踏轍
雲隠凶之進
空腹は最高の調味料なのだよ
「あなたが犯人です、
びしっ、と車椅子の老人を指差すのは、我らが
今時トレンチコートにハンチング帽って。これじゃただのコスプレじゃねーかって感じだが、絢乃はホンモノの名探偵である。
「そんなバカな。爺ちゃんが母屋から離れまで、地面に積もった雪を踏まずに移動できるわけがないだろ!」
「
絢乃に命じられ、オレは敷地内の竹やぶから引っこ抜いてきた証拠の品をみんなの前に出す。
太さ十センチ足らず、長さは四メートル近い竹竿だ。
「まさかその竹槍で母屋から刺殺したとでも?」
「いや、違う。弦一郎さん、あなたはかつて走り高跳びの日本代表選手でしたよね?」
弦一郎が目を伏せる。肯定、と受け取っていいだろう。
「弦一郎さんはこれを使って、走り高跳びの要領で母屋から離れまで跳び移ったんだ」
「ありえない。だって爺ちゃんは車いすなんだぞ。そんなことできるわけ――――」
先ほどから絢乃の推理を強硬に否定しようとするこの男は、弦一郎の孫、北大路
充の肩に、弦一郎の手が載せられている。
歩けないはずの弦一郎が、車いすから立ち上がっていた。
「最初から妙だなと思っていました。弦一郎さんは車いす生活のはずなのに、妙に筋肉質だ。『車いすの人は実は歩ける』なんてのは、探偵小説ではよくある話ですからね」
「貴女の言う通りだ、綾小路綾乃さん。私は彼女を――――愛人だった鈴木美奈を殺しました。この手で」
その後は語るまでもないだろう。
ほどなく到着した警察に連行された弦一郎は全面的に罪を認め、綾小路綾乃の活躍で事件は一件落着したのである。
☆ ☆ ☆
「だぁーッ」
綾小路家のリムジンに乗り込むなり、絢乃はシートに倒れこむようにしてうつ伏せになった。
「もぉー、やーだーぁ!」
「はしたないですよ、お嬢様」
「うっさい!」
向かいの席に座り、オレは絢乃をたしなめた。
綾小路財閥の社長令嬢、綾小路絢乃は頭脳明晰、容姿端麗、高校では生け花部部長、生徒会では副会長を務め、マスコミには現役
だがそんな完璧超人綾小路絢乃には二つ弱点がある。
一つは彼女の名前。こんな「アヤノ」が連続するギャグみたいな名前になってしまったのは、彼女の母親が何の因果か綾小路財閥の社長、綾小路昭雄と再婚してしまったからである。
自分のダジャレみたいな名前を嫌う絢乃は、未だ十七歳ながら「早くいい男見つけて結婚したい」などと、くたびれた三〇代OLのようなことを宣う。
かくいう今日の北大路邸殺人事件も、婚約者候補の一人であった北大路充との顔合わせの日に起きてしまった事件であった。
「今回の縁談はお爺様が許さないでしょうね。まさか殺人犯の親族なんて、財閥の看板にも傷がつきますし」
「あーッ、もう! また候補者選びからやり直しじゃん! もうやだー!」
出自が庶民なので、外ではお嬢様らしく振舞っている絢乃もオレの前ではただの駄々っ子になる。
そうだ、そろそろオレが何者であるかを紹介しておかないとな。
オレの名前は加茂
絢乃とは再婚前まで家がアパートの隣同士だった幼馴染である。腐れ縁、というべきか。絢乃とは小中高とずっと一緒だ。
まあそんなわけで、何を思ったか絢乃の鶴の一声で専属執事として雇われたオレの前では、絢乃は素の顔を出すのである。
「たーぁけーぇるーぅ。どっか美味しい店連れてって」
「美味しい店、でございますか。でしたらお屋敷に出入りしているシェフの店がこの近くにございますよ」
「そーゆーんじゃなくて! 分かるでしょ。いつものことなんだからさァ!」
「……またかよ」
「まただよ。知ってるんでしょ、この辺の美味しい店」
知ってるには知ってるんだがな。
「この格好じゃ目立ちすぎるだろ」
「そう言うだろうなと思って。じゃーん」
おもむろにトレンチコートを脱ぐ絢乃。下には学校指定のジャージを着ていた。
財閥令嬢ともあろうお方が! 芋ジャージ!
