3-2

 乃子がバイトに来ると、新しいケーキ屋「Mercado de Frutasメルカド デ フルータス」の旗が立っていた。中を覗いてみると、一人の男性が準備をしているのが見えた。

 ケーキ屋が再開する。乃子はそのことがうれしかった。

 仕事に慣れてきたと言っても、好きになったわけではない。一人も客が来なければ楽だな、と毎回思っている。

 それでもケーキが買えるとなれば、少しはやる気が出るのだった。

 午後三時、着替え終わった乃子は、小走りでケーキ屋に向かった。

「いらっしゃいませ」

 背の高い人だ、と思った。旅人と聞いていたので、勝手に陽気な人を想像していたが、落ち着いた感じの青年が立っていた。

 四時が閉店ということで、ショーケースに並んだケーキはすでにまばらだった。

「あの、これ……」

「それはアーモンドケーキですね。アーモンドはここで採れたものではないんですが、スペインで食べてとってもおいしいケーキだったので」

「スペイン!」

 乃子は、予想外の国名に思わず声を上げ、慌てて口を押えた。

 全体的に、地味な色合いのものが多かった。フルーツが、これ見よがしには使われていないのである。

「じゃあ、これとこれを」

「はい、ありがとうございます」

 てきぱきとケーキを箱に入れる青年。胸元に「鳴坂」と書かれた名札が付いていた。



「うわー、乃子姉ちゃん大好き!」

 ケーキを前にして、将彰は満面の笑みを浮かべた。

「乃子ちゃんは競争率高いぞー」

 美利は、目を細めて息子の様子を見守っていた。

「いやいやそんな……」

「ふふ。ありがとね、ケーキまで。私はあんまり買ってこないから」

「この前はフロート貰いましたし」

「はは。私センスないね!」

「そんなこと……。それで、将棋なんですけど」

「うん」

「その……もう、大会には出ないんです。だから勉強もしてなくて。それでもよければ、練習相手には」

「わー、ありがとー」

 美利は乃子に抱き着いた。

「母さんも好きなんじゃん」

「そうだぞー。で、さっそくだけど今日は時間ある?」

「えっと、は……い」

 実はいつも時間があったが、乃子は少し考えるふりをした。

「じゃあ、一局お願いしていい?」

「はい」

「やったー」

 美利は両手を突き上げた。

 この人が女流棋士になったら人気だったんだろうな、と乃子は少し寂しい気持ちになった。

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