第3話 据わりのよかろうはずもなし?

 それは例えば、安息の地だと思っていた花畑で、予想だにしなかった落とし穴にはまったような感じだった。


 次の日から、ものすごく落ち着きのない日常が始まった。

 だって、言ってしまえば「逃げおおせたはずの敵」と再会して、しかも隣の席なんだよ? いつちょっかいを出されるか? あるいは、いつ彼女の口がマシンガンと化すか? 気が気じゃないよ。


 でも。別の意味で奇妙に、日々は過ぎていた。そう。拍子抜けするほどって言うと、逆に「いじめられるのを期待してるのか?」とも解釈されかねないけど、そうとしか言えない。何も起きないんだよ。確かに、隣の燕原さんが、折に触れてこっちを見ているのは分かる。けど、妙な素振りは一切見せなかった。


 こうなってくると、かえってますます困る。

 と言うか、気分としては「拷問を始めるぞ」と宣告されたものの「いつからか?」をハッキリさせないようなものだった。この状態で「落ち着け」って方が無理だと思う。


 頭の中には、以前いじめられた時の記憶が、それはもう鮮明にフラッシュバックして、胃の痛さはますますひどくなるばかりだった。しまいには、学校に胃薬を持ち込むようになった。


 不気味な日々が過ぎていった。


 外の雨も、まるで空が、代わりに泣いているかのように見えた。

 じり、じり、じり。

 燕原さんは、特に、何かを話しかけてくるわけじゃなかった。それが、かえっていっそう不気味だった。


 疑心暗鬼になって、クラス中の雑談に耳をそばだててみた。今のところ、悪い話題は出ていないようだった。


 それでも安心できなかったのは、ほぼ四六時中と言っていいほど、燕原さんからの視線を感じることだった。


 ちょっと考えてみて欲しい。「刑の執行人」から、常に見張られてるんだ。きっと、タイミングを見計らっているに違いないと思うのは、自然なことだろう?


 教室内は少し蒸し暑いにもかかわらず、かくのはじっとりとした冷や汗だった。落ち着かないことを表す言葉として「据わりが悪い」というのがあるけど、まさしくそれだった。


 こんな状態で、授業の内容なんか頭に入ってくるはずがない。先生の話はずっと右から左へ筒抜けで、小テストも散々なことがほとんどだった。


 一週間ほどが経っただろうか? なお不気味というか、一周回って不思議ですらあるんだけど、状況は変わっていなかった。つまり、隣の燕原さんから常に視線を感じるものの、特にイジメが始まることもない。クラスメイトの雑談にも、いまだ悪い話は出てこない。


 別の意味で、ものすごいストレスだった。知っている知識として、死刑囚は刑の執行を当日に知らされるらしい。今が、やっぱりそうだった。胃の痛さは絶えることなく、ある時なんかは、あまりに体調がひどいものだから、昼休み前に早退することにした。

「ちょっと、大丈夫? 顔色がかなり悪いけど?」

 帰り支度をする僕に向かって、初めて燕原さんが、意味のある言葉を投げかけた。


 ……なんだよ、そのセリフは。誰のせいでこんなに体調を崩してると思ってるんだ? 自覚がないのか? だったらなお厄介だ。ただ、無視をするのも最低限の礼儀に欠けると思う。だから、短く彼女に返した。

「明日はちゃんと来るよ。多分だけど」

 すると燕原さんは、どこか物憂げな面持ちでさらに言った。

「そう……。お大事に」

 とてもじゃないけど、額面通りに受け取れない言葉だった。ただ、そのことを口に出せば、自爆するのは目に見えている。

「それじゃ」

「ええ」

 他のクラスメイトにも会釈をして、その日は帰宅した。幸いなことに、早退してゆっくり休めたことが奏功したのか、翌日からは普通に登校できるようになった。ただし、胃薬はまだカバンの中にあったけど。

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