第22話 第三世界思想

 ブラハードとの戦いから二ヶ月が過ぎた。つまり、エイスケとハルがバディを組んでからも二ヶ月が経ったことになる。


 エイスケは悪役対策局セイクリッドのオフィスの自席で資料をパラパラとめくっていた。調査班によって、ブラハードが出入りしていた場所はおおかた上がっている。あとはここから強化ドラッグの出どころを絞り込むだけなのだが。


「なんかあの注射器、見覚えあるんだよなあ」


 思い出せそうで思い出せない。モヤモヤが募るばかりだ。


 エイスケは息抜きに別案件の資料を手に取った。そこには見知った女の写真が貼り付けてあった。

 なぜか右手の甲を左頬に押し付けて笑っている女。高笑いが今にも聞こえてきそうだ。機械人形暴走犯、アデリー・ソールズベリーである。エイスケは犯行動機を読み上げる。


「犯人は”なんだかむしゃくしゃしてやりましたわ~”と供述しており……?」


 あいつホントに何だったの? とエイスケが呆れていると、後ろからユウカが資料を覗き込んできていた。ユウカの後ろにはいつも通り、二人の執事が物静かに控えている。


「最近そういった悪役ヴィランの犯行が多いんですよね。春だからでしょうか?」

「……」


 悪役対策局セイクリッド選考試験の最後、エイスケはユウカの悪役ヴィラン嫌いの一端を垣間見たが、ユウカはその後も悪役対策局セイクリッドのメンバーとの親しげなコミュニケーションを崩さない。これが演技だとしたら大したものだ。


 それはともかく、この二ヶ月の間に、エイスケは赤い瞳の悪役ヴィランに何度も遭遇していた。


「アデリー・ソールズベリー、ブラハード・バーン。二人とも戦闘時に赤い瞳をしていたのは報告したよな? 他にも何人か、そういう悪役ヴィランに会った」

「ええ。エイスケさん以外の方からも、同様の事件が報告されています。第十二課テミスの管轄での事件が多いため、最近は大忙しですよ。何らかの悪望能力による可能性はありますが、少なくとも悪役対策局セイクリッドの登録情報にはそういった悪望能力を持った悪役ヴィランは存在していません」


 仮に悪望能力だったとしても、目的が掴めない。逮捕された悪役ヴィランには共通項が存在しないのだ。ただ悪役ヴィランを暴れさせて、何の意味があるのだろう。悪役対策局セイクリッドへの嫌がらせか?


「何が目的なんだろうな」

悪役ヴィランの動機を考えるのは無意味ですよ。彼らはただ、己の悪望に忠実なだけですから」

「……まあ、それもそうか」


 ユウカの言うことは正しい。ブラハード・バーンだって人間を燃やしたことに意味なんてなく、ただ燃やしたいから燃やしただけなのだ。悪役ヴィランを暴れさせたいだけの悪役ヴィランがいたって不思議ではない。エイスケは考えることを放棄した。


「そういえば、アデリーはこのまま東の監獄島送りなのか?」

「いいえ、状況が状況ですからね。条件次第では釈放されるはずですよ」


 他者の精神に干渉する悪望能力が仮に存在するとしたら、悪望深度A以上なのは間違いないだろう。地下闘技場のペット探しを手伝ったばかりにそれほどの大物に狙われたアデリーに同情していたエイスケは、青髪の青年がこちらに近づいてくるのに気付いた。

 第十二課テミス調査官、『分析』の悪役ヴィランディルク・ヘルブランディだ。


「エイスケさん、例の件の調査が終わりましたよ」

「おう、悪いな。私用みたいなものに手伝って貰っちまってさ」

「いえいえ。僕は例のアレを貰えるだけで結構ですから」

「それなんだが……報酬はマジでアレでいいのか?」

「アレってなんですか? 何か違法なものではないでしょうね?」


 ユウカが訝しげな目でエイスケを見る中、エイスケはデスクから報酬として要求されたものを取り出す。それは、紙だった。自己紹介用の質問が書かれたカードで、エイスケは律儀にその質問を埋めて、血液型、誕生日、好きな食べ物などを書き並べている。それをディルクに手渡すと、ディルクは書かれた内容を二度読んでから、満足そうに頷いた。


「結構です。こちらが依頼された内容の調査結果です」

「まあ、あんたが満足ならいいんだが……」


 素直に怖い。嘘の内容を書くことも思いついたが、露見した時のことを恐れて素直に全て書いてしまった。


「てっきりエイスケさんはこういった質問に嘘を書くタイプだと思っていたのですが、全て本当のことが書いてありますね。意外性があって満足しました」

「全部知っているなら書かせる必要あった?」


 悪役対策局セイクリッド悪役ヴィランの奇行にいちいち突っ込んでいては身が持たない。エイスケはこれ以上のツッコミを諦めると、ディルクに渡された調査結果の封筒を開いた。後ろから興味深そうにユウカが覗いてくる。


「これは……悪役ヴィランの調査結果ですか?」

「ああ。ちょっと気になるやつとすれ違ってね。ディルクに依頼して調べてもらった」


 アルミロの墓参りを終えた後に出会った、古傷だらけの男。

 調査資料には、こう書かれていた。『暴力』の悪役ヴィランアンブローズ・ランス。エイスケでも名前だけは知っている大物だった。恐る恐るディルクに確認する。


「『暴力』のアンブローズって言うと、『少女愛』のウーロポーロ・ヨーヨーと戦って唯一生き残った悪役ヴィランっていうあの……?」

「はい。懸賞金三千万リゴベスドルの大物です」


 ウーロポーロとアンブローズが戦ってケイオスポリスの一区画が吹き飛んだ話を聞いた時は、絶対に関わらないようにしようとエイスケは心に誓ったものだった。


 それほどの大物がエイスケに会いに来ていたとは信じられないが、資料に貼られているアンブローズの顔写真は、確かにエイスケが目撃した男と同一人物だ。アンブローズは二年前にウーロポーロと戦ってからは、表社会からも裏社会からも姿を隠している。ヨーヨー・ファミリーと事を構えた以上、見つかればまた戦いに発展しかねないからだ。今になって、なぜ目立つような行動をする?


 それにしても、とエイスケは資料の詳細さに舌を巻いた。


「よく会った場所を伝えただけで、アンブローズだと分かったな?」

「それが僕の『分析』の悪望能力ですからね」


 ディルクが軽く右手を上げる。ディルクの『分析』の悪望能力は、触れた物質の情報を読み取る悪望能力だと聞いている。今の口ぶりからして、場所、無機物の記憶を読み取ることもできるのだろうか。それが本当なら、悪役対策局セイクリッドの調査班が優秀なのも理解できる。


 感心しながら、エイスケはアンブローズの資料を読み進めた。アンブローズの悪望能力、経歴、思想、第三世界推進派。


「ん? 第三世界推進派ってなんだこれ?」

「ある種の悪役ヴィランに蔓延している、そういうカルトがあるんですよ」


 エイスケの疑問に答えたのはディルクだ。


「エイスケさんは、『可能性』の悪役ヴィランのことを知っていますか?」

「始まりの悪役ヴィランだろ? 全ての悪役ヴィランを生み出した元凶。流石に知ってるさ」

「そう。世界には異能力者は『可能性』の悪役ヴィランしかいなかった。しかし、『可能性』の悪役ヴィランは、人類の可能性を見たいという悪望を持ち、やがて世界には、悪望能力に覚醒する人間が生まれるようになった。『可能性』の悪役ヴィランは、悪役ヴィランを生み出す悪望能力を所持した始まりの悪役ヴィランです」


 ろくに教育を受けていないエイスケでも知っている歴史だ。世界規模の悪望能力とは荒唐無稽に思えるが、実際に起きた出来事なのだから事実として飲み込むしかない。


「それが何か?」

「大事なのは、『可能性』の悪役ヴィランの死後も、悪役ヴィランは生まれているということです。これはある意味、『可能性』の悪役ヴィランが世界を改変して、僕たちはその第二の世界を生きているといってもいいですよね?」

「そうか? まあ、そう言われたらそうかもしれないが……」


 異能力者がいなかった世界を第一とするなら、『可能性』の悪役ヴィランが作り出した異能力者が生まれる世界は第二世界というわけだ。


「エイスケさんは、第二世界が、最後だと思われますか? 一度起きたことは、二度起きるかもしれませんよ」


 エイスケは、だんだんとディルクの言わんとすることが分かってきた。


「世界を覆うほどの悪望能力を持つ悪役ヴィランがもう一度生まれたら、世界改変がまた起きるかもしれないって?」

「ええ。それが第三世界思想です」


 くだらない、とエイスケは思った。面白い与太話だったが、現実に起きるとは思えない。エイスケとディルクの話を聞いて興味深そうに寄ってきたハルが言った。


「いいなそれ。僕の『正義』が世界規模になったら悪役ヴィラン全員いなくなるんじゃないか」

「ついでに『正義』の第三世界では、ハルより高身長の人間もいなくなるかもな」

「エイスケ? 今僕の身長のことをいじったか?」

「ちょ、ハル、つつくなって。いて、いててて……いやマジで痛い!」


 ハルが怪力で力強くつついてきて、エイスケは逃げ回る。止めて欲しいが、ディルクもユウカもこちらを微笑ましそうに見ている。ようやくハルの気がすんだところで、エイスケは自席に戻った。


