美利の戦い

5-1

 ガラガラの駐車場に、乃子は原付を停めた。アップルパイとペットボトルの紅茶が入ったカバンを持って、展望台へと向かう。

 「どう、ここは景色がいいでしょう」とでも語り掛けてきそうな場所だったが、訪れる人は少なかった。近くに観光スポットがないし、道も不便なのである。

 乃子は、たまにここを訪れる。一人になれる場所は、大事だった。

 景色を見る、ような格好をする。実際視界には雄大な自然が入っているのだが、脳はそれをとらえていなかった。

 此木このぎさんが退会。そのニュースは、乃子の体中を走り抜けて、三周ぐらいした。

 此木は乃子より一歳若い。

 ああきっと此木さんはプロになるんだろうな。女流棋士になるんだろうな、と乃子は思っていた。

 しかし此木が選んだのは、プロ棋士を目指す道だった。奨励会に入り、挑み、苦しみ、そして退会することになった。結果的に、女流棋士になるらしい。

 いろいろな思いが込み上げてきたから、それらを風に流そうと思った。他人の分まで、悩む必要はない。

 それでも乃子は、完全に心を無にすることはできなかった。アップルパイをほおばりながら、思う。

 此木はこれで、良かったのだろうか。もちろん、挑戦してかなわないことなんてたくさんある。でも、女流棋士を目指していたのならばもっと早くなれたはずだ。

 自分は、どうだっただろうか。奨励会に入りたいと思ったことはない。女流棋士は、目指せばなれたように思う。大学を出て何の目標もない現状よりは、プロになった上を目指した方がよかっただろうか。いや、自分ならばプロになったうえで目標がなかった可能性もある。

 さらには、初那大そなただ。先輩が去るのを知って、どう思っているだろうか。そんなことは全く気にしない子だろうか。

「あーあ」

 結局、勝負は避けられても将棋からは逃げられない。乃子にとって青春とは、将棋をすることだったのだ。

 そんな勝負の世界に、わざわざ戻ろうという人がいる。尊敬の念とともに、そのことは乃子に不安ももたらしている。

 自分も、戻りたいと思う日が来るのだろうか。

 蓮真も、冠もいない。みんなと指すのが楽しかったのだ。一人だけの世界で、頂点を目指したいとは全く思わない。それでも、将棋にとらわれている。毎週美利を指導して、さらには将棋のニュースが気になっている。

「ケーキ食べる仕事したい……」

 乃子は、紅茶を一口飲んだ。予想よりも甘くて、眉をひそめた。


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