1-5

「え、えーと」

 カフェのテーブル向かい側に、年上の女性がいる。昔の知り合いなのに、乃子は極限まで緊張していた。幸いなのは、彼女の息子がいないことだった。先日は運動会の振替で学校が休みの日だったらしい。

「もう、そんなに硬くならないでよ。昔から静かだったけど」

 当時高校生のお姉さんだった人が、今は金髪ママである。同じように対応できるはずもなかった。

 そして庭尾美利は、将棋界では名の知れた存在でもある。

「まさか、会えるとは思わなくて」

「私も。戻ってくる人って、あんまりいないから」

「はは……」

「乃子ちゃん、いたんだなあ。すごいタイミングだなあ」

「え?」

 美利は、紅茶の入ったカップを両手で包んだ。

「また、将棋を始めようと思って。子供も中学生になってね。サッカー頑張ってるの。私も、もう一回頑張ってみようかなって」

「あの、美利さんひょっとして……育成会をやめたのって……」

 当時美利は、女流棋士になるのが当たり前と思われていた。育成会に入り、あとは良い成績を一回とればよいところまで来ていた。しかし突然、彼女は退会してしまったのである。

「うん。将彰まさあきが生まれることになって」

 誇らしいような、はにかむような表情だった。乃子には子供ができるという気持ちは想像できなかったが、少なくとも先日見た二人は仲がよさそうだった。息子は、大切な存在なのだろう。

「それで……」

「育成会がなくなるかも、ってのも言われててね。研修会に入ればって最初は思った。でも全然余裕がなくて、気づいたら今ってわけ」

「大変だったんですね」

「ほんと。父親は逃げちゃったし。親に頭下げてね、なんとかここまで来たってわけ。でも、乃子ちゃんの記事を見てね」

「え、私っ」

 乃子は慌ててむせそうになった。カップを置き、なんとか態勢を整える。

「そう。あの乃子ちゃんがアマ女流天将になって、プロにも勝って、大学日本一のメンバーで。ああ、いいなあ、って思ったの」

「……」

「私もまた挑戦してみようかなって。いつかの夢……プロの先生たちに勝つっていうの、死ぬまでに挑戦したいなって」

「そうですか……」

「ね、シードとかじゃない?」

「え?」

 美利は少し、身を乗り出した。

「地区予選の枠って、二人じゃん。乃子ちゃんが出たら確実に一枠だから。だから私、アズサちぉんに勝たないといけないでしょ。それ以外にも――」

「私、出ません」

「ん? え?」

「将棋、やめたんです」

「えー――っ!」

 店内に響き渡った声が自分の耳にも入り、美利は慌てて口をおさえた。


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