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アルバムを見ているときに、気になる写真があった。若いころの母が笑っているものだが、その後ろに賞状が見えたのである。小さな字で、「将棋・アマ・団体」の三つだけは読み取れた。
いくつかの写真がはがされた跡があった。ぽっかりと空いた白地に、初那大は父親を想像した。
そしてある日、押し入れの奥から盾を発見した。そこにははっきりと「女子アマスターカップ団体戦C級優勝」と書かれていた。
母は、将棋をしていたのだ。
そして、「本当の父」がそこにかかわっているような気がした。
初那大は絶対に将棋を職業にしたい、わけではない。自分がどこまで将棋で強くなれるのか、将棋と父がどのようにかかわっているのかを知りたかった。
タイトルをとって辞めたい、というのは本心である。ずっと将棋を続けたいとは思わない。大人になるまでに、夢を見つけたかった。将棋の中には、夢を見いだせていない。
手ごたえはあったのだ。奨励会に入るまでは、予定通りだった。しかしそこで、足踏みをしている。このままでは、プロになれないまま、大人になってしまう。
「初那大」
母の声だ。扉の向こうからだった。
「なに」
「苦しかったら、休んでいいのよ」
「……」
「将棋は……これからもずっと、苦しいことが多いだろうから」
「お母さんは、経験したの?」
「えっ」
「将棋で、苦しいこと」
「お母さんは……将棋、したことないから」
嘘つき。そんなことを、口に出したりはしない。初那大だって、多くの嘘をついてきた。それに、勝手に母親の秘密を覗いたのは、初那大の方だ。
「そうだね」
初那大は、机に突っ伏した。
先輩が、奨励会をやめた。
奨励会を誰かが辞めることは、珍しくない。むしろ半分以上の人が、三段リーグにも上がれずに退会する。
だが、その人がいなくなることは初那大にとって大きな意味を持った。
此木二段。関東奨励会でたった一人の女性の先輩だった。初那大が入会して、とてもうれしそうだったのを今でも覚えている。
此木は、女流棋士になるという。奨励会の段級位のまま、女流棋士に転向できる制度があるのだ。
初那大は、関東でたった一人の女性会員になる。
将棋を指す女性は増えたが、奨励会に入る女性は少ない。「川瀧さんも、女流棋士ならば確実になれたのにね」と言われたことがある。悪気もないようだったので、初那大はとてもがっかりした。奨励会でだって、私は確実に四段になるんだ。そして確実にタイトルを獲るんだ。
此木さんがいなくなることで、「やっぱり女性には無理だ」という見方が広がるだろう。それは、構わない。けれども、「女性として」注目されるのは嫌だった。初那大は、普通に期待される人間でありたかったのだ。
初那大は、「会館に行っても此木さんのことを聞かれませんように」と願った。
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