万華鏡

Tukisayuru

万華鏡

 ――私は裕福な家庭で育ちました。

 この世に産まれた時には、既に大きな家と沢山の物、さらには富、権力、名声が保有していて街では一番の大地主の家系であった。私には私専用の広い部屋、私専用の庭、私専用の召使いが存在していることが私にとっての当たり前の環境だった。

 私はご先祖様から受け継がれている本家の令嬢として産まれたからには、この名に恥じぬよう、毎日教育に時間を注がれていました。勉学、芸能、気品、礼儀、作法、伝統を身に付ける日々が重なっていったのだった。そこには一切の甘えなどというものは存在しない――。精密かつ丁寧に誰がどうみても完璧にこなし、完全な姿を演じ、不変を象徴の維持が私に与えられた義務、引いてはこの家系のためである。

 決して泣いたり、笑ったりすることは許されない。もしもこの誓いを破ってしまったら罰せられる対象として見られてしまうのだ――。

 私には世間が言っていたような娯楽というものに振れたことがありません。

 絵は描いたことがありましたがあれは別に好きで描いたということとは決して言えないもので他者から素晴らしい、と言われても感情の欠片一つも入ってないそれはとても作品とは自分では言えないものでした。私の肉親から凄いわね、優秀だ、と言われましたが、私は心の中でそんなつもりはない、と思ってもその二人の見えない何か、家としての何か、に怯えてしまい、言える勇気もあっちの都合というものに潰されて、自身の頬の筋肉を必死に上げて輝かしい偽物の笑顔を作りだし、令嬢として振舞っていました。

 ——いつだって私はこの家の令嬢でした。

 時間、場所、季節関係なしにこの肩書はまるで呪いのように付きまとって来ました。家の令嬢としての買い物。家の令嬢としての服。家の令嬢としての音楽。家の令嬢としての旅行。家の令嬢としての本。家の令嬢としての雑貨。そこに私としての考えなんてものは存在しませんでした。服装や本こそ自分で選べましたが決まってある程度の範囲というものがあり、しかし決まって嫌な顔を一つもするという勇気もなく、その場所の最適解だけを選択していました。

 完璧を求められていました——。

 いつしか、そこに私という人物が本当に存在していたかと疑問に思うようになりました。いつも居たのは家としての人間の姿であり私、個人としての人間の姿はどこにも無いような気がしました。

 私が出かけるときはいつも四十過ぎの女性の召使いがいて、一人で何かをしたことも片手で数える程度しかありません。

 それでも私は密かな贅沢なものがありました。

 私は深夜、暗く深い時間にみんなが寝静まったことを悟って一人、自分の部屋から出ていました。私の部屋は二階で少し歩いたところに外の風を浴びることの出来る屋外の小さな部屋がありました。

 私は決まってその時間は『一人だけ』という特有の孤独と優越感を楽しみながらずっと月を眺めていました。

 その月は青白く薄い、私にとっては唯一の贅沢なものでした。あの月だ。あの月を見るだけでどこか自分の満足感を満たすことが出来たのです。その時間だけ、私は令嬢としての人間がいないように感じられてとても心地良かったのです。

 ですがその月を見終わろうとすると心臓の鼓動が早くなるのを感じていました。朝日が怖いのです。またあの大きく光輝く恒星が酷く嫌だったのです。もしあの恒星がやってきたら私はまた令嬢としての人間として過ごし、自分を閉ざして生きていくのだ。

 このような時間を過ごしていき、いつしか私は学校に通っていました。令嬢として生きていた私にとって周りの人はどこか異質に感じていました。服装、髪型、知力、体力、思考、人によってそれぞれで令嬢として常識しか教わらなかった私には関わるべきではない得たいの知れない人たちだと感じました。私以外の彼らは口を開けば、あの人がどうとか、あの人が嫌いだとか、私だってお前のこと大嫌いだ、とか人と人がより自分の優位性を証明をさせようとしていて、下品な言葉を聞いてしまった時は同じ人間だと思えなかったのです。

 しかし私は令嬢として顔が広いようで、色んな人から話掛けられました。決まって話題はどんな家なのとか、普段はどんな生活をしているのとか、今度家に遊びに行ってもいいかしら、というそんなものばかりでした。誰も私個人として見ていなくて、この街では相当のお金を持っている令嬢の人としか見ていなかったようです。一体私は令嬢という言葉を抜いたら何も残らないのでしょうか。そう思ったことさえありました。彼らの話掛けにくる表情はどれも得たいのしれないものだと感じていました。

