっぱり嬉しそうな顔で吐息混じりに父親が見送り。
そんな生温い目に見送られながら、俺とリフィはにっこりと微笑み手を取り合って出発するのだった。
それからさらに時が経過して――。
ミコノスの花が盛りを迎えた、雲ひとつなく晴れたある日。
「リフィ? 準備はできた? 花婿さんがお待ちかねよ」
晴れやかな日差しが降り注ぐ部屋の中、リフィは純白のウエディングドレスを身にまとい振り返った。
「はい! 今行きます」
そして、自室のドレッサーの引き出しの奥に手に持っていたものをそっと隠した。
「ここならきっとメリルの目にはつかないし、メリル以外の人が見てもただの小洒落た手鏡にしか見えないもの。大丈夫よね」
リフィの口元に、小さな笑みが浮かぶ。
「まさか、メリルもあの女神に会っていたなんて。なんて不思議な偶然……」
リフィは少し前にメリルが話してくれた、不思議な過去の話を思い返していた。
『信じないと思うけど、実は俺。過去に戻ったことがあるんだ』
『過去に……戻る?』
何かの話の流れでなぜかそんな話になって、思わずドキリとした。
だって、私もほんの数ヶ月前に同じようなことを体験していたから――。
あれは、ある日の夜のこと。
メリルとの婚約がなくなって毎晩泣いてばかりで、でもどうしたらいいのかも分からずに眠れずにいたら、窓辺に女神が現れた。
きれいな長いひらひらとした長衣を着て、宙にふわふわと浮かんでいる女神が。
その女神に、『過去に戻りたいのでしょう? ならこれをどうぞ』と過去に戻れる不思議な手鏡を渡されて。
もちろん、私はその話に飛びついた。
この手鏡を使って過去に戻れば、メリルとの婚約解消がなかったことにできるんじゃないかって思ったから。
でも――。
結局何も変わらなかった。途中で気がついたの。結局は今を変えないと仕方ないんだって。
そういえば、メリルも同じようなことを言っていた。
過去に戻って婚約解消をなかったことにしたかったけど、結局結果は変わらなかったんだって。だから直接私に会いに行って思いを告げようって、決心したんだって。
『過去に戻る必要なんてないんだ。だってもうこうして、ここにリフィがいるからさ。それだけでいいんだ。今と未来があれば、それでいいんだ。今が一番大事なんだからさ』って。
もちろんメリルは過去にどうやって戻ったか、詳しくは教えてくれなかった。
でもきっと、メリルも持っているはず。
ちょっと変わった女神にもらった、あの手鏡を。
「秘密のひとつくらいもってお嫁に行ってもいいわよね。それにもうこれは、ただの手鏡なんだし」
だから、これはメリルに内緒。
女神様にも、他の人には言っちゃだめって口止めされているしね。
リフィはふふっと小さく笑い、引き出しをそっと閉めた。
そして部屋を後にして、花婿の元へと歩き出したのだった。
「おめでとうーっ! メリル! リフィちゃんっ」
リードが手に持っていたかごからミコノスの花びらを手のひらいっぱいにつかむと、勢いよくメリルとリフィに向けて放った。
「ぶわっ! おい、リード! 顔に投げつけるのはやめてくれ。頼むから頭の上にふわっと優しく投げてくれよ」
口の中に盛大に花びらが入り思わず声を上げると、リードが笑いながら頭をかく。
「あっ! ごめんごめん。こうか?」
リードがもう一度手に花びらをつかむと、今度はふんわり花びらが辺り一面に舞った。
ミコノス特有の優しい甘い香りが漂って、花びらがリフィの着ている純白のドレスの上にまるで飾りのようにふわりと乗った。
「いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど本当にうまくいって良かったな。メリル、リフィちゃん。今日は本当に結婚おめでとう!」
ガーランが、心から安堵した様子で祝福すれば。
「本当にリフィちゃん、めちゃくちゃきれいだ! メリルが言ってた通りだ。ミコノスの花が似合うんだね! すっごくかわいいよ」
リードが満面の笑みを浮かべて、これでもかとミコノスの花びらでリフィのまわりを埋めていく。
ちょっとやりすぎじゃないかと思うくらいに。
「二人とももし困ったことがあったら、下手にこじれる前にちゃんと言え。力になってやる」
「そうそう。俺たちは友だちなんだからさ。たまには俺たちともちゃんと会ってくれよ」
眼鏡のつるを指先で直しながらそう言ったトリアスに同意するように、ジーニアがうんうんとうなずく。
今日を無事に迎えることができたのは、この友人たちのおかげだ。こいつらたちが力になると言ってくれなかったら、きっとあのままくじけてまたうじうじと引きこもっていたに違いない。
もちろん、あの女神が一番最初のきっかけを作ってくれたとは思ってるし、感謝もしてるけど。
結局手鏡は、あんまり役には立たなかったからさ。
「ああ。本当に色々ありがとうな。お前たちの助けがなかったら、きっと今日を迎えられなかったかもしれないからな。本当に感謝してるよ。俺もお前たちが困ったときにはいつでも助けに行くから、呼んでくれよな」
そう頭を下げれば、個性的だけど皆気のいい友人たちは照れくさそうに笑った。
「さ! 今日は君たちの門出だ。盛大に祝おうぜ!」
「賛成ーっ!」
「じゃあ俺手品やるっ!」
「絶対それスベるだろ……。止めとけ、リード」
「ええーっ? 自信あるのにぃ」
家族や友人たちにあたたかく見守られ、今日からまた俺とリフィの新しい運命がはじまっていく。
絶対に幸せにするぞ、という強い意気込みの裏に、ほんの少しの不安はあるけど。
でも、決めたんだ。絶対にリフィと幸せに生涯を生きていくんだって。
大変なことや上手くいかないことはこれからもたくさん起こるだろうけど、それに折れたりしない。
だって、隣にはいつだってこうして大好きな人がいてくれるんだから――。
そんな二人を、あの女神がにこにこと微笑みながら空から眺めていた。
「まさかあの二人が仲違い中の恋人同士だったなんてね。データを見てびっくりしちゃった。でも……」
女神がくすり、と笑う。
「でもまあ、手鏡が役に立ったってことにしておいていいわよね。だって、最終的にこうしてくっついたんだもの」
そうつぶやくと、眼下のにぎやかな祝いの席を嬉しそうに眺め渡した。
「不器用で似た者同士なお二人さんに、これからもたくさんの祝福が花のように振り注ぎますように」
女神が両手を広げふうっと息を吹きかけると、そこからたくさんのミコノスの花が生まれ、眼下の二人へと風にのってふわりふわりと降り注いでいく。
ミコノスの小さな花たちが、空を薄桃色に染めながら風に舞い踊る。
それを驚いたように目をまん丸にして見上げる、メリルとリフィたち。
どこまでも晴れ渡る青空と花びらの風に、女神は満足そうに微笑むと消えていったのだった。
女神が過去をやり直せる手鏡をくれたので、婚約解消された元婚約者に今度こそ愛を乞うことにした あゆみノワ☆書籍『完全別居〜』発売中 @yaneurakurumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます