#70 降り注ぐ瞬きは、星の明滅みたいに輝いて。

 ――おい!


 

 ……。


 

 ――おい、貴様! いつまで寝てやがる!


 

 …………ん?


 

 ――いい加減、目を覚ましやがれえ!!



 



 ふと、誰かに呼ばれた気がして目を覚ます。

 視界には金色に輝く雲が広がっていて、雲間から光が差し込んでいる。

 ぽつぽつと降る雨粒が、光に照らされてキラキラ輝いていた。

 

 草の匂いがする。

 そうだ、ここは泉の草原。

 あの後、どうなった……?


《よう、気が付いたか相棒!》


 この声は、ティルフィング。

 そうか、さっきまで私を呼んでくれていたのも……!


「目が覚めたようだね、勇者」


 別の声がして視線を向ける。

 声の主は、笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。


 ……ロキ!


 私は仰向けの体を起こそうとするが、その瞬間からだ中に激痛が走った。

 立ち上がれず、なんとか上体だけを起こす。


《安心しろ、そいつにもう何かをするだけの力は残っちゃいねえ。つーか、しようとしたら叩ッ斬る!》


 ティルフィングは私のすぐ横に転がっていたが、空中に浮かび上がると一回転して地面に突き刺さった。

 この剣は自分の意志で自由に動けるみたい。


「君は……どうして最後の一撃で、急所を外したんだい?」


 ロキは私の顔を覗き込みながら問いかける。


 あの時は無我夢中で太陽を追いかけた。

 でも最後の瞬間、ロキの言葉を思い出したんだ。


「……あなたが、魔王さんの味方だって言ったからです」

「……え?」

「……それなら、私と気持ちは一緒だから……。もしかしたら分かり合えるかもって……」


 ロキは、私の言葉に目を丸くする。

 そして暫くして、思い切り笑い始めた。


「くくくく……ハハハハハ! あんな殺し合いをしている最中さなかで!? 嘘だろう!?」

「……嘘じゃ……ないです……私は……」

 

「……君は、本当に面白いね。……やっぱり器と一緒に君も誘い出して正解だった」


 そう言うと、ロキはくるりと反転して背を向けた。


「……カラスやニーズヘッグが、命を懸けてまで君を助けようとした気持ち……少し、分かった気がするよ」


 徐々に、ロキの体が黒く染まっていく。


「ロキ……その体は……?」

「わざわざ急所を外して生かしてくれたところ悪いんだけど、僕は最後の魔法で魔力を使い果たしてしまったのさ」


 黒く染まったその体は、少しずつ灰のように、風にさらわれていく。


 ……どうして?

 ……魔力を使い果たしても、人間は死なないって……。

 ……ロキは魔物だったってことなの……?


「僕は器を守るために魔物を作り出し、彼女を魔王にして守らせた。近づく危険は僕自ら排除した。とまあ、裏で色々とやっていたんだけど。皮肉にも、魔王の守護者として僕よりも相応しい者が勇者だったとは。……まあ、器の守護者が僕から君に変わっただけ、とも言える……」


 そして振り返ったその表情は、目を細めて口角を上げた笑み。

 何度も見た不敵な笑顔だった。


「君の勝ちさ、勇者。だから守り抜いてくれよ。ムスペル族が世界を滅ぼす、その日まで。……ま、君なら言われなくてもそうするか……」

「ロ、ロキ! 待ってください!」

 

 黒く、崩れていく。

 灰になった体は、風に乗って空高く舞い上がっていった。


 ……ロキ。

 あなたの目的は、いったい何だったの……?


 予言って……?

 世界の滅亡って……?


《よう相棒! 感傷に浸ってる暇なんてねえぜ! 俺様の魔力を分けてやるから、とりあえず立て!》


「あ、ありがとう、ティルフィングさん」


《ようよう、昔みたいにティルって呼んでくれ! ま、もしくは相棒でもいいぜえ! へへっ!》


「う……ぜ、善処します」


 相棒はちょっと恥ずかしい。

 なんなら、ほとんど初対面でティルって呼ぶのも恥ずかしいんだけど……。

 ……いや、剣に人見知りしてる私って……。


 とりあえず私はティルフィングのお陰で立ち上がった。

 体はやっぱりあちこち痛い。

 そりゃあそうだ、あちこち穴だらけだもん。

 いたたたた……。


 真っ赤に染まった泉には、邪竜が倒れている。

 大きく広げていた翼も、力なく泉に浸かっていた。


 最後、邪竜が助けてくれていなかったら、ロキに逃げられていただろう。

 

「……邪竜さん……ありがとうございました」


「……カワイ子ちゃんの頼みなら、なんでも聞いちゃうぞい! ウオッホッホッホ!」


 うわああ!