 ですが令嬢としての人間の知力や振舞いのお陰で試験ではいつも首席の立場でそこでの政府のような立場である、俗にいう生徒会に入ることが出来ていました。興味なんてないものだったが令嬢の人間として相応しいなど云われ断われる気持ち(いや、その頃も令嬢としての圧力があってそこに怯えていたかもしれません)がなく結局流されてしまいました。

 道行く彼らは「あの人、令嬢の人なんですって」とか「やっぱり綺麗で羨ましい」とかそういう目で見られていました。そんなことない。私からしたら、学校が終了して特に予定も決めてなかった者たちが雑貨屋などに出向き、何気にない会話をしながら時間を共にする。この光景こそが私にとってはどんなものでも上回るくらいの贅沢なものだと感じていて、でも自分には決して出来ないことだろうと思っていました。私だって願うことなら令嬢ではなく私という人間として普通の人として過ごし買い物とかしてみたいと思いました。

 生徒会の仕事で特にこれと言った活動はあまり無かったように思えます。私は生徒会長という立場にありましたが、会議に関しては最終的な決定事項と一言話す感じで書記とか会議の進行役と比べたらまるで仕事をしていないようでした。流石に生徒会長として作業量の少なさにどこか違和感を感じていた私はその学校の見回りだけは毎日欠かさずやっていました。内容としては放課後に学校内で異変が起きてないかを確かめる所謂警備のようなものでした。放課後になると生徒会の集まりが有無関係なくその学校の見回りは行っていましたがこの学校は比較的、治安が良いほうで事件とかそういう類のものは何もないようなところでやるだけ無駄な気さえ起こしたこともありました。

 夕暮れの時間。

 何気なく談笑をしたりする少年少女たちを遠くから眺めていた時。

 私の心中ではどこか木の葉が枯れ落ちるかのような切なさを感じていました。

 彼らは贅沢なんてものは知りません。きっとこの先も知ることは少ないと思います。しかし彼らはその贅沢に頼らずに時間と共に謳歌しています。

 同じ時間の流れなのに遠い存在に位置していると感じてしまう——。

 私は自身の肩書が怖い。ここまで区別されるものかと悪感を抱いてしまう。

 誰かに話したい、しかし話す相手すら私にはいない。この孤独感を感じながら私は木造の少し傷が見える廊下で俯いてしまった。

「ギャハハハハ、なんだよ、お前それ」

 突然明るく甲高い声が聞こえて来た。

「何してるの、面白い」

「アハハハハ」

「本当に変だけど、笑っちゃうよ、これ」

 一人だけかと思ったその笑い声は次第に私の今いるこの廊下まで響き、いつしか飽和されていた。

 ——無意識的に気になった私はその声が聞こえた方へ向かう。困惑や期待の気持ちなんてものではない単に純粋な疑問感だった。

 ある教室から聞こえた。教室の中へ入ると、楕円を成す、一つの群があった。よく見るとその群は中心が空いており、一人の人物を囲うようになっていた。群を形成していた人たちはその一人を見てずっと笑っていた。

 私もこの頃には既に見回りの仕事を忘れてその群へ次第に寄って、近づき、その人物を視界に入れました。

 好きになった。

 その人は楕円の真ん中でみんなの視線を一心に負い、芸のようなものをしていた。その芸は演劇と比べたら質がないが、悪ふざけと比べたらどこか考えられた真面目なものが感じられていた。その芸はお道化のような仕草、支離滅裂だけどどこか考えさせるような世間話に近いような講義、最近自分に起きた話を面白可笑しい説明などこれほどの人を魅了させるようなものばかりでした。

 私はいつしかこの人の芸に夢中になり周りの人たちと一緒に眺めていました。時が経ち、段々と自分たちの用事なのかそれぞれの理由があるのか定かではないが、周りにいる人たちは少しずつ減って行った。それでも私はこの教室に残り続けてこの人の芸を楽しんで観ていました。周りの人が誰もいなくなった頃、私はついにお腹を抱えて蹲った。呼吸が良い方向で激しくなり、ずっと笑っていました。

 こんなに笑ったのはいつぶりだろう。

 今までこんなにも笑顔になったことがあっただろうか。

 しばらく笑い続けてやっと気持ちが落ち着いた後に、私は立ち上がり自分の服を整えてその人の顔を見る。だけどその人の顔を見た途端、あの芸を思い出してしまいまた小さく笑ってしまいました。