「これなら目立たないでしょ。それに武の分も用意してあるから」
そういって絢乃は男子用ジャージをリムジンの座席の下から取り出した。
どんだけ用意いいんだよコイツ。
「ほら、着替えて」
「はァ⁉ ここで⁉」
「誰も武の下着姿なんか見ないよ。それとも、絢乃おじょーさまの命令が聞けないというのかね、ダメ執事くんは」
「あー、もう、しゃーねーな」
絢乃の命令で、オレは広いようでそこそこ狭いリムジンの中で、執事用の燕尾服から学校指定のジャージに着替えた。
運転手の佐野さんに行先を告げると、佐野さんは目的地の数十メートル手前でリムジンを止めてくれた。
杉並区の住宅街のド真ん中、目的地の店にリムジンなんかで乗りつけたら、折角の学校指定ジャージの変装も意味を為さなくなってしまう。
「行くぞ」
「うんっ!」
路側帯を歩くジャージ姿のオレたち。リムジンから降りてきたことに気づかれなければ、部活帰りのどっかの高校生にしか見えないだろう。
自転車があったら完璧だったのに、と言いかけたがやめておいた。そんなことを言えば、絢乃のことだから今度は自転車まで用意するに違いない。
「ついたぞ」
「わぁ……ステキ!」
目的地は駅前にあるラーメン屋「ガンコ家」である。
いわゆる「家系」に分類されるガンコ家は、腕組みしたオッサンのイラストが看板にデカデカと描かれた、店の外まで豚骨を煮るアブラギッシュな香りが漂う席数10にも満たない小さなラーメン屋である。
絢乃の第二の弱点、それは無類のラーメン好きということだ。
それまで豪華な料理ばかり食べていたお嬢様が、庶民のジャンクフードにカルチャーショックを受けてド嵌まりした、とかではない。
絢乃は最初から、「綾小路」になる前からラーメン好きなのだ。
特に事件を解決したあとの「シメ」に食べるラーメンは絢乃いわく「最アンド高」らしく、事件解決の後は必ずといっていいほどラーメン屋につれていけとせがまれる。
「空腹とは最高の調味料なのだよ、ワトソンくん!」
「まるで空腹じゃないとラーメン食えないみたいな言い種だな」
「失礼な! 味変ってやつだよ、味変! 普通に美味しいものを、普段よりいっそう美味しく頂こうって話じゃないか」
ほどなくして、俺たちの前にラーメンの鉢が届けられた。
「特製濃厚ガンコ豚骨ラーメン」。背脂の浮いたスープ、山盛りの刻みネギ、しっとりと煮込まれた肉厚チャーシュー。スープの海からは、黄金色の麺が白波を作るかのようにその姿を覗かせている。
追加で注文した海苔と煮卵も……って、こっちは大盛のほうじゃないか。オレと絢乃はお互いの前に置かれた鉢を静かに交換する。どこの店でも大盛+トッピングを注文する絢乃と、どこの店でも普通盛を注文するオレ。店員さんに注文を逆に持ってこられるのにも慣れてしまった。
「「いただきまーす」」
箸を取り、スープの海面に浮かんだ麺を拾い上げる。
一口。
旨い。
感想を長々述べるのも野暮ってものだが、濃厚な豚骨スープがコシのある麺に絡まって、独特の甘味を出している。
「うーん、まさにこれは生命のスープだね!」
「生命のスープ?」(ズルズル)
「かつて原始地球において、生物を産み出したとされる有機物質の混合物だよ。麺はDNA、チャーシューは肉。この豚骨スープは母なる海を想起させ――――」
「おめー、ごちゃごちゃ言ってねーでさっさと食えよ!」
その後も絢乃は独特の感性から紡がれる独特の感想を格調高く、まるで謡い上げるかのように語ったが、同行するこっちは恥ずかしくてたまらなかった。
大将も他のお客さんも笑ってくれたから良かったようなものの、一歩間違えれば迷惑客になっているところだ。
ラーメンを平らげ(驚いたことに、絢乃は普通盛りを普通のペースで食べていたオレとほぼ同時に食べ終わってスープまで完飲した)、絢乃とオレはリムジンに戻った。
「ふぅ、食べた食べた。今日も元気だラーメンが旨い!」
「よくもまあ、殺人事件に遭遇した後でラーメンなんか食えるよな、お前」
しかも大盛り。
大盛りをあのハイペースで完食した絢乃には流石に大将もビビってたぞ。
「いいかね、執事くぅん。絢乃お嬢様はご傷心なのですよ。折角縁談が進みかけていたというのに、また破談になってしまったのだから。自棄ラーメンに堕ちても仕方がないとは思わんかね?」
名探偵に必要なもの。それは明晰な頭脳と、致命的な悪運の強さだ。
解決すべき事件が無ければ、優秀な頭脳も発揮する機会がない。だから優れた探偵には、事件のほうから近づいてくるのだ。絢乃の場合は、婚活をすると相手が犯人だったり共犯者だったり、大体事件の関係者になっている。
婚活するたびに事件に遭遇し、事件のたびに縁談が破談になるのが名探偵綾小路絢乃なのである。
「自棄ラーメンって何だよ。自棄酒みたいに」
「お嬢様の忠実な執事たる武くんには、お嬢様を慰めてあげる義務があると思うのだがね。さあ、優しい言葉でボクの傷ついた心を癒してくれたまえよ」
「あー、はいはい。お嬢様、まだ次が御座います。次はきっと、いい人が見つかりますよ(棒)」
「心がこもってなーいっ!」
ラーメン好きなんだから、絢乃にはこのくらいの塩対応で十分だろ。
あー。また明日から絢乃の婚約者探しに付き合わされる。めんどくせぇ。
どっかにこのラーメン大好き絢乃さんを幸せにしてくれる、殺人事件とは無縁の、清廉潔白な白馬の王子様的な人はいないものか。
誰でもいい。我こそはと思う人は綾小路財閥までご一報ください。是非お願いします。
踏轍 雲隠凶之進 @kumo_kyo
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