「まあ、つまり、夢物語だな」

「ええ、夢物語です」


 どんな強力な悪役ヴィランであっても、一個人が世界規模の悪望能力を持つとは思えない。アンブローズがそういう思想を持っている、ということだけは覚えておいても良いだろう。自らの悪望能力で第三世界に到達したいなら、自身の悪望能力を強化する手段を欲しているはずだ。例えば……強化ドラッグとか。


 そこでエイスケは思いついて、アンブローズの資料をさらに読み進めた。アンブローズが出入りしている場所の情報が欲しい。該当のページを見つけ、目を走らせる。工場、酒場、地下闘技場……地下闘技場!


「地下闘技場……! そうか、地下闘技場で例の強化ドラッグの注射を見たことがあるな」

「エイスケさん、なぜ違法ギャンブルの会場に行ったことがあるのですか?」


 ユウカにジロリと睨まれるが、下手な口笛でエイスケは誤魔化した。

 エイスケは、ブラハードが出入りしていた場所の資料も再度確認する。ブラハードも地下闘技場を出入りしていた。アンブローズとブラハードが出入りしていた場所に、強化ドラッグ。調べる価値はありそうだ。


「エイスケ! なにか手がかりを見つけたのか!? 早速乗り込もう!」

「まあ待てハル」


 エイスケはハルを慌てて制す。エイスケはアンブローズの資料に書かれた経歴を凝視する。ウーロポーロと引き分けただけでなく、悪望深度Bの悪役ヴィランを三人相手取って血祭りに上げたこともあるという。明らかにエイスケには荷が重い相手だ。


「ハル、やっぱり気のせいだったみたいだ。別の場所を当たろう」

「僕たち二人なら大丈夫だろ。行くぞエイスケ」

「だから引っ張るなって、マジで力強……!?」


 懸念もあった。なんだか、上手くいきすぎている気もする。悪役対策局セイクリッドの内通者の件を思い出す。エイスケは、アンブローズの情報を持ってきたディルクを見つめた。「?」と、不思議そうな顔でディルクに見つめ返される。


 まあいい、どちらにせよハルは止まらなそうだ。こちらも充分な戦力で挑めば大事にはならないだろう。引っ張るハルをエイスケは必死に止めながら、ユウカに戦力の増加を求めた。


「おいユウカ、せめて人員の増強を頼む!」

「たしかにハルさんとエイスケさんだけだと心もとないですね。シンリ課長、どなたか空いている方はいますか?」


 自席で書類の山に囲まれているシンリは、心なしか疲れた表情で首を横に振って答える。


「最近は悪役ヴィランが関わる事件が多くてな。常に人手が足りない状態だ」

「そうですか。ではエイスケさんいってらっしゃい」

「見捨てるのが早すぎるぞ!」


 ユウカの後ろに控えていた老執事のローマンが提案した。


「ではアレクサンドラを調査人員にするのはどうでしょう?」


 ユウカの後ろに寡黙に控えていた執事服の銀髪の少女、アレクサンドラ・グンダレンコが戸惑った表情を見せる。


「ワタシですか? しかし、ワタシにはユウカ様の護衛の任務がありますので」

「あら、心配ないわよサーシャ。ローマンがいれば私が傷つくことはないわ。そうよね? ローマン」


 ユウカの発言には、ローマンに対する絶対の信頼が垣間見えた。


「ええ、勿論ですとも。サーシャ、私が護衛では不満ですかな?」

「いいえ、そのようなことは」


 ローマンにからかわれたアレクサンドラは白い頬を赤く染める。


「それでは、ハル・フロスト、エイスケ・オガタと行動を共にします」


 アレクサンドラの実力は模擬戦でよく把握している。エイスケとしては心強い味方だった。


「増援は正直助かる。よろしくな、サーシャ」


 ユウカとローマンを真似てアレクサンドラを愛称で呼んだ瞬間、エイスケの首元に剣が突きつけられた。アレクサンドラがいつの間にか背負っていた剣を抜いている。


「ワタシを愛称で呼んでいいのは親しい人間だけです。次にサーシャと呼んだら殺しますよ」

悪役対策局セイクリッドってこんなヤツばかりなの?」


 心強い味方だが、敵でもあるかもしれない。ユウカやローマンと話している時とは随分と態度が違う。


「エイスケ、諦めろ。まともな悪役ヴィランは僕だけだ」


 やれやれ仕方ないなといった態度でハルがエイスケの肩に手をおくが、エイスケにとってはハルも似たようなものである。


「ハル、お前も大概なんだよ」


 ハルとアレクサンドラを連れて行くこの先の捜査の苦労を想像してエイスケはため息をついた。

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