 その人は私のことを不思議と思ったのか、話掛けてきました。私は適当に自己紹介をしてその人の芸について無邪気に絶賛しました。その姿はまるで幼い子どものようであれやこれやと次々と言っていきました。十分、十五分言っても言い足りず終ぞ、「ねぇ、今日一緒に帰らない?」と誘いました。

 下校中。夕暮れで空が朱色に染め上げられた時にその人について少し知りました。その人は一つ下の後輩で家柄も特に卓越したところじゃないような所。そして普段はあまり外には出ないから世間体についてはあまり知らないことがわかりました。

 そこから私は良く彼と会うようになりました。放課後は決まってその教室で彼の芸を見に行き、普段の学校生活もすれ違ったときに会釈や挨拶を交わしたり、下校中はその人と一緒に世間話をしながら帰りました。学校が午前中に終わった時はその人と一緒に雑貨屋や本屋、古着屋に行って色んなものを見て回ったりしました。

 その人は決まって色んなものを手に取り、物珍しいそうに小さく声を挙げながら観察をしていました。私は彼のそのような姿を見てからそれらのものを丁寧に教えました。この時ばかりは令嬢で色々知識を詰め込んで良かったと初めて思ってしまうほどでした。

 ある休日の日に彼と出かけることにしました。私は学校で用事があるから行かなければいけない、という理由で令嬢の家を出ることに成功しました。場所はこの街から少し遠くにある向日葵が多く咲いてある花畑——。

 この日は純白の洋装と彼と一緒に行った時に買った水色のリボンと長めの紐が垂れている麦わら帽子を身に付けて行きました。鏡で自分の姿を見てみたら恥ずかしいと思いましたが、彼と会ったらそんなことはもう忘れていました。

 向日葵の花畑に着いたら私は無邪気にもはしゃいで先へ先へと進んでしまいました。そんな姿を見た彼に褒めて貰えた時は優しい一面もあることに感動し、透き通るような暖かい笑顔をしました。

 彼と過ごす日が楽しかった。

 彼と会えるだけで嬉しかった。

 彼といる。その時間が私にとっての最大の贅沢でした。

 続いて欲しい。いつまでも――。

 そんなことを胸の奥底に秘めながら向日葵園の中を駆けまわってました。

 その世界ではお互い、ただあの頃の子どものように遊んでる男女が二人いましたが世間の目はそれを許してくれませんでした。

 ―—露見。肩書は私に罰を与えました。

 家に帰った、その日の夜に長時間に亘る裁判が始まりました。問い詰められたのです。誇り高き令嬢の人間が下の存在である庶民と慣れ始めたことが問題だったらしい。ここの家の人ということもあり顔が広く、私と彼が一緒にその向日葵園で戯れていたとその人から聞いたらしい。

 親たちは私に彼とはもう関わるなと告げ、もし関わったらその人たちの家族はこの街から出て行かせると言われました。

 その後のこと、私の自由は完全になくなりました。

 何をするにもどこか見られていたような気がするのです。

 学校が終わると令嬢の予定によって早く帰らないと行けなくなり、不要な外出は禁止され、好きに人と会うことさえも許されませんでした。

 あの人たちは私を完全に令嬢の人間に仕上げようとしていました。下手に何か反抗しようとすると私によってその人は人生に亘り迷惑を掛けてしまうことになると思ってやがて自ら関わることをやめました。

 冬が過ぎ新たな春を迎え、学校を卒業し、私は進学しました。進学先の学校は自分で選んでいません。大人たちが私の意見を聞かず勝手に手続きをしたことが後からわかりました。

 その学校でも私は令嬢の人とか言って近づいて来る人がいましたが令嬢の人としかみていなかったという事実を知っていたためいつもこの身を引いていました。しかし全く関わらなかったわけではありませんでした。その学校では家との繋がりで古くから関係を持っていたその家の貴族の方がいました。その人は唯一私の過去を知っている人で私に同情してくれました。

 倦怠感に襲われ、当然やる気も出ず、無気力な日々を送っていた私に何度か気を使ってくれました。決って話題は「最近何かありました?」とか「今日の朝食はなんでしたか?」とか令嬢での話題ではなく普通の人の話題ばかりで彼なりの必死の努力をしている姿が見られました。

