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 美利も含めて、乃子の通っていた道場からは多くの強豪が誕生した。だが、誰一人プロにはなっていない。そのため乃子には、プロの世界はどこか遠くのことのように感じられていた。

 もし自分がプロを目指せば誰と戦っていたのか。ふと、そんなことを考えたことはある。同世代の強い女の子たち。何人かは実際女流棋士になった。

 だが、その先は全く考えたことがなかった。もし、奨励会に入ったら? 入れるかもわからないが、全く無理ということもないだろう。初那大そなたの成績を調べながら、乃子は考えるのであった。

 初那大はまた、勝ったり負けたりの成績になっていた。プロどころか、有段者になれるかもわからない。

 きっと自分もそうなったのだろう、と乃子は思った。何者にもなれない存在。

 いろいろ悩んで、結局は安眠する。そういう日々が続き、ある日の朝、乃子はとてつもない不安に襲われた。

 将棋では何者にもなれないが、将棋をやめたからって何者かになれたわけではない。

 乃子は出かける準備をすると、原付にまたがった。

 街は遠くはない。蓮真たちの住んでいた地域を越え、数分。駅に近づくと、大型電気店や病院、区役所などが見えてくる。

 乃子が向かった先は、図書館だった。幼いころは、道場に行くついでによく訪れていた。普通の本も読んだが、将棋の本をただで読めるのがうれしかった。

 以前よりもきれいになった図書館を見て、「垢ぬけたね」と乃子は思った。いったい何年間来なかったのだろう。大学生の時も、図書室にはあまり行かなかった。不真面目な学生だったな、と乃子は振り返る。

 中に入った乃子は、将棋雑誌の最新号を手に取った。席に座り、ページをめくる。特に何が読みたいというわけではないが、今の空気を知りたかったのだ。

 タイトル戦の記事が最初にあり、棋士についてのエッセイや、局面を皆で検討する企画ページなどが続く。その中に、「懐かしの奨励会遠足」という記事があった。プロ棋士が昔を振り返るもので、「学校の遠足は将棋の用事で行けなかったので、奨励会の遠足がとてもうれしかった」と書かれていた。

 写真が載っており、「何人がわかりますか?」とキャプションが付いていた。どの顔も小さかったが、数人の現プロ棋士の顔ははっきりとわかった。そして、この中の多くは退会していった。乃子が知らなくて当たり前の人々。

 だが、乃子はその中の一人にくぎ付けになった。笑顔でピースをするその顔。

 将彰にそっくりだった。

 偶然、ではないだろう。乃子は前から、そういう可能性を考えていたのだ。若い美利が、東京に通うことになって。子供ができて。その時の相手と言えば。

 わざわざ相手が誰かを調べようと思ってはいなかった。けれども、偶然わかってしまったのだ。

 しかし、謎はまだ残っている。そちらは、全く確信ではない。けれども、乃子はなぜかそうであるような気がしてならないのだ。

 同じ顔つきをした少女がいる。将棋を指している、少女が。


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