#75 老いたる竜は道を忘れず。
――業務連絡ッ!
王宮の外に出ると、日は沈みかけ、景色はオレンジ色に染まっていた。
王宮の外には高い塀がある。
奈落に封印された魔物が侵入できないように、しっかりと王宮を囲っている。
その塀の外に、邪竜ニーズヘッグは居た。
黒い巨体は夕日に照らされて、その何倍も大きな影を作り出している。
足元には黄昏で金色の髪がさらに輝きを増す魔王さん。
鼻歌を奏でながら、笑顔でこちらに歩いてきている。
散歩から帰ってきたんだろうか。
邪竜さんの首には紫色のオーラを放つリードが、しっかりと巻かれている。
んん、紫色のオーラ?
なんだろう、この既視感は。
魔王さんは私に気付くと右手をめいいっぱい振り、声を上げる。
「奈落ちゃん! おはようー!」
「おお、ちい子ちゃんじゃ! 元気そうじゃなあ! ウオッホッホッホ!」
私も「おはようございます」と小さく手を振ってみる。
となりからひゅんひゅんと音がするので視線を向けると、ティルが激しいメトロノームのように刀身を揺らしていた。
……手を振っているつもりだろうか。
邪竜さんもすごく元気そうで良かった。
ただ首に巻かれている黒いリード。
近くで見るとそれってやっぱり……。
「あのー。邪竜さんの首に巻かれているの、すごく見覚えがあるのですが。それって……」
「うん! 魔縄だよ!」
魔王さんは金色の髪を揺らしながら、満面の笑みで応えた。
かわいい。
じゃなくって!
や、やっぱり!!
え、だ、大丈夫なの邪竜さん!?
私が口を開けてわたわたしていると、邪竜さんはそれを察してか「ウオッホッホッホ」と笑い声を漏らす。
「大丈夫じゃよちい子ちゃん。カワイ子ちゃんに首輪を付けられ、しかもこの刺激! むうう、たまらん!!」
変態だった。
でも魔縄なんていったいどこから?
全部使い果たしたと思ってたのに。
なんて黒いリードを見つめていると、魔王さんは息を吹きかけて魔縄を消してしまった。
「これ、わたしが作った魔縄なの。だから安心して。拘束する力はあっても、魔力を吸い取ったりするような刺激は無いから」
え!?
魔王さんが作った魔縄!?
「ロキの魔法を見よう見まねで試したら、出来ちゃった! ふひひ」
見よう見まねで魔縄を!?
すすすすすごい!!
やっぱり魔王さんは天才ッ!
強くて可愛くて美人で天才で可愛いッ!!
……てゆーか、私はここに何しに来たんだっけ。
「こうして三人でおると、泉でのことを思い出すのう。まだ一日くらいしか経っとらんが、随分前の事の様に感じるのう~」
あ、そうだ。
邪竜さんに会いに来たんだった。
あの戦いに勝てたのは邪竜さんが助けてくれたからだし、おまけに奈落の外へ連れて行ってくれるなんて、本当に感謝しかない。
その節はありがとうございました。
という想いを込めて、私はぺこりとお辞儀をする。
「あの、ちなみにいつ発ちますか? 準備しないと……」
「そう焦らずともよい。お互いボロボロじゃし、今は傷を癒そうぞ。奈落を抜ける時に、監視者からの妨害が入るじゃろうしのう」
奈落の監視者……。
『――……御前たちは奈落を出るつもりなのだろう。我々は奈落の監視者。封印された魔物を監視するのが我らの務め』
『――奈落を出るなら全力で阻止するよ! キャハハ♪』
フギンさん、ムニンさん……。
ふと、夕暮れに染まる空を見上げる。
黄金に染まった雲に、二人の姿は無い。
いつもなら、このくらいの時間にカーカー鳴いてたんだけどな。
「そういえば、ロキって結局なにがしたかったのかな? おじいちゃんと喧嘩してたけど」
魔王さんが口元に人差し指を当てて、首をかしげる。
うんうん、それは未だに分からない。
予言や器、世界のへんかんとかも言ってたっけ。
邪竜さんなら何か知ってそうだよね。
私たちの視線を浴び、その赤くて大きい瞳をぱちくりさせて口を開く。
「いやもう全然分からん。ちょー意味不明。とりあえずぼっぴんちゃんを狙ってたことだけは分かったけどの。マジでキモかったわい」
私と知識の量が全然変わらん!
