第6話 セイクリッド配属

 今日、エイスケが好きなものに目覚まし時計が加わった。

 目覚まし時計が鳴るのを聞いてエイスケは目を覚ました。布団から手を伸ばして探り、目覚まし時計のアラームを止める。この目覚まし時計は悪役ヴィラン用にチューニングされた特別製のもので、多少乱暴に扱っても壊れない頑丈な作りになっている。


「おお。なんかいいなこれ。普通っぽい」


 裏社会の日雇いの仕事は、夜の時間のものが多い。朝に寝ては起きたら夕方の生活を繰り返していたエイスケとしては、なんだか目覚まし時計で朝に起きて出勤するというのは、こう、かなりこみ上げてくるものがある。凶獣のクロエちゃん探しと比べたら、定職について安定してる感じがする。


 エイスケは鼻歌まじりに自宅のアパートを出ると、近場のパン屋で朝食用のパンを買う。顔見知りのパン屋の娘が、焼き立てのパンをエイスケに差し出しながら不思議そうな顔をした。


「珍しいわね」

「朝に顔を出すことが?」

「パンを買うお金があることが」

「ハッ、驚くなよ。定職についたんだ。今日から出勤さ」


 冗談だと思ったらしい娘がコロコロと笑った。エイスケは肩をすくめてパン代を払うと、そのままパンを噛じりながら悪役対策局セイクリッドのオフィスに向かう。第十二課テミスのオフィスはエイスケの自宅から徒歩でいける範囲にあり、車や電車を使わなくても通勤できそうだ。


 パンを食べながら歩くエイスケに、顔見知りが声をかけてくる。「よう、エイスケ、朝に起きているとは珍しいな」「槍でも降るんじゃないか」「エイスケ、今から飲みに来いよ。良い酒が手に入ったんだ」話しかけてくる連中、一人一人に律儀にエイスケは返事をする。飲みの誘いに対しては「悪いね、今から仕事なんだ」と返すと、ガハハと笑いが巻き起こった。釈然としないものを感じながらもエイスケは遅刻しないように足早に歩く。


 エイスケに顔見知りが多いのは、エイスケ自身に人徳がある訳ではなく、親友が優しい奴だったからだ。誰彼構わずに人を助ける親友を手伝っているうちに、いつの間にかエイスケを慕う人間が増えていたのである。親友から貰ったものは多い。


 だから、俺は。


 エイスケは首を振った。今考えるべきことではない。第十二課テミスのオフィスに着くと、守衛に悪役対策局セイクリッドの手帳を見せてエイスケは門をくぐった。



「待っていたぞ。エイスケ」


 エイスケが悪役対策局セイクリッドのオフィスに出勤すると、早速シンリ・トウドウに声をかけられた。シンリは自席で何かの書類を読んでいる。シンリの席はオフィス全体を見渡せるような位置にあった。


「よう、シンリ。なんだかお偉いさんみたいな配置の席だな」

「実際に偉い。私は第十二課テミスの課長だ」

「……あー、失礼、ボス。本日から配属になりましたエイスケ・オガタです」


 そういえばアレックスがたしかに”シンリ課長”と呼んでいた。あの日は初対面の人間に会いすぎてすっかり忘れていた。


「かしこまらなくてもいい。悪役対策局セイクリッドにはスラム出身の悪役ヴィランも多いからな。はじめからマナーには期待していない」

「そう? そう言ってもらえると助かるね」


 エイスケはあまりまともな仕事についたことがない。礼儀正しい作法は苦手だった。


「初出勤の感想はどうだ?」

「目覚まし時計って良くないか?」

「分かるぞ」


 シンリが深く頷く。上手くやっていけそうだ。


「分からない」


 首を横に振りながら金髪の小柄な少年が話しかけてきた。自称『正義』の悪役ヴィラン、ハル・フロストだ。


「エイスケ、本当に悪役対策局セイクリッドに入局できたのか。ユウカの面談を通過したってことは、なかなか見どころがありそうだな」

「まあな。よろしく頼む、ハル。しかしちょっと制服が派手すぎねえかな」


 厚手の生地に息苦しさを覚えながら、エイスケは自分の格好を見下ろす。白を基調とした悪役対策局セイクリッドの制服はケイオスポリスではよく目立ちそうだ。


「何言ってるんだ! 派手なのが良いんじゃないか! 正義の味方の格好に相応しいだろう?」

「ええ。ハル先輩に相応しい格好であります」


 ハルに同意を示したのは、エイスケより頭一つは大きい白髪の男だ。


「アレックス・ショーであります。ハル先輩のバディを務めています。よろしくお願い致します」

「……エイスケ・オガタだ。よろしく」


 握手を求めてくるアレックスに応じる。礼儀正しい態度だが、エイスケはアレックスに空から落とされたことを忘れていない。アレックスは全く気にした様子はなく、その事をすでに忘れていそうな気配すらある。悪役対策局セイクリッドの局員にとっては日常茶飯事ということかもしれない。それはそれでメチャクチャ嫌だ。


