5-4
避けては通れない道だ。
思っていたよりもずっと早く、鍵山アズサと当たることになった。だが、プロと対局することを、全国上位を目指すことを考えれば、いつかは当たる相手だった。
今の自分の力が、どこまで通じるだろうか。美利は、少しワクワクしていた。
育成会にいた時、乃子もアズサもまだ子供だった。二人はその後ライバルとして成長し続け、女流アマのトップ争いをするまでになったのだ。
自分は、プロでトップを争うはずだった。同じころ女流育成会にいた後輩は、現在女流三冠になっている。あの時やめなかったら。何度もそう考えた。
でも、いいのだ。将彰が生まれて、今は幸せだ。そして、もう一度将棋をすることができた。
矢倉や雁木のような将棋を指しましょう、と乃子は言った。ある程度囲っていれば、間違いが起きた時に逆転できる。角換わりや横歩取りでは、序盤で切られてしまう可能性がある。
大学将棋で培ってきた感覚だろうか。相手は間違う、という前提で乃子は考えていた。
鍵山アズサは、美しかった。長い黒髪、切れ長の目。対局に没頭すると、息をするのも忘れたかのように顔が動かない。幾何学模様のように美しい、と美利は思った。
押されている。想定通りに、不利になっていた。
だが、美利は慌てなかった。十数年の月日は、彼女から実力を奪っていった。しかし、若き日の経験までをも奪ったわけではない。美利は天才だった。そして、プロを目指す者たちと戦っていた。
まっすぐすぎる。アズサは、張り詰めすぎていると感じていた。美利はしなやかに、息を吸い、吐いて、視線を動かして、目をつぶって、駒を動かした。
追い詰められていく、ように見える。しかし美利には、逃走のルートが見えていた。一見詰めろに見える手が指されたが、美利は読み切っていた。抜けている。
美利は、体の奥底から湧き上がってくるものを感じていた。それは、喜びだと思った。
女流棋士になって、東京に行くと思っていた。その前に子供ができた。男の方を選んで、男がいなくなった。
自分の人生に嫌気がさしたことなど、数えきれない。それでも、今ははっきりとしている。
この勝負、楽しい。
命からがら逃げだした美利の王将は、簡単には捕まらない。美利は、攻めなかった。逃げて逃げて、守った。
秒読みが続く。一時間でも二時間でも、指し続けてやる。美利の体が、前のめりになるのに比例して、アズサの背筋が伸びていった。
盤面を俯瞰して、アズサは首を振った。
「負けました」
勝負が、ついたのである。
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