第23話 地下闘技場

 地下闘技場への階段を降りながら、エイスケは口酸っぱくハルに忠告していた。エイスケがハルと組んでから、ハルが勝手に単独行動した数は二十回を超えている。いくら注意しても足りないぐらいである。


「いいかハル、今回は探りを入れるだけだ。絶対に目立つようなことはするなよ。絶対だぞ」

「分かってるって、エイスケ。でもさあ」

「でも?」

「アンブローズが見つかったら捕まえちゃっても良いんだろう?」

「そのアンブローズとは絶対に戦うなって言ってるんだよ!」


 事前に目を通したアンブローズの資料を思い出す。


『暴力』の悪役ヴィランアンブローズ・ランス。全身および触れたものを硬質化させる能力を持つ。特筆すべきは悪役ヴィランの中でも最上位にあたる身体能力で、二年前の『少女愛』の悪役ヴィランウーロポーロ・ヨーヨーとの戦いでは、ウーロポーロが生み出す無限の兵隊に対して周囲のビルを投擲しながら対抗したという。


 当然、悪望深度はA。絶対に関わってはいけないタイプの悪役ヴィランだ。


 とにかくアンブローズに見つからずに強化ドラッグの情報を手に入れるのが、今回の潜入調査の目的だ。強化ドラッグが見つかり、アンブローズの目的が判明すれば、第十二課テミス以外の他の課に情報提供して協力を仰ぐこともできるだろう。


「止まれ」


 階段を降りた先には地下闘技場に繋がる門扉があり、黒服の強面たちが入場口の警備をしていた。

 とは言っても警備はザルだ。チケットさえ持っていれば顔が知られている犯罪者だって入場できる。違法賭博の客に求められるのは、金を出すこと、自衛できること、二点のみである。


 今回は潜入調査のため、エイスケたちは悪役対策局セイクリッドの制服ではなく、私服を着ていた。エイスケとハルはいかにもケイオスポリスの若者らしいストリートファッションで、怪しまれずに入り口を通過する。


 同じようにアレクサンドラが通過しようとして、警備の男が戸惑ったようにアレクサンドラを二度見する。


「なにか?」

「いや……なんでもねえ」


 そう、アレクサンドラはいつも通りの黒い執事服を着ていた。エイスケは必死に止めたのだが、アレクサンドラは私服がこれしかないと譲らなかったのだ。おまけに背中には長剣を背負っている。ギャンブルにハマった主人の護衛として来るならともかく、執事服を着て長剣を背負った少女が地下闘技場に来るのは相当に目立つ。目をつけられないことを祈るしかない。




 入り口から通路を抜けて地下闘技場に入ると、観客たちの雄叫びが聞こえてくる。


 円形の観客席に囲まれている中心で、悪役ヴィランが凶獣を倒してガッツポーズを上げているのが見えた。ケイオスポリスに闘技をウリにした賭場は無数にあるが、それぞれに個性がある。この地下闘技場では、悪役ヴィランが悪望能力を使わずに素手で凶獣と戦うのをセールスポイントにしていた。


 凶獣はよく調教されているため観客には危険が無いということになっているが、先日凶獣が脱走した件を考えると怪しいものだ。武器の持ち込みが許されているのは、いざとなれば自分で何とかしろ、ということだとエイスケは解釈している。


「盛り上がっていますね」

「ちょうど前の試合が終わったみてえだな」


 エイスケたちが観客席に座ると、次の闘技者が入場した。


「さあ、お次は『サメ』の悪役ヴィランシャークのエキシビジョンマッチだ!」

「なんだありゃあ」


 『サメ』の悪役ヴィランと呼ばれた闘技者は、本当に頭部がサメの形をしていた。雄々しい背びれも背中に生えている。地下闘技場の警備たちと同様に黒いスーツを着ており、鍛えた筋肉で今にも服が破けそうだ。シャークが片腕をグッと上げると、さらに大きな歓声が上がる。大人気である。エイスケはシャークという名前に聞き覚えがあったが、まさかな、と首を振る。


「シャークに対する凶獣は、五連勝中の期待のルーキー、ロージーちゃん!」

「だからなんでちょっと可愛い名前つけてるんだよ」


 ロージーちゃんは二本足で歩いており人間のようなシルエットだが、地面まで伸びる長い腕は四本ついていて、手のひらに相当する部分には鋭い牙を持つ口が見えた。夢に見そうだ。凶獣は『凶獣』の悪役ヴィランによって生み出されたというが、何を思ってあんなデザインになったのだろう。


「ハル、どっちが勝つと思う?」

「その前にあれってどっちが悪役ヴィランでどっちが凶獣だ?」

「『サメ』の悪役ヴィランって呼ばれてるんだから、サメのほうが悪役ヴィランなんだろ、たぶん……」


 どちらも人間からはかけ離れた姿をしていてエイスケにも自信がなかった。シャークと呼ばれた悪役ヴィランは身長2メートルを超える大男だが、凶獣のほうはさらに一回り大きい。遠近感が狂いそうだ。

 試合が始まる前に、スタッフが何か注射器のようなものを取り出した。


「あれって……」

「例の強化ドラッグに似てるな」


 スタッフが注射器をシャークに渡すと、シャークはそのまま首元にドラッグを突き立てる。


「この試合は”レミニセンス”のデモンストレーションも兼ねています!」


 追想レミニセンス? ドラッグの名前だろうか?

