ある日、天使に触れたんだ

 甲高い発車のベルが鳴った。

 ボクを乗せた午前6時半の電車は、渋谷へとゆっくりと出発した。

 

 列車は歪な音を立て、かすかに揺れた。


 それにしても今日は平日だというのに、なぜかやけに乗客が少ない。

 

 だから、彼女——天野ヒカリがいることにすぐに気がついてしまった。


 どうやら彼女もまたボクの存在に気がついたらしい。

 赤い瞳が若干大きくなって、驚きの表情をした。

 

 銀色の長い髪がふわふわと揺れて、足早にボクの座る席の前まで来た。


「岩戸黒斗くんっ!」

「……天野ヒカリ」

「うん、久しぶり」

「何か用?」

「見かけたから声をかけただけ……かな」

「そうか」

「それに友だちに話しかけるのに理由って必要ないでしょ」

「……友だち」 


 高校の頃からの同級生——天野ヒカリは相変わらず端正な顔で言った。

 人を惹きつける天才。

 誰からも必要とされ続ける天才。


 高校の頃は校内中の人気者であり、芸能関係にもスカウトされていた女の子。

 大学でもまた同じように様々な人から声をかけれ、そこにいるだけで周囲を明るくさせる存在。

 常に誰からも必要とされる人。

 必要とされ続けることが当たり前で、何かを持っている存在。

 

 ボクという無価値な存在とは対照的な価値のある存在だ。


 そんな彼女がボクの前に立ちはだかった。

 なんの因果か。

 

 これから世界を書き換える手前で、邪魔が入ってしまった。

 それもボクが最も苦手とする人物との再会というイベントによって……最悪だ。

 いや災厄とでも言ったほうが正しいかもしれない。


「そう、友だち」

「久々にあった同級生の間違いだろ」

「まあ、そうとも表現するかもねー」


 銀色の長い髪をかきあげて、天野ヒカリはじっと見つめた。

 幸にして早朝の車内はまだ閑散としている。

 隣の席は空いている。でもなぜか立ったままだ。じっとしたまま目の前から動こうとしない。


 それになぜだろう。

 ボクのことを見透かしている気がした。赤い瞳がボクのことを捉えている、それだけのことなのに……まるでボクの内側を全て覗くことのできる特別な力でも秘められているんじゃないかと思えた。


「でも、今日からは違うかもね」

「……はい?」

「私、君のこと好きなの」

「それは……また唐突だな」


 意味がわからない。

 早朝の閑散とした電車内で告白されるとは思ってもみなかった。

 

 いや思い返せば天野ヒカリという女の子は高校の頃からずっと唐突な人だった。


 高校の頃、初めて出会った時だ。

 面倒な掃除当番を押し付けられて、一人でいそいそと取り組んでいる時だ。

 唐突に室内に現れたと思ったら『ごめん、私たち閉じ込められちゃったみたい』などと三流ラブコメのようなシュチュエーションに巻き込まれた。


 それ以来、校内でたまに話すようになった。

 と言ってもいつも彼女の周りには人がいた。

 だからこそ本当になんで彼女がそこまでボクのことを気にかけるのか甚だ疑問だったわけだが……。


 そんなことが脳裏に浮かんでいたが、天野ヒカリは少し怒ったような顔になった。


「唐突?君だって私の気持ちに気がついていたでしょ?それでいて知らないふりをしていただけでしょ?」

「……そんなことはない」

「でも、明らかに私に見せつけるようにして、別の女の子と付き合っていたよね?」

「見せびらかそうだなんて思っていなかったし、たまたま——」

「別にそれはいいの。過ぎたことだから……でも、勝手に私のことを助けておいて、勝手にいなくなるのは卑怯じゃないかな?」


 『勝手に助けておいて』という言葉。

 確かにかつてボクは彼女のことを偶然にも暴漢から助けたことがあった。

 でもそんなのは、ボクでなくても誰だってするだろう当然の善行だろう。


「助けてなんていないだろ。ただあの日——天文学サークルの帰り道で、あんたの後ろを変な人がいたから、それに気がついただけの話だし」

「でも君のおかげで現行犯でストーカーを警察に突き出すことができたのは事実だし、それに……好きな人に助けられたら、もっと好きになっちゃうでしょ?」

「……」


 『でしょ?』なんて聞き返されても困るのだが。

 流石にいくらボクにとって苦手な人であっても目の前で暴漢に何かされるかもしれないのであれば助けるに決まっている。ただそれだけの話だ。


 ……てか、彼女がボクのことを好きなんて思ってもみなかった。

 いや、一度だけそれらしい雰囲気を感じたことがあった気もするが、ただの自惚だと思っていた。

 

 だってそうだろ?

 芸能人になれるほどの美人がボクのことを好きになるなんて何かの間違いだって思うのが当然だ。


 それに……彼女と一緒にいると、ボクが何も持っていないことが浮き彫りになるような気がした。ボクがひどく矮小な人間であることがわかってしまう。


 だから彼女のことが苦手だった。


 でも彼女はボクに近づいてきた。

 ボクの後ろめたい思いなんて歯牙にもかけずに、優雅にそして時に大胆に彼女はまっすぐとその大きな赤い瞳を向ける。


「あ、それとさ……そのスマホ貸して」

「なぜ?」

「スマホ無くしちゃったから、電話をかけたいの」

「……わかった」


 ヒカリは何かしらの力でも使ったのだろうか。

 ボクは拒否することのできなかった。


 ……力とはなんだ。

 そもそも、なぜヒカリはこの場所にいるんだ?

 あれ、ボクは一体全体何をしようとしていたんだっけ?


 その時、電車が止まった。

 いつの間にか駅に着いたようだ。


 時間の流れがおかしい。こんなにも早く渋谷に着くことなんてあるだろうか。


 その時、車内で悲鳴のような声が上がった。

 数羽のカラスと三毛猫が車内に入り込んできたらしい。

 車内は騒然とした。

 

 でも、そんなことなんて気にならないくらいに、ヒカリはボクから半ば強引に奪ったスマホを操作して何かをしていた。そして数秒してすぐに動きを止めた。


「うん、これでいいのかな?」

「なぜ疑問系?」

「ううん、なんでもないの。はい、スマホありがと」


 そう言って、ヒカリはボクへスマホを差し出した。


「キミがこの世界にいる理由——見つかったでしょ?」


 窓から太陽の光が眩しいほど差し込みボクの視界を覆った。

 乱反射してキラキラと車内にいるボクと彼女を包んだ気がした。


 もう少しだけこの世界にいたいと思った。

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【短編】ボクのテロリズムあるい彼女とのラブコメ 渡月鏡花 @togetsu_kyouka

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