10-5

 条件は満たされていた。初那大は、敗北した。

 口元を抑えたまま、彼女はしばらく声が出せなかった。心の中には、わかりたくない実感があった。「弱かったから、負けた」

 女流棋士になればトップまですぐに行ける。初那大にはそんな自信があった。しかしそれは、過信だったのだと思い知らされた。

 唇が切れるぐらいに嚙んだ。上ってきた階段が、だんだん薄れていくのを感じていた。多くの人々が、それを感じたのだろうと思った。そして、自分の中の血を恐れた。誰かに頼って、その人を捨てていくという血。

 将棋を辞めた方がいいのだろうか。初那大は初めて、そんなことを思った。



「負けました」

 乃子は頭を下げた。結局挽回はできず、最後は一手差で負けた。

 隣を見ると、蓮真は笑いながら感想戦をしていた。その向こう、美利は頭をかいていた。

「どうだった?」

「俺は勝ち。チームは1-2」

「はー。ごめん」

 そういえば、昔は蓮真だけが負けることが多かった。何回も県代表になっている冠が、絶対的エース。乃子がポイントゲッターだった。あの頃は、蓮真が一番弱かった。

 環境は人を変える。自分が勝たなければならない環境の中で、蓮真は成長したのだ。

「いや、だいたいアズサがこの二人呼んで来るのが反則よな」

「道場に来てたんだからいいじゃない」

 瓦と内子も笑っていた。勝ちに徹底的にこだわったというビッグ4。今回も、勝てると踏んだからこそアズサと組んだのだろう、と乃子は思った。オーダーも読まれていたのかもしれない。

 全ての対局が終わり、表彰式が始まった。

「えー、優勝と準優勝はどちらも道場チームです。来年からは少しチーム編成を配慮してくださいね」

 主催者が閉会のあいさつでそう言うと、笑いが起こった。

「とはいえ、これだけの人が出身者であるというのは誇りですね。県立大は全国で活躍してますし、女性の皆さんは女流大会で皆活躍しています。普及に力を入れてきた努力が報われたのかと思うと、うれしいです」

 美利の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。乃子は驚いたが、当然かもしれない、と思い直した。十年以上のブランクがあって、戻ってきたのだ。そして、地元の人たちと交流する場に、参加できたのだ。全国大会につながっているわけでも、何かの資格が得られるわけでもない。けれどもここは紛れもなく、将棋を楽しむ場なのだ。

 そういうところに、戻ってこられた。それは、乃子も同じだった。

 ああ、おいしいところだけを食べてもいいんだ。乃子は思った。誰もが負けても許される場所。そこでは、将棋が温かい。

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