 情けない――。彼ではなく私が。

 その人はこんなにも努力をして私の精神的に安堵や楽にさせてあげようとしているのに私は何も感じなかった。感受性というものが無に等しくなりつつありました。

 また会いたい――。

 いつしかそう思うようになりました。この一回がまたまるで風邪のようにまとわりついて来ました。日が経つにつれてその思いが大きく大きくなり胸の中を蝕んで行きました。

 自分にとってやはり彼という存在がとても大きかったことを自覚しました。前の学校の放課後では決まった時間で決まったことをしてただそれを見に行っていただけだったのに不思議と引き寄せられるものが確かにそこにあった。

 卒業時、私は彼に一言も声を掛けることなく終わりました。当時はこれが正しい選択だったかもしれないと信じ彼と会わないようにしていたのですが、今考えると少し何か一言でも掛けてあげればと思ってしまいました。

 一年が経ち二年となった時のことでした。

 周りでは一つ学年が上がりどこか何かに対して期待をしている人が多くいましたが私は至って憂鬱でした。特別環境も変わったわけではない、学習するものが変わったという印象だけでした。毎日、毎日、朝が来て、昼には学習をし、夕方には令嬢としての用事があり、夜に眠る。繰り返しの毎日でした。

 何をしても虚しい。何もない、自分だけ時間が止まっているような感覚でした。

 昼休み――。

 例の貴族の方が教室に訪れいつものように雑談をしに来たのだろう。

 今日はなんだろう。

「午前の講義はどうだった?」

 ―—それとも。

「今日の朝食何食べて来ました?」

 どうせそんな感じの内容でしたないんだろな。期待はしない。

 例の貴族の方が私の所まで近づきゆっくりと話始めました。

「今日面白い人を見掛けました」

 その人は今日、ある新入生を見たようだった。私と同じ出身校で教室での自己紹介のときに『芸』のような、おちゃらけたことをしていた人がいたというらしい。

 それって――。

 私は突然、席から立ちその人の両腕を掴み、眼を丸くし声を張った。

「本当にいたの?」

「……うん」と彼は頷いた。

 息が荒くなったことに気づく。苦しい。

 胸の音が鼓動が高くなっていったことがわかる。

 彼が入学した。今この学校に彼がいる。また会えるんだ。

 確信しました。

 その彼について詳細のことはわかっていないのに直感で彼だとわかったのです。この学校にいるんだ――。

 ここで私の頭の中にはある言葉が浮かび上がりました。

『また会えるかもしれない』

 そう思った時にはもう笑顔を隠しきれなくなり少し泣きそうにまでなりました。私は泣きそうになった所を彼に慰められながらある計画を立て実行しようと決めました。でもそれほど大掛かりな計画ではなく、ただ再開をしたときに入学記念と今までの自分に秘めていた思いを形にして彼に渡して上げるというものでした。とにかく楽しみで地に脚が着かない心地でした。

 学校が終わると下校よりも私は丸善に出向き、棚の上にある品々の中で彼に合うようなものを一つずつみていきました。色、形、もの、全てを見てある一つの商品を買いました。

 その商品を買った次の日の昼休み、私は例の貴族の方を呼んで一緒に探して貰うことにしました。

 私のこと覚えているかな——。

 久しぶりに会ってどんな顔するんだろう——。

 そんなことを呑気に考えて彼を探しました。

 しばらく探している内に例の貴族の方に彼についてどんな人だったのかと聞かれました。私は少し得意げになりながらも彼について話をしました。

 笑顔が素敵で、話が面白く、一緒にいてもずっと飽きなくて、少し小柄な体系だけど、どこか安心感が感じられる、そんな人——。

 徐々に夢中になって笑顔が零れてしまい、思い返しただけで楽しいと思うほどの極値に達してしまい、胸の中で「会いたい。会いたい——。」という気持ちが強くなっていきました。例の貴族の方も私の話を聞いていく内に笑って聞いていました。

 夢中になって話している時に私は不意にどこか人の視線を察し、急に話をやめて気になる方向に目を向きました。

 私の視線の先には校門前でただ独りで立っている少し体型が小柄な男性がいました。

 ——彼だ。

 間違いなくその人物は前の学校でよく『芸』をしていたあの彼でした。

 途端、私の頭の中で彼と過ごして来た出来事が鮮明に思い出され、まるで一つの映画のフィルターのように流れてきました。白と黒からベージュ、そしてカラーとなり、瞬きすると次に目を開けた時にはその背景が広がっているんじゃないかという錯覚さえすると思えました。

