#30 垂涎の獣。

 ――業務連絡ッ!

 

 現在、食堂の厨房に居ます!

 ガルム紳士と一緒にごはんの下準備!

 

 私はここで、これからシチューを作ります!

 そう!

 今か今かと心待ちにしている、子供たちヘル様の笑顔の為にッ!

 

 いいぞ!

 期待されていると、それに応えようと心が燃える!

 私は今、初めて勇者っぽい気がする!


 ……。


 いや待て。

 私って、伝説の剣を抜いた時もこんな調子で旅に出た気がする。


 あれ。

 もしかしてあの頃から全然成長してない?


 よし。

 ガルム紳士、私は挙手をしていますよ。

 

「ラクナ様。どうされました?」

「ガルムコック長。私って出会った時から成長してますか?」

「ラクナ様。私はコック長ではありません」


 むむ。

 ガルム紳士、コック長を否定してきたぞ。

 逆に紳士と策士は受け入れていたのか。


 ガルム紳士は口元に手を当てると、息を漏らして微笑んだ。


「ふふ、もうお体は大丈夫そうですね」

「あ、はい。ガルム紳士こそ、元気そうで良かった」


 ガルム紳士、苦しそうだったからなあ。

 もうすっかり平気そうで、本当に良かった。


「そういえばラクナ様、フェンリル様がお呼びでしたよ」


 むむむ。

 フェンリルだとう?

 なんだなんだ。

 何の用だ?


「なんでも、言いたいことがあるとかで」


 言いたいこと?

 兄妹揃ってなんなのよ。


「……分かりました。じゃあガルム紳士、少し厨房お任せしていいですか?」

「もちろんです。あと、フェンリル様とお話を終えたら、私もよろしいでしょうか?」


 ガルム紳士も?

 なんだなんだ。

 みんなどうしたんだい。


 あ。

 これもしかして私が寝ている間に、なにか企んだな?


『やあ勇者様! お誕生日おめでとうございます!』

「ええっ! 今がいつなのかも分からないのに誕生日のお祝い? 嬉しいです、ありがとうございます!」

『奈落ちゃん! はい、誕生日プレゼント! 鹿の毛皮だよ! これを着て、ファッションセンスを磨いてね!』

「し……鹿の毛皮……へへ……えへへへへへ……」

 

 えへへへへへ。

 友達に誕生日を祝ってもらえるなんて初めて。

 ああ、幸せだあ。


 ……いや、ないか。

 そもそも呼んでるの、あのフェンリルだし。


 しかも会うのは、洞窟で戦って以来……。


 ……。


 ……なんか急に会うのが嫌になってきた……。



 ◇ ◇ ◇



 えーと、フェンリルの部屋はこの辺かな?


「あ! 奈落ちゃん、どうしたの?」


 おや魔王さん。

 エプロンドレスにを持って。

 お掃除中かな?


「……えっと、フェンリルが私に用があるみたいで」


 バキッ。


 え。

 魔王さんがはたきを真っ二つに折ってしまった。

 ど、どうしたの魔王さん。

 まるでお風呂掃除前の儀式みたいなことしてるじゃない。


「ま、魔王さん? 今はお風呂掃除じゃありませんよ?」


 まあ、お風呂掃除だとしても間違いなんだけど。


「うふふ。これはある意味お風呂掃除だよ。汚物は綺麗にしないとだよ」


 魔王さんが魔王みたいな顔してる!

 いや、いつもの魔王さんとは対極の魔王さんぽくない魔王みたいな顔!


 ああもう、何言ってるんだ私は!

 とにかく魔王さんの様子がおかしいぞ!

 

「ダメだよフェンリルの部屋に一人で行くなんて!」

「え……そ、そうなんですか?」

「そうだよ! なにされるか分かったもんじゃない! あいつは変態なんだよ!?」

「へ、変態!?」


 すごい警戒心!

 逆に魔王さん、何かされたの?


 でもまああいつはヘル様のお兄ちゃんとはいえ、封印されるほどの凶悪な魔物だもんね。

 狼みたいな耳に、鋭い目つき。

 恐ろしい牙に、危険な爪。


 ん?


 そのあとに私を呼んでいるガルム紳士も、狼の見た目なのよね。


 ……。


 ……はっ!


『――おい、誰が鹿と同じ臭いだコラあ!』

 

 まさか鹿の臭いに誘われて、私を食うつもりか!?


 おいおいおい。

 お誕生日祝いどころか命日だと!?

 とんだサプライズじゃないの!


 これは一応、武器を持って行った方が良いか?

 えーっと、鹿の角はどこいった?


