#69 燦 -éclair-

 ――C-side.


 勇者ラクナは、ゆっくりと剣を引き抜いた。


 雲間から差す光は、まるで讃えるかのように勇者を照らす。


 その輝く銀色の髪を、鎧を、剣を。

 ロキは目を細めながら見つめていた。

 そして、初めて両手を構え、戦いの態勢をとる。

 今までの様な、舐めた戦いは出来ないと直感したからだ。


 対するラクナは、ぶつぶつと何かを呟いている。

 剣に視線を送り、まるで誰かと会話しているかのように。


「分かりました。いきましょう」


 ラクナは小さく頷くと、視線と剣を前方へ移し、姿勢を低く構えた。


 次の瞬間、ロキの目が光り、広範囲に魔法陣が敷かれる。


 ――と、同時にラクナは地面を抉るほど思いきり蹴って、光の速さで間合いを詰める。


 黒い針を避けながら、とにかく前へ進む。

 無尽蔵に地面から出る針は、全てを避けきることは出来ずに、ラクナの体を傷つけていく。


 それでも、彼女は前へ進む。


 目の前で苦しむ友を、救う為に。


 攻撃を避けながら、時に後退しながら、それでも徐々にロキとの距離は縮んでいく。


 ロキはその鬼神の様なさまを見つめ、初めて冷たい汗が頬をつたった。

 先ほどまでの勇者とはまるで別人なのだ。

 


『――きっと神具を手にしたり、アースガルズによく似たこの神域の力で、君の力が徐々に戻ってきているんじゃないかな』



 自身が口にしたその言葉を、今は身をもって体感することになった。


 しかし、未だロキの優位に変わりはない。

 魔縄で縛ってしまえば、その時点で勝利が確定するのだから。


 そして無数の黒い針をラクナが避けた瞬間、針はしなり、縄に姿を変え、囲む。

 姿が見えなくなるほど縄に包まれ、あっという間に縛られた。


 ――かに見えた。


 黒い縄に、光の斬撃が走り、はらりと地面に落ちた後、灰のように風に乗って消えていった。


 そして再びラクナは走り出す。


 黒い針は避け、縄状になれば一閃に伏す。


 完全にロキの魔法の特性を、性質を、読み切っていた。

 


 そしてそれを悟ったロキの表情は、笑っていた。

 


 余裕からではない。

 恐怖から、自然と笑みが湧きたっていた。

 全力を振るっても止まることのない目の前の鬼神。

 ついさっきまで、児戯にも満たない戦いをしていた相手に、初めて恐怖を感じたのだ。


「これは……面白いことになった……!」

 

 ラクナは傷だらけになりながら、それでも前に進み続け、いよいよその剣が届く。

 その距離。

 その間合いに、ラクナは剣を払った。

 

 そしてロキは。


 後ろへ飛んだ。


 負けを、確信したのだ。


「……悪いけど、僕はこんなところで死ぬわけにはいかない……!」


 追撃するラクナに向けて、全力で魔法陣が敷かれる。

 もはや攻撃ではなく、足止めのため。


「……じゃあね勇者、楽しかったよ。この続きは、また今度……」


 ラクナはその銀色の髪を自分の鮮血で染めながら、それでも前に進む。

 そして、咆哮した。


「……うぅぅぅうううううッ!! 逃げるなあああああッ!!」


 ロキの体が宙に浮く。

 そして、付随するように、魔縄で縛られた魔王も共に征く。

 

 ラクナは血で、涙で、景色を歪ませながら、喚き散らしながら、がむしゃらに友の元へと急ぐ。


 そして、ロキがいつもの笑みを浮かべた。


 が。


 すぐに、その笑みは消えた。


 突然、体は動かず、浮かび上がった体は、まるで押さえつけられたように、泉へ戻される。


 そしてロキは振り返る。


 そこには、赤い瞳をした巨躯、最凶の邪竜ニーズヘッグが、血まみれになりながらロキを鷲掴みにし、見下ろしていた。


「ウァッハッハッハ! 残念じゃったなあ、小童こわっぱぁ!」


「……死に損ないが……!!……くそ……離せえぇ!!」


 ロキは超広範囲の魔法陣を敷く。


 無数の黒い針はラクナをも襲い、邪竜の体を幾重にも貫いた。


 それでも、邪竜は離さない。

 串刺しになりながらも、血まみれになりながらも、大口を開けて笑う。


「離さんよお! なんせ儂は、なんじゃからなあ!」


 ロキは逃れるために、尚も魔法陣を敷き続ける。

 まるで暴走したかのように、見境なく、泉の周りの木々も、動物も、世界樹の根さえも巻き込まれていく。


 邪竜はさらに黒い針を受けたが、それでも絶対に離そうとはしなかった。

 全身から流れる血は、フヴェルゲルミルの泉を真っ赤に染める。

 もはや、生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 それでも、怨敵おんてきを押さえる腕は、一切緩むことはない。


 ロキは身動きが取れぬまま、まるで生気のない邪竜を見上げる。

 赤い瞳に光は無く、血のように黒く沈んでいる。

 しかし、目が合うと、ゆっくり口を開いた。


「……最後に……お主の敗因を教えてやろう……」

「……なんだと?」


 邪竜はいつものように「ウオッホッホ」と笑い、その大きな黒い翼を広げた。


「あの子は優しく思いやりがあるからこそ、周りから愛され手を差し伸べられる。……対してお主は、利己的で他人のことなどお構いなし。挙句の果てに孤立し、誰の助けも得られない――」


「……黙れ」


「――だからお主は、負けるんじゃ!!」


「黙れッ!!」


 そしてロキは、もう一度、魔法陣を敷く。


 今までよりも大きく、禍々しい。


 黒い輝きと共に、無数の黒い針と魔縄を同時に発生させた。


 あまりに強力な魔法に、泉は波打ち、地鳴りが起きる。


 それでもラクナは止まらない。

 縄を切り払い、更に傷だらけになろうとも。


 目の前の、友達を救う為に。


「ウァッハッハッハ! いけえ勇者ぁ! 魔王を救えぇ!!」


「ううううううああああああああああッ!!」















 ◇ ◇ ◇

 ◆ ◆ ◆

 ◆ ◆ ◆



 ――突然、ラクナの目の前が真っ暗になった。


 ロキの魔法ではない。


 彼女の体はもう、限界だったのだ。


 体はよろめき、足は体を支えているだけで今にも崩れそうだった。


 あと数歩。


 いや、あと一歩でもいい。


 前に進めたら。


 その刃は、ロキに届いたかもしれないのに。







 












 ラクナは最後の力を振り絞り、想像した。



『――人間は太陽の光が必要だって本で見たから』



 ラクナにとって一番ひつような、太陽を。


 











 




 



『――奈落ちゃん、大丈夫?』




 

 

 



 








 

 


 真っ暗闇の中に、一筋の光が差し込む。

 暖かくて眩しい、ラクナの太陽。



『――ほら、握手』



 ラクナは、進む。

 太陽が、手を差し伸べる方へ。



 ◆ ◆ ◆

 ◆ ◆ ◆

 ◇ ◇ ◇


 ◇ ◇ ◇

 


 




 そして――。







 


 

 私に世界は救えない。

 

 それなら、せめて。

 

 そう誓った刃は、とうとう、届いた。


 血を流し、涙を流し、不格好にも伸ばしたその手は、その剣は、敵の体を貫いた。





 

 

 勇者は、友達を救ったのだ。





 





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