第7話 夏のアクシデント
プラスのことでもマイナスのことでも、いったんブレーキが外れると、勢いよく転がるらしい。
やがて、学校も夏休みに入った。
予定は、特になかった。あ、お盆になったら家族で墓参りに行く予定が入ってるけど、それ以外は本当に何もない。
ただ、せっかくの休みなのに、ひねもす冷房の効いた部屋で過ごすってのも、それはそれで虚しい。親も特に干渉してこないから、自由と言えばそうだ。
その日は、ちょっと出かけたい気分だった。理由なんかはないし、ついでに目的もない。しいて言えば「外出のための外出」だった。
人混みの中に出ても恥ずかしくない程度のラフな服に着替え、商店街へ向かった。途中、さりげに好きなクレープ屋にでも寄ろうかな、程度のプランで、アーケードの中に入る。
商店街は、さすが夏休みと言うべきか、結構な賑わいを見せていた。だらしなく見えないように最低限気を配りつつ、ウィンドウショッピングをしつつ、のんびりと歩く。もっとも、着るものとかカバンとか靴とかに、さほどのこだわりはないんだけどね。
と、その時だった。向かいから、知った人影が近づいてきた。垢抜けた、青を基調にした夏服で身を固めた、その女の子は……
「わっ!? かかか、雁ヶ崎君!?」
「うん……はいいけど、そのリアクションは何? 燕原さん」
のけぞり気味と言っていいようなオーバーアクションで驚かれると、なんだかコントを見ているような気になる。燕原さんの顔は、なぜか赤かった。勝手にわたわたしながら言う。
「ぐぐぐ、偶然ね? ど、どこ行くの?」
「いや、特に目的はないよ。ぶらっとしてるだけ」
「そそそ、そう。あ、あたしはちょうど、用事が終わって、その、えっと、そのまま帰るのもなんかもったいないなーって思ってて、だから、えーーー……」
ますます赤くなる彼女。なんかこっちまで調子が狂う。
しばらくモゴモゴした後、いかにも「思い切りました!」という感じで、彼女が言う。
「ね、ねえ、お互い暇なら、一緒にぶらっとしない!?」
疑問形でありながら、願望形にも聞こえた。いつぞやの学食みたいに、断ったら、まるでこっちが悪いみたいだ。
とは言え、彼女と一緒に行動することが嫌ってわけじゃない。むしろどこか嬉しい。
「いいよ、じゃあどこに行く?」
「んー、決めてないから、雁ヶ崎君に任せるわ」
「僕もノープランなんだけど……」
「『ノープランというプランがある』ってことにしときましょうよ?」
ないものがある、って、なんか哲学っぽくないか? とか思いつつ、揃って歩き出した。
途中、あまり会話は転がらなかった。でも、別に困りはしなかった。何と言うか、無理をして話す必要性を感じなかったからだ。
ただ、分かったことがある。燕原さんも、と言っていいのかは微妙だけど、ブランド品なんかにはほとんど興味がなくて、むしろ個人経営のブティックなんかにひっそり飾られている、こだわりの逸品的なものが好きらしいこと。
あるいは、僕とは逆に、辛いものが好きだと言うこととか。商店街の中にあるタイ料理屋が、店の外でテイクアウト専用に売っているトムヤムクンスープを買って、この暑いのに、ほんとうに美味しそうに食べる姿なんかは、純粋に可愛いと思った。
「一口飲む?」
「い、いや、遠慮しとくよ……」
実に屈託無く、スープが入ったカップを差し出してくる彼女に、別の意味でドキドキしていた。だって、変に口を付けたら、間接キスになるじゃないか。
「トムヤムクンには、やっぱりフクロタケよねー」
「そ、そう……」
どうやら、よっぽどトムヤムクンが好きらしい。ご満悦と言った感じの燕原さんだった。
さらにブラブラしつつ、今度は僕のリクエストを聞いてもらうべく、お気に入りのクレープ屋に向かった。
「可愛いところあるんだね、雁ヶ崎君?」
「別にいいだろ、男がクレープ好きでも」
「やだ、悪いなんて一言も言ってないわよ?」
軽いジャブの応酬をしつつ、少し迷った末にチョコバナナクレープを頼み、店員から受け取った。
大好きな! クレープ! と、思いつつ、勢いよくかじりつこうとしたんだけど、できなかった。なぜって、やけにニコニコした燕原さんが、食べる様をじっと見つめていたからだ。
結局、それこそ女の子みたいに慎ましくクレープをかじるしかなかった。味は、やっぱり分からなかった。
「アイスコーヒーのレギュラーサイズ、お二つですね」
「「はい」」
少し歩き疲れて、ありふれたチェーンのカフェに二人で入ることにした。アイスコーヒーの乗ったトレイを手に、空いている席に向き合って座る。
「「ふう」」
一息つく声さえハモった。なんだか、自然にお互い微笑んでしまう。
コーヒーを飲みながら、不思議なことに気が付いた。
燕原さんが、いかにも「言いたいことがあります!」という顔だったからだ。
「どうかした?」
「は、はへっ!? あ、いや、その、えーっと……なんでもないですじょ!?」
あからさまにキョドる彼女だった。いや、微笑ましいとも言えるけど、変であることには変わりない。
少し、無言の間が流れる。やがて、彼女が言った。
「きょ、今日はその、ありがとね。無理に付き合わせちゃって」
ずいぶんな恐縮ぶりに、かえってこっちが申し訳ない気分になる。そんなにへりくだる必要が、どこにあるのかが分からない。
「いや、そこまで言わなくてもいいよ。僕もどうせ暇だったし」
「そ、そう? だったらいいんだけど」
分かりやすいぐらいに安堵する彼女だった。やがて、ふいに真面目な顔になる。
「……まだ、怒ってる?」
それが「いつ」、「どこで」の話かは、僕達だけしか知らない。つまりは、前の学校でのことだ。不安げな彼女に、自分でも驚くほどに穏やかに言った。
「もういいよ、あの時の事は。それに、考えてみてよ。仮にまだ僕が燕原さんを嫌いなら、なんで今、二人っきりでお茶してるのか? って話にならない?」
「そ、それもそうね、そうよね。ほぅっ……」
思いっきり安堵のため息をつく、燕原さんだった。なんだか、こっちも安心する。
と言うか、我ながら不思議でしょうがなかった。恨み骨髄に徹するまで嫌悪していた相手を、今やすっかり許している自分の変化が信じられなかった。
まあこれは、繰り返しになるけど「恨むのに疲れた」ってのが大きいんだけど、それを通り越して、明確な好意を抱き始めているのが「変われば変わるもんだなあ」と、どこか他人事のように思えた。
また、無言の間。ただ、なんだか気分的には、お見合いをしているような空気感だった。彼女の顔はずっと赤いままで、もしかしたら具合でも悪いのかな? とさえ思う。それは当たりだったようで、なんだか疲れたような調子で、彼女が言った。
「ご、ごめん、雁ヶ崎君。あたし、ちょっとめまいがしてきた……」
「えっ? そりゃごめん、じゃあ、もうお開きにしようか?」
「そこで謝らないでよね……」
「どうして?」
「どうでもいいわ。出ましょ」
細かい謎は残ったんだけど、深追いしても無駄だろうとなんとなく分かったから、その日はそれでお開きになった。
別れ際の彼女の背中が消えるまで、目で追っていると……なぜだか、とても温かな気持ちが、胸に満ちていくのを感じていた。また、こんな「偶然」があるといいな、と、はっきり思った。
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