 しゃべった!?


「……死んだと思ったかの? まだまだ若いもんには負けんぞいッ!」


 ぐったりとはしているものの、大口を開けて笑っている。


 よ、よかった。

 本当に大丈夫そう。


「儂は最凶で最強なんじゃあ、気にせんでよい。それよりも、せっかく救ったんじゃ。はようぼっぴんちゃんを見てやりなさい」

「……あ、はい!」


 私は泉の近くに横たわる魔王さんへ駆け寄る。

 魔縄が消えていない。


「ティルフィング、お願いできますか!」


《ったりめーよ!》


 ティルフィングが私のところまで飛んでくる。

 キャッチして、そのまま魔王さんを縛る魔縄を斬った。


 パサリ。


 まだ、意識は戻らない。


《ま、少しすりゃ目を覚ますだろ》

 

 うん。

 ……よかった。

 ……本当によかった。


 私は、とつぜん全身の力が抜けて、草原に尻もちをついた。


 いたた……。


《ハハハハハ、貴様もボロボロだろう。よく頑張ったな》


「……いえ……あなたが助けに来てくれなかったら、私も魔王さんもどうなっていたか……本当にありがとうございます」


《言ったろ、友を助けるのは当たり前だって。そしてそれを教えてくれた貴様も、見事に友を救った。だからそんな顔すんなよ、相棒≫


「……はい」


《ま、俺様が助けに来れたのは、相棒に力が戻って俺様の呼びかけに返事をしてくれたお陰で、居場所が分かったからなんだけどな! ハハハハハ!》


 、かあ……。

 その言葉の意味は、まだよく分かんないな……。


 そういえば、ティルフィングは今までどこに居たんだろう。

 もしかして、魔王城にずっと置き去りになってたんだろうか。

 空から降ってきたし。


 ……まあ、とりあえず今はいっか。

 

 ……それにしても、大変だったな。

 

 ……本当は奈落脱出の道具を作るための素材を取りに来ただけなのに。


 ……素材はここには無くて。


 ……それどころか魔王さんをおびき出すための嘘で。


 ……ラタトスクも、けっきょく偽物で。


 ……。


 ……フギンさんも、ムニンさんも、大丈夫……なのかな……。


 ……。


 ……ぜんぶ、台無しになっちゃったなあ……。


 ……。


 空を見上げる。

 未だ、降りやまない雨。

 金色に輝く雲間から、光は差し込んでいるはずなのに。

 

 初めて見る奈落の雨は、まるで誰かの涙みたいだった。


「ウオッホッホッホ」


 後ろから、笑い声が聞こえて振り向く。

 邪竜が、こちらを見下ろしている。


「そういえば、カワイ子ちゃんたちは、素材がどうとか言うとったのう?」

「……はい。奈落を抜けるための道具を作ってもらう為に、必要な素材を貰うはずだったんです」


 邪竜は目を瞑り、相槌を打つように首を上下に振る。


「なるほど、奈落を抜けようとしておったんじゃな」

「……はい。ただ、結局ロキが仕組んだ罠だったので……ぜんぶ振り出しに戻っちゃいました……」


 邪竜はまたも大口を開けて笑い出した。


 うう。

 こっちは笑い事じゃないっていうのに。


「振り出し、ではないかもしれんぞい?」

「……え?」

「我が友の遺志。そして何より、儂が勇者と魔王のファンになってしもうたからのう!」


 そう言うと、大きい漆黒の翼をめいいっぱい広げて見せる。


「儂が連れて行ってやるぞい! 二人を奈落の外へ! この翼でのう!!」


 弾けた雨粒たちは、光に照らされキラキラと舞う。


 降り注ぐまたたきは、星の明滅みたいに輝いて。


 乱反射したその煌めきたちは、やがて美しい虹となった。




 

 

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