そっかあ、邪竜さんでも分からないのか。
ロキがまだ生きていて魔王さんを狙うつもりなら、色々と知っておきたいんだけどなあ。
逆にガルム紳士の方が知ってるかな?
ロキの本体を知ってるみたいだったし。
「おじいちゃんも知らないんだね。てゆーか、ぼっぴんちゃんてわたしのこと?」
ええええ!?
いまさら!?
あれ。
ちょっと待って。
邪竜さんって私の事もちい子ちゃんて呼んでる気がする。
魔王さんのことはぼっぴんちゃん。
これは『ぼいんのべっぴんちゃん』の略。
じゃあちい子ちゃんは?
『――ちんちくりんのカワイ子ちゃんや』
これかッ!!
「あのー、邪竜さん」
「むう、なんじゃちい子ちゃん?」
「くっ。……私のことはちい子ちゃんではなく、ボイン子ちゃんと呼んでみるのがいいかもしれません」
「ウオッホッホッホ! 冗談は服だけでよい。お主はどうみてもちい子ちゃんじゃあ!」
くそうッ!
駄目かッ!!
あ!
そうだ!
もう一つあった!
私がここに来た理由!
サードステラさん!!
そうだ!
もうこれからはステラさんって呼ぶんだ!
「あああああの!!」
「ん?」
「すっすすっすー」
ああああ、なんかわかんないけど緊張して来たああああ!
落ち着けラクナッ!!
銅メダルを手に入れて、私は表彰台に立つんだッ!
《ハハハハハ! 急にどうしたんだよ相棒!》
「ちょちょ! ちょっと静かに!!」
「え? 奈落ちゃんしか喋ってないよ?」
「ああああ、そうでしたッ!!」
そうだ、ティルの声は私にしか聞こえていないんだった!!
「ウオッホッホッホ! ちい子ちゃん、いったいどうしたんじゃ?」
「あ、大丈夫だよおじいちゃん。奈落ちゃんはいつもこんな感じだから!」
ああああ、それはそれで嫌だああ!
お、落ち着こう!
深呼吸!
ステラ!
ステラって言うだけ!
よーし!
「すすすすてすすて――」
「――おーい!!」
遠くから呼びかける様な声が聞こえる。
どすどすと重い足音と共に、青い大狼がこちらへ向かって走ってきていた。
フェンリル!?
そのまま猛スピードでこちらへ突っ込むと、私たちの目の前で急ブレーキ。
その勢いで大量にはねた泥を、私は全身で浴びた。
「いやああああああッ!!」
泥まみれになって、その場にへたり込む。
どうして……。
どうして……。
フェンリルは申し訳なさそうに私を見下ろしている。
「あ、悪い……。ちょっと急いでたからよ……」
「……いまサードステラさんの途中だったでしょうがッ!!」
「なんだサードステラって? 何にキレてんだ?」
あれ、待って。
フェンリルってアリスと一緒にパトロールに行ってたんじゃないの?
フェンリルひとり?
私が口を開けたまま見上げていると、それを察してかフェンリルは顔を横に向ける。
「テメェの妹は塀の向こうだ。たぶん元気そうな
すごい詳しく解説してくれてる!
まあいつも通りでよかった。
フェンリルは「そんなことより」と前置きして自分の背を見せる。
そこには二羽のカラスが乗っていた。
青と緑の、ワタリガラスが。
「魔王、テメェの推測通りだ。とりあえずコイツらを中に運ぶぞ!」
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