第9話 彼女の理由
無邪気ってのは、許される場合とそうでない場合がある。彼女の場合は、後者だった。ただ、もうどうでもいい話になってしまったけど。
二人でラーメン屋を出た後は、どちらから言うでもなく、自然と足が、この間と同じカフェに向かっていた。
揃ってアイスコーヒーを飲みつつ、いろんな話をした。
学校生活のこととか、趣味のこととか、色々。
ちなみに燕原さんの趣味は、意外と言ったらすごく悪いけど「刺繍」ってことだった。まるっきり想像できなかった事だけに、結構驚いた。でも彼女は「例えばこれ」と言って、自分のハンカチを見せてくれた。
ありふれた白い無地のハンカチ。さっき辛いものを食べて汗を掻いたせいか、少し湿っているそれには、隅っこの方に愛らしい猫のシンボルが、青い糸で縫い付けられていた。
「これ、燕原さんが?」
「そうよ」
どこかしら、得意げな彼女だった。でも、これは誇っていいレベルだと思った。
話題が一区切り付いたところで、少し間が開く。なんだろう。空気がすごくくすぐったい。悪い方向にじゃ決してないんだけど、いつものようにニコニコした燕原さんの顔を見るのが、無性に恥ずかしい。苦し紛れに、言った。
「ねえ、燕原さん。偶然が重なるのはいいとして、僕なんかといて、つまらなくないの?」
すると、燕原さんは少し心外そうな顔で、若干眉根を寄せた。
「何言ってるのよ。雁ヶ崎君だからいいんじゃない!」
「そ、そういうもんなの?」
「そうなの!」
異論は認めない、といった調子の燕原さんだった。思考で理解するより先に「よかった」と思っていた。
また、少しの沈黙。再度の、お見合いタイムだった。耐えかねたように、燕原さんが言う。
「え、えっとさ? そのぅ……ま、前の学校でのことは、率直に謝るわ。べ、別にね? あたしは雁ヶ崎君のことが嫌いだったからってわけじゃなくてね? その、同調圧力に負けたってのと、それと、えー、あー、うー……」
ぐんぐんと赤くなっていく、燕原さんの顔。耳まで赤い。
「それと?」
珍しく、少し意地悪になっていた。続きが聞きたかった。でも彼女は、頭のてっぺんから湯気まで昇らせるほど赤くなって、俯いてしまった。でも、ぽつりとした声。
「……あたし、ひねくれてるから、さ……」
よく分からなかったけど、それ以上は聞いても教えてもらえそうになかった。
気が付くと、お互いのコーヒーはすっかりなくなっていた。なんだろう。シチュエーション的に、彼女を詰問して追い詰めたようにも思える。ばつが悪い。
「で、出よう」
「ん……」
真っ赤な顔で俯いたまま、小さな返事。揃ってそそくさとカフェを出た。
「はふう……ごめんね、雁ヶ崎君。あたし、今日はもう帰るわ」
「ん、分かったよ。熱?」
「出させたのは誰よ……」
純粋に心配したのに、なぜか恨みがましいトーンの呟きが返ってきた。
「えっ? それってどういう……」
「なんでもない! それじゃね!」
それについて答えを知るより先に、燕原さんはきびすを返し、雑踏の中に消えていった。
――その日の夜。気が付けば、彼女のことばかりを考えていた。
笑顔。困り顔。優しい顔。少し怒った顔。どれを思い出しても、無性に胸が締め付けられた。
『運命的って言いなよ』
彼女の言葉がフラッシュバックする。
運命、か。仮にそうだとしたなら、やっぱりいまだに、前の学校での事が気になる。
彼女は「同調圧力」と言った。確かに、標的だった身からすればたまったもんじゃなかったけど、例えば他のクラスメイトがかばおうものなら、そいつもいじめの対象になっていたのを覚えている。
今にして思えば、そして、容認するわけじゃないにせよ、ある意味で僕は、「クラスの団結を維持するための生贄」だったのかも知れない。
けど、燕原さんには、それ以外にも理由があるらしい。それが知りたかった。ただし、無理に聞いて教えてくれるものでもないことは、直感で分かった。
結局の所、今彼女に抱いている気持ちは……「好き」ってことなんだろう。
その結論に至ると、ふうっと気が楽になった。同時に、熱い衝動が、全身を駆けめぐる。
そうか、これが恋か。悪くない。いや、素敵じゃないか。
じゃあ後は、どのタイミングで彼女にこの気持ちを打ち明けるか? が、問題だ。
でも、「考えなくていいや」と思った。
だってきっと、彼女の言う通り、この縁が運命的だったなら、時の流れが自然に舞台を用意してくれるはずだから。
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