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「わー、王手飛車だー」

 その言葉に乃子は、思わず動きを止めてしまった。

 視線を動かすと、7歳ぐらいの男の子がタブレットを操作していた。

「ちょっと、もうすぐご飯来るよ」

「勝ちそうだよー」

「ひよことはいつでも指せるでしょ」

「えー」

 子供は将棋アプリで遊んでいるようだった。母親に無理やりタブレットを取り上げられて、すねていた。

 ああいう時代なかったんだよな、と乃子は思った。

 将棋を指したくて仕方ない、将棋は絶対指したくない、どちらも子供時代には経験がなかった。淡々と指して、気が付いたら強くなっていた。

 食事が届くと、子供は将棋のことなんかすっかり忘れたように、にこにこしながらもりもりと食べ始めた。

「私、きっとつまんない子だったんだな」

 駄々をこねたことも、満面の笑みで食事したことも、乃子には記憶がなかった。青春を将棋にささげて、大人になって将棋を失ってしまった。

「いらっしゃいませ」

 仕事をしている間は、それでも意味のある時間を過ごせる。乃子は、精いっぱいの笑顔で接客した。



 仕事を終え表に出ると、カンカンカン、と木にくぎを打つ音が聞こえた。ケーキ屋の扉に、何かを取り付けているようだった。

「新しい人、見つかったの」

 背後から聞こえてきたのは、佐那の声だった。

「あ、そ、そうなんでね」

 見られていると思わなかったので、乃子は完全に気が抜けていた。慌てて他人向けの顔を作る。

「海外を旅してきたんだって。やる気に満ちてるけど、ふらっといなくなるタイプ」

「なんか、それは困りますね」

「でも、田舎に住み着くパターンもあるし。どうなるかな」

 取り付けられた看板には、「Mercado de Frutas」と書かれていた。

「メーカード……どういう意味なんでしょう」

「わかんない。何語なんだろ」

「えっ」

「まあ、本人が付けたいって言ったから」

「はあ」

 なんとなく、今まで接したことのない人がやって来るんじゃないだろうかと、乃子は思った。

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