 気にしていても仕方がなさそうだ。気を取り直すと、エイスケはシンリに指示を仰いだ。


「それでシンリ、今日は何をすればいいんだ?」


 初日なので何らかの手続きをするのかと思っていたので、エイスケはシンリの返答に度肝を抜かれた。


「エイスケ、早速だが仕事だ。メイソン・ヒル地区で殺しがあった」

「おいおい。新人遣いが荒いな」


 シンリが死体の写真が貼られた書類をエイスケに寄越してくる。真っ黒に焦げた焼死体だ。惨たらしい写真にエイスケが顔をしかめていると、ハルが横から覗いてくる。


「発火能力を持つ悪役ヴィランか」


 そう、悪役対策局セイクリッドに話が回ってきたということは、ただの殺人ではない。つまり、この写真の人間は何らかの悪望能力によって殺されたということだ。

 ケイオスポリスにおいて発火能力は珍しくない悪望能力だ。何かを燃やしたいという欲求は、人類にとって普遍的な欲望なのだろう。


「いいか、エイスケ。人間には正しい状態を保ち続けるための心の芯が必要だ。すなわち、『秩序』だ。この殺しを行った人間は、心の中の秩序を失った。我々が正してやらなければならない」

「ハハハハ。おいおいハル。悪役ヴィランが秩序だってよ」


 シンリの冗談に笑うが、ハルはやめとけというジェスチャーでエイスケを諫める。シンリが生真面目な表情を保っているのに気付き、エイスケはようやく冗談では無いことを悟った。


「わたしは真面目な話をしている」

「ああ、まあ、そうだな。秩序は大事だ」


 気まずい雰囲気に耐えかね、エイスケは資料の先に目を通す。悪役ヴィランが秩序を語るなど笑い話にしか思えないが、シンリは本気だ。つまり、シンリの悪望はきっと『秩序』とやらに関係するモノなのだろう。悪役ヴィランの悪望はすなわち自己の魂に等しい。気付かず笑い飛ばせば戦争になりかねない。


 資料を読み進めていくと、エイスケの想像していた以上に悪役対策局セイクリッドの調査班は有能であることが分かった。


「なんだ、もう犯人は分かってるのか」


 資料には顔写真付きで犯人の名前と悪望能力の詳細が載っていた。

 写真には顔中にピアスをつけたスキンヘッドの凶悪そうな顔が写っている。


 『燃焼』の悪役ヴィラン、ブラハード・バーン。


 悪望深度はC。メイソン・ヒル地区で十数人程度の小規模ストリートギャング『バーナーズ』を従えている男だ。


「まさかとは思うが、こいつを一人で捕まえてこいって話じゃあないよな?」


 凶獣探しの次は凶悪焼殺犯の逮捕ときたか。エイスケの疑問にシンリが答える。


「本来であれば悪望深度C以上の悪役ヴィランの相手を新人を任せることはないのだがな。最近は第十二課テミスの管轄で事件が多くて人手が足りない。エイスケにも働いてもらう」

「安心しろよ、エイスケ。優秀な上司が一人で解決してくれるさ。誰だと思う? ヒントは『正義』」


 エイスケは絶望的な顔つきでハルのほうを見た。


「今回の案件はハルとエイスケで組んでもらう。エイスケ、緊張しているようだが心配するな。ハルは性格はアレだが、戦闘のみに限って言えば腕は確かだ」

「僕のような聖人を捕まえて性格がアレとは許せない物言いだな、シンリ」


 緊張で顔をこわばらせているわけでは断じて無い。だが、アデリーとの一戦を見る限り、ハルの実力が間違いないのは確かだ。


「ちょっと待ってください! ハル先輩のバディは私では!?」

「ハルとアレックスのバディは一時的に解消だ。アレックスはディルクと組んで別件を調査してくれ」


 アレックスが抗議の声をあげるが、シンリはつれなく返事をする。アレックスがその場で膝から崩れ落ちた。なんだか気まずい。同僚と上手くやっていけないとエイスケが困るので、謝っておくことにした。


「あー、なんだか悪いね」

「いえいえ。お気になさらず」


 アレックスは柔和な笑顔を作る。思ってたよりも気にしてなさそうなのでエイスケがホッとしていると、アレックスはそのままセリフを続けた。