 サメと凶獣が威嚇しながら向かい合う。


「それでは! 始め!」


 試合開始のゴングが鳴った。凶獣が生物の声とは思えない鳴き方をしながらシャークに迫る。長い腕の先にある口からも鳴き声を出していて、ちょっとしたホラー映画のようだ。


「ボ、ボ、ボボボボボボッ!」


 凶獣の長い腕がシャークに伸び、手のひらの牙が噛みついた。スーツが破れ、鮮血が飛び散る。だが、シャークは意に介せず、噛みつかれたまま前進し続ける。どうするつもりだ?


 勝負は一瞬だった。


 シャークは凶獣の目の前まで接近すると、そのまま大きく口を開けた。サメの鋭い歯で凶獣の頭部を食いちぎる。あわれロージーちゃんは青い血を噴水のように吹き出すと、そのまま倒れ伏した。

 司会が叫び、観客が歓声を上げる。


「勝者はシャーク! ”レミニセンス”は闘技者として勝ち続けている悪役ヴィランに与えられるぜ! 腕に自信のあるヤツは是非、闘技者登録してくれ!」


 司会の説明を聞いて、エイスケは嫌な予感を覚えた。


 まずい。この二ヶ月でハルの行動は読めるようになってきた。ハルを止めなくてはならない。慌ててハルのほうを見るが、既に姿を消していた。エイスケはアレクサンドラと顔を見合わせる。


「ハルくん、どこに行ったと思う?」

「既に闘技者として登録しているでしょうね」

「ですよね」


 闘技者にレミニセンスが与えられると聞いて、喜び勇んで登録しにいったのだろう。そもそも凶獣の駆除も悪役対策局セイクリッドの仕事の一つなので、ハルからすればドラッグの情報を得られて凶獣退治もできて一石二鳥だ。つくづく潜入任務に向いていない性格だった。


 案の定、そわそわしながらしばらく待っていると見知った顔の少年が闘技者として出てくる。


「さあ次は飛び入りゲストだ! 『正義』の悪役ヴィランハル・フロストォォッ!」

「本名で登録してやがる!」


 エイスケは頭を抱えた。あれほど目立つなと言ったのに聞いていなかったのだろうか。この地下闘技場の実態は違法賭博だ。悪役対策局セイクリッドが違法賭博の闘技者として参加したとなると、ユウカやシンリから雷が落ちるかもしれない。しかもハルを止められなかったエイスケも連帯責任で怒られるやつだ。すでに憂鬱な気持ちになってきた。


 ただの子供にしか見えないハルに対してヤジが飛ぶ。「おいおい大丈夫かよおチビちゃん!」「あーあ、凶獣のエサだな、こりゃ」「帰ってミルク飲んだほうが良いんじゃねえかあっ!?」


 悪役ヴィランの強さは見た目では分からないが、ただの観客にはそういった知識は無いだろう。ハルは青筋を立てて観客を見回していた。あ、これはヤジを飛ばした一人一人の顔を覚えているな。


 エイスケが観客を気の毒に思っていると、ハルの対戦相手の凶獣が出てきた。象のような姿をした凶獣は、シャークが相手にしたやつよりも遥かにデカい。凶獣とハルを比較すると、まるで象とアリだな、とちょっと笑ったところで、ハルがエイスケを見た。「今、僕をアリに例えたな?」「まさか。相棒を信じろよ」アイコンタクトで意思疎通する。ハルは追求を諦めて、凶獣のほうに向き合った。危ないところだった。あれでハルは変なところで勘が鋭い。


「悪望能力を使えないルールでしたよね。大丈夫でしょうか?」

「ま、問題ないさ」

「意外と冷たいのですね。ハル・フロストの心配をしないのですか?」


 エイスケはアレクサンドラの懸念に笑って答えた。エイスケはハルの戦いを何度も、間近で見ている。背中を預けても良いと思う程度には、ハルは強い。


「ハッ。ハルが凶獣に負けるかもって? あり得ねえよ。『正義』の悪役ヴィランは最強だ」

「アナタ、ハル・フロストがいないところではハル・フロストのことを褒めるんですね」


 アレクサンドラが意外そうにこちらを見るが、エイスケは気まずくなって視線を逸らした。そろそろ試合が始まりそうだ。凶獣が威嚇するのに合わせて、ハルのほうも両手を上げて怪獣ごっこの子供のように威嚇している。