 私はそのままの嬉しさに任せて一声出そうとしましたが、どこか彼を見て異変を感じました。

 ——笑ってない。彼は目に涙を浮かべ、何かに陥ったというものを具現させたような蒼ざめた顔をしていた。

 ねぇ、待って。

 そう声を掛けようとした時には既に彼は走ってその場を逃げるように去りました。私たちはすぐに彼を追いかけましたが見失ってしまいました。

 嫌だ。嫌だよ。

 やっとの思いで再開を果たすことが出来たと思ったのに、私のせいで。

 きっと彼の眼には私と隣にいた貴族の方が楽しそうに話をしていたところを写ったことで、そう勘違いをさせてしまったのでしょう。

 この状況は作りだしてしまったのは私のせいである。私から話を語ってしまって、どこか浮かれていたのだ。

 突然の出来事に最早、感情もすぐには出せず、その場に立ち尽くしていました。しかし遠く小さくなってゆく彼の背中姿の幻影を見ているような気がして自然と涙が頬を蔦り流れ出てました。

 その後の知らせで彼はこの学校を退学したらしい。

 ——私が原因だ。

 この学校に入るための試験勉強だって相当苦労したというのに私はその努力を実質的に否定させてしまった。

 これは令嬢の人という失態ではない。私という一人の人間が招いてしまった失態だった。

 その後のことはあまり記憶がない。私の中で意思というものがなくなり令嬢の人間としてあり続けようと決めたのだ。もう、そうした方が楽になれると悟ったからだ。人と会う時は決まって笑い、何かの発表があった時は決まったお偉く上品なことを言い続け、礼儀作法を披露し、模範となる人として私は成った。勉学に励み、外にも出ず、部屋に引きこもった。人から賞賛されても何も感じなかった。例の貴族の方が励まそうとしても偽善の籠った笑顔で迎え、その場をやり過ごしました。

 いつしか、私はその学校の卒業生としての式にも参加した。しかし在校生の中に彼がいないという事実が頭を過ってしまい、下を向いて愛想笑いをして式を終えました。

 時間が経過して、その後の進路は魅力的なものはなく自分は令嬢の人としてずっと家に居ました。何もするにも自身が無くなっていた癖に服などの身なりに関しては立派になっていくばかりで嫌気が差していました。

 完全に堕落——。

 自分のベットで部屋の天井を見て私はそう思った。

 ふいに棚に目をやるとそこには綺麗に置かれていた箱があった。

 なんだろうと思い、起き上がって棚から手に取り、開けてみるとそこには綺麗な万華鏡が入っていました。

 覗いてみると、その万華鏡は女性が使うようなまるで化粧のような綺麗な赤色の筒で中には色々な色のおはじきの欠片のようなものが入っていました。

 あぁ、これは——。

 そう呟き、私はその万華鏡を持ったまま静かに泣きました。一粒が大きく、床に流れ落ち、シミとして残り始める。

 この万華鏡は学校で彼と再会した時に渡すはずだったあの丸善で買ったものでした。そんなものがいつまでもこの令嬢の家の中に残っている。私のせいで。

 私はそのまま崩れ落ちるかのようにその場に座って、これまでの自分の人生について振り返った。

 令嬢の人間として産まれ、何の目的かもわからないような教育をさせられ、文句を一つついたら、親たちから罰を喰らい、人目を気にしては学校でも周りとは馴染めることが出来ず、そして私のせいで自分の好きな人の人生を狂わせました。その衝撃が今も乗り越えることが出来ずに私は令嬢の人間として演じ続けている。

 私の人生の中で意思なんてものはどうやら最初から用意されてなかったようで、それは世界の運命にとっては許されないことだったようです。

 ——万華鏡の中にはいくつもの鏡が中に入っているようです。

 その鏡が合わさっている空間の中に自分という人間はいったい、何人映るだろうか。そしてその鏡によって映された私は今の私を見てどう思うのだろうか。それとも所詮その姿も自分を映したものに過ぎないから何も意味がないのだろうか。

 でももし別の性格、別の思考、別の価値観を持った私が変わりとしてそこにいたらこんなことにならずに済んだのだろうか。それこそ自分の意志によって何かを変えられたのだろうか。

 そんなことを思った。どれだけ思っても願っても過ぎ去った時間はもう戻って来ない。

 彼は今どこで何をしているんだろうか——。

 彼は今も元気だろうか——。

 また会えるかな——。

 私はその万華鏡を握り締めながら胸に当てて、ごめんなさい、本当にごめんなさいと呟き、令嬢の人間としてではなく『私』という一人の人間として垂泣しました。

 近頃、近くに嵐が来るかもしれないということもありこの令嬢の人たちはそろそろ別の街に家移りするらしい——。

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