#65 フヴェルゲルミルの泉。

 ――業務連絡ッ!


 ぴかぴかのイノシシに乗って、邪竜の待つ泉へ向かっています!

 イノシシのスピードはとんでもなく、前にフェンリルの上で魔王さんがターボした時よりも速い。


 魔王さんの後ろにつかまる私は、なびく金色の髪でぺしぺし顔をはたかれている。

 景色はなにも見えない。

 でも目を瞑ればまるでバラに包まれているみたい。

 顔の痛みも、バラの棘だと思えば愛おしい。

 ね!


「君は、どうして魔王と一緒にいるんだい? 勇者は、魔王を倒すのが使命のはずだろう?」


 私の後ろに乗るラタトクスが、とつぜん質問を投げかけて来た。


 なんで今更そんなこと?

 

 あ。

 でも初めて会った時は魔王さんと一緒じゃなかったんだっけ。


「もちろん最初はそのつもりでしたよ。でも一緒に奈落へ落ちて、お互いのことを知って。そしたら大好きになっちゃったんです。魔王さんはキラキラでふわふわで明るくて眩しくて。そんな人を倒す理由なんてもうないです」


 私の返事に「ふーん」とだけ返すと、ラタトスクは静かになった。


 むむ。

 なんだか真面目に答えたのに、すごく恥ずかしくなってきた。


「君は、倒すんじゃなく救うんだね」

「そうですよ。だって私は――」

「じゃあ例えば、魔王を倒さないと世界が滅びるとしたら。君はどうする?」


 え。

 魔王さんを倒さないと世界が滅びる?

 つまり魔王さんを倒せば世界が救える?


 なんて二択を迫るのよ。


「君は勇者だ。さすがに魔王を倒すよね?」

「……いえ」

「……まさか、世界を滅ぼす方を選ぶのかい?」

「……選ぶかも、しれません。私は、世界を救えない代わりに、友達を救うと決めたので」


 後ろから、ラタトスクのため息が聞こえる。


 あれ。

 なんか、がっかりされた?


 まあ確かによく考えたら、世界が滅んでも友達を救うって、とんでもない勇者だ。

 勇者失格だ。



『おい、こいつ世界を滅ぼしてでも魔王を救うって言ってるぞ!』

『どんな勇者だよ! おい、こいつをはりつけにしろ!』

「うううう。魔王さん万歳! 魔王さん万歳!」

『おい勇者がなんか言ってるぞ! こいつ魔王の手下だ!』



 あれっ。

 奈落に落とされたときと、流れが一緒だぞ。


「君、昔と比べて随分変わったね。これは面白いものが見れそうだ」


 え!

 面白いですか?

 良かったあ。えへ。


 ん?


 昔って、なんのこと?


「昔の君は誰も信用していない感じがして、僕はとても親近感を覚えていたのさ。代わりに馬や鹿、石ころに話しかける君を見て、その不気味さに痺れたものだよ」


 なにい!

 なぜこのリスは、私がむかし友達がいなくて蟻の行列に話しかけていたことを知っているッ!?

 

「ちょちょちょい、リスさん、あのッ!」

「さあ二人とも。目的地に到着したよ」


 ――ブルルルゥゥゥン!


 突然、イノシシが急ブレーキをかける。

 リスにかまけていた私は、放物線を描くように放り出された。


「いやあああああ!」


 ドスンと背中から地面に落ちる。

 いたい。

 いつもの泥の感触じゃない。


「奈落ちゃん、大丈夫? ほら、握手」

 

 駆けつけてくれた魔王さんに手を差し伸べられ、ゆっくりと体を起こす。

 

 そして私たちは目の前に広がる景色を見回し、言葉を失った。


 黒い大地は途切れ、美しく広がる草原。

 赤い実を付けた、みずみずしい木々。

 遠くにはとんでもなく長くて大きな樹が天まで上り、雲を突き抜けている。

 その雲間から漏れている光は、眩しく、温かい。

 なんていうか、疑似太陽とは違う、別の光。

 本物の、太陽の光……なのかな?


 こんな場所が、奈落にあったなんて。


 魔王さんも、辺りを見回しながら笑顔で進んでいる。

 手を伸ばして、太陽の光を全身で浴びるように、深呼吸。


 うんうん。

 私もやっちゃおう。

 これだけ緑があると、空気もおいしく感じちゃうよね!


 魔王さんは早速、木から赤い実をもぎ取りかじっている。

 すごい行動力。


《あらあら。また会ったわね、可愛い人形さんたち》


 ん?

 今のは誰の声?

 

 辺りをキョロキョロする私を、魔王さんはにこにこしながら眺めている。


「すごいところだね!」


 魔王さん、もぐもぐしてる。

 今の声きこえてない?


《あら? もしかして、おちょの声が聞こえているのかしら?》


 お、おちょ?


「は、はい。あなたは誰ですか?」


《あらあらあらあら。今は聞こえるのね、おちょの声が》


 すると、ひらひらと目の前を青い蝶々が飛び、私の鼻に止まった。


《久しぶりね。お話しできて嬉しいわ》

 

 なんで鼻に止まったの。

 私の視界いっぱいに青い蝶々が広がっているよ。

 むしろ蝶々さん以外なにも見えないよ。


 しかも久しぶりって……。

 もしかして、王宮に着く前に飛んでいた蝶々なのかなあ。

 どうして急に声が聞こえるようになったんだろう。

 

《おお! 懐かしいな。元気にしていたかい?》


 ん?

 次は誰?


 つぶらな瞳の茶色い体。

 細い足の四足動物。

 そして頭には立派な角。


 鹿だ!


《そうかあ。とうとう探しものを見つけたんだねえ。良かったねえ》


 さ、探しもの?

 鹿さん、何の話をしてますか?

 

 そんな話をしてる間に、気付けば私の周りは鹿だらけになっていた。

 こわい!

 あと蝶々さんどいてもらえませんか。

 前が見えない。


「アハハハハ! 奈落ちゃん人気者だねえ!」


 魔王さんが手を叩いて笑っている。

 え、人気者ですかねえ。えへへ。


「そういえばフェンリルが言ってたもんねえ」


 フェンリルが?



『――は! テメェから鹿エイクスュルニルと同じ匂いがすると思ってたら、角を持ってやがったとはな』



 あああ!

 鹿と同じ匂いッ!

 嫌あッ!


 で、でも。

 その節はお世話になりました。


 私を囲むように集まった鹿の群れの上に、ラタトクスがちょこんと乗っている。


「ふふふ、どうやら力が戻りつつあるようだね。まあ、体が思い出していると言った方が正確かな?」


 まーたこのリスは。

 よく分からないことを。


「……どういう意味ですか」

「そのままの意味さ。きっと神具を手にしたり、アースガルズによく似たこの神域の力で、君の力が徐々に戻ってきているんじゃないかな」


 神具を手にして力が戻る……?

 戻るもなにも、私は……。


「心当たりはない? 例えば、鉄の手袋ヤールングレイプルを嵌めて力が戻る感覚を得たとか」


 心当たり……?



『――うわ、手袋嵌めたら力が湧いてきた!』



 う……。

 たしかそんなことを言っていたような……。


「例えば、神具を持った途端、力が湧いてきたとか」


 いや、そんなこと……。



『――重すぎるだろおおおおおおお!』

『――とりあえず袋から出してみよう!』

『――軽うううううう! 武器軽ううううううう!』



 ……そんなこと、あったような……。

 ……いや、鹿の角って神具なの?


「神の道具を持つ度に、私の力が戻ってるって言いますけど……私にはもともと何かしらの力があったって事ですか……? 私ってもしかしてめっちゃすごいやつなんですか?」

「さあねえ。興味ないよ、君のことなんて」


 ぐぬぬぬ。

 このリスう!

 本当になんなのよ!

 あの陽気なラタトスクはどこいったのよ!

 

 あとなに!

 この鹿たちは!

 集まりすぎだよ!

 身動き取れないよ!


《今までどこに行っていたんだい?》

《うーん、いい匂いだねえ》

《鎧、似合ってないねえ》

《ちんちくりんだねえ》


 ああ、一斉に喋らないで!

 あと誰だちんちくりんて言った鹿!!


 私が両手を上げて威嚇すると、鹿たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。


《うわーっ》

《なんだか怒ったねえ》

《逃げろーっ》

《ちんちくりんだねえ》


 はーっ。

 はーっ。


 こんなに威嚇しても、青い蝶々さんだけはびくともしない。

 あの、いい加減どいてもらえないでしょうか……。


《ところで、あなたたちはこんなところへ一体なんのようかしら?》


「ああ、えっと。邪竜に会いに来たんですよ」


《あらあらあらあら、ニーズヘッグに会いに来たのね。じゃあおちょが案内してあげる。ついてらっしゃい》


 そう言うと、ひらひらと私の鼻から飛び立った。


 その様子を、魔王さんが不思議そうに見つめている。


「奈落ちゃん、大丈夫? なんだかいつにも増して変な感じだよ?」


 口に人差し指を当て、目をぱちくりさせながら首を傾げている。


 よく考えたら、いま私って独り言を喋りながらとつぜん鹿を威嚇しているように映っていたのかな。

 そりゃあ心配になるよね。


「すみません魔王さん。私って、蝶々と鹿を見るとつい独り言を喋って暴れたくなっちゃうんです」

「そうなの? まあそれならいいんだけど」


 良かった、うまくごまかせたみたい。


 


 そして私たちは蝶々さんの案内で、泉に到着した。


 ここも美しい場所で、水も透き通っている。

 泉の中央には、遠くから見えていた大きな樹が天まで昇っている。


《すごいでしょう? あれは世界樹のよ》

「世界樹の……根? 樹じゃないんですか?」


 どう見ても樹にしか見えないほどの大きさだけど。

 あれが根なら、樹はどれほどの大きさなんだろう。

 きっとあの根を辿っていけば、その世界樹っていうのがあるんだよね。


 そしてその根をかじっている巨躯が一匹。


 ヨルムンガントとまではいかないけれど、見上げるほど大きい体。

 赤い瞳に大きな翼。

 全身真っ黒な禍々しいその姿は、まさに最凶の邪竜に相応しい見た目をしていた。


《それじゃあ、おちょの案内はここまで。またね、可愛い人形さん》


「はい、ありがとうございました」


 よし、とうとうここまで来た。

 あとは素材を貰って、帰るだけ。


 私と魔王さんは顔を見合わせ、静かに頷いた。






 

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