 バーン!


 魔王さんはフェンリルの部屋の扉を勢いよく開けた。


「たのもう!」

「ま、魔王さん!?」

「うおォォォォォッ!?」


 フェンリルが床に倒れている。

 たぶん驚いて椅子から転げ落ちたんだろう。

 

「テメェ、ノックくらいしろや!」

「ふん! いい気味なんだから!」

 

 すごい!

 魔王さんが魔王っぽい!

 でも正しいのはフェンリルだ!

 

「あ、あのー。私に話があるって聞いたのですが……」

「ああ。……だがその前にソイツをなんとかしろや」


 とは魔王さんのことだ。

 魔王さんは仁王立ちで私とフェンリルの間に立っている。

 私たちは何故か相手の姿が見えない状態で会話していた。

 

「この状態だとなにか不都合でもあるの?」

「あるだろ! なんでテメェを挟んで会話しなきゃならねぇんだ! なんか気持ち悪ぃだろ!」


 それでも魔王さんは一歩も動こうとしない。

 うん。

 魔王さんは私を守ろうとしてくれてるんだもんね!

 間違ってるのはフェンリルだ!


「……うるさいぞーフェンリル。いいからそのまま喋れー」

「間違ってるのは俺なのかよ!」


 フェンリルは「ちっ」と舌打ちすると、ため息をつきながら口を開く。


「俺の話はあれだ……その……テメェのお陰で妹と会うことが出来た。……まあ、それだけだ」


 すると魔王さんがこちらに笑顔で振り向いた。


「要するに、『ありがとう』だって!」

 

 その言葉を聞いて、ホッと胸を撫でおろす自分が居た。


「あと、『俺は奈落さまに手も足も出ませんでした』だって!」

「そこまでは言ってねぇ! 俺に瞬殺された奴は黙ってろ!」

「わたしの武器は魔法だよ! つまり手加減してあげたの!」

「つーかいい加減そこどけや! 邪魔なんだよ!」

 

 おおお。

 すごいな。

 すごい仲悪いな。


 でも、そう思ってくれたなら安心したよ。

 少し、気がかりなことがあったから。


「あのー、フェンリル。私からも一つ言いたいことがあります」

「あ? なんだ?」

「無理矢理連れて来ちゃって、ごめんなさい」

「ああ?」

「……いや、なんかフェンリルの主張とか一切聞かずに、結構強引だったなって。今になって反省してて……」


 どうしてヘル様に会おうとしなかったのかとか。

 自分を助けてくれたガルム紳士を見捨ててまで、何をしようとしていたのかとか。

 もっと聞いても良かったなって、少し思ってたんだよね。


「気にすんな。別にグニパヘリルじゃなくても俺の目的は果たせる。動き辛さはあるけどよ」


 ぐに……?

 あの洞窟の名前かな?

 相変わらず長い名前をちゃんと憶えてるなあ。


 すると突然、何かを思い出したかのように、魔王さんが怪訝な表情でフェンリルへ顔を近づける。


「そういえば人形ってなんのこと!? わたしたちのこと、何度もそう呼んでたけど!」

「その言葉は、使


 フェンリルの眼光が鋭くなった。


「どういうこと!?」

「ここでは監視されてる。俺みたいに魔縄で縛られたくなけりゃ、言うことを聞け」

「あなたが連呼してたんでしょ! 人形人形って! 私たちを馬鹿にするみたいに!」

「あぁあぁ、もう悪かった! テメェらのことは今後、勇者と魔王って呼ぶから! だから俺の言うことを聞け!」

 

 むむむ。

 まーじで何言っとるか分からん。

 とりあえず人形の話はしない方が良いのね?


「とりあえず、俺の話は終わりだ。もう用が無いなら出ていけ」


 かあー!

 愛想の無い言い方だぜえ!

 ええ、ええ。出ていきますとも。


 私は魔王さんに背中を押されながら、フェンリルの部屋を後にする。


「あ、おい勇者!」

「はい、なんでしょう」

「……テメェもいつか会えるといいな。……妹に」


 え。


「フェンリルってもしかして……シスコンですか?」

「なんでそうなるんだコラァ!!」


 私と魔王さんはけらけら笑いながら、駆け足で部屋を出る。


 そういえば私、妹の話をしたんだっけ。

 それを覚えてて、心配してくれるとは。


 魔王さん。

 フェンリルは意外と悪いやつじゃないのかもしれません。

 

 うん。

 この奈落を抜け出して、いつか私も家族と会うよ。

 

 ……あなた達、兄妹みたいにさ。





  

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