「それでは! 始め!」


 試合開始を示すゴングと同時に、凶獣がハルに突進した。観客席から悲鳴が上がる。


 エイスケはそれをなんの心配もせずに眺めていた。並の悪役ヴィランなら一撃でぺしゃんこだろうが、あれは『正義』の悪役ヴィランだ。


 案の定、ハルは無傷だった。巨大な凶獣に正面から激突して、数歩分だけズルズルと下がったあとに止まる。凶獣の一撃を完全に受け止めきったハルは、お返しとばかりに拳を構えた。


「誰が顕微鏡で拡大しないとよく見えない微生物チビだって!? 僕を見下ろすなっ!」


 そこまでは言ってないだろう、とエイスケは思った。ヤジを飛ばしていた観客も、そこまでは言ってないだろう、という表情をしていた。


 ハルは憤怒の声を上げながらそのまま凶獣を思い切り殴りつける。轟音が響き、殴り飛ばされた凶獣が空を飛んだ。頭部がひしゃげて命を失った凶獣は、そのままヤジを飛ばした観客のほうに降っていく。

『正義』の悪役ヴィランハル・フロストは、悪望能力を使わずとも身体能力だけで凶獣を圧倒するほどに強い。


「うわあああああ! あいつめちゃくちゃだあああ!?」


 観客たちが慌てて避難して出来た空席に凶獣が落下し、観客席が派手に壊れる。凶獣の残骸っぽいものが飛び散った。観客たちは恐る恐る、落下してきた凶獣を観察する。凶獣がピクリとも動かないのが確認されると、一瞬の静寂のあと、地下闘技場にハルを称賛する喝采が降り注いだ。


「うおおおおスゲえ!」「やべえ! ハル! ハル・フロスト!!」「次の試合はあいつに賭けるぜ!」


 エイスケが想像していたよりも、ハルの身体能力は凄まじかった。見た目だけで数トンはありそうな凶獣を片手で吹き飛ばすとは。化け物か?

 ハルが右拳を上げると、観客からコールが起こる。


「ハール! ハール! ハール!」


 大盛りあがりだった。正攻法でのレミニセンスの入手はハルに任せて、エイスケたちは別の場所を探るのが良いだろう。


「ここは任せても問題無さそうだな。俺たちは少し裏側を探るか」

「何かアテはあるのですか?」

「任せておけって。実は何度かここの仕事を請け負ったことがあってな。レミニセンスとやらが保管されている場所の心当たりがいくつかある」



 ◇◇◇



「あら? あらあら? ハルちゃん、とても良いじゃない」


 傷顔の男、『暴力』の悪役ヴィランアンブローズ・ランスは、眼下で繰り広げられているハル・フロストと凶獣の戦いを見て満面の笑みを浮かべた。地下闘技場は『暴力アイ』に溢れた闘技者が多い。とても素敵だ。そんな闘技者たちの中でも、ハルの強さは頭一つ抜けていた。その拳を直で受けてみたい。


「あたし、ちょっとハルちゃんと触れ合ってこようかしら」

「シャークックック! おいおい良いのか? ここで時間を稼ぐんじゃなかったのかよ」


 笑いながらアンブローズを止めるのは、サメの頭部を持った不可思議な男。『サメ』の悪役ヴィランシャークだ。


「ちょっとぐらい良いじゃない。もう目的は達成してるわよう」


 ハル・フロスト、エイスケ・オガタ、アレクサンドラ・グンダレンコをこの地下闘技場に引きつけた時点で、既に目的は達成したようなものだった。そのために、アンブローズはエイスケに接触し、わざわざ手がかりを与えたのだ。悪役対策局セイクリッドの内通者も、なかなか良い働きをしてくれた。


「ま、俺は金が受け取れりゃあ、なんでもいいんだがよ」


 シャークはアンブローズが金で雇った傭兵だ。正悪問わず、金を払えば略奪の手助けをしてくれる『略奪商会』の殴り屋。こういう時は使い勝手が良い。


「それじゃあ、あたしはハルちゃんと遊んでくるわ。シャークちゃんは、エイスケちゃんとアレクサンドラちゃんをお願いね。適当に遊んで時間を稼いだら帰ってよいわよ」

「馬鹿言うなよ。『サメ』に適当な遊びなんてねえ」


 獰猛に尖った歯をむいてシャークは笑った。


「『サメ』はいつだって本気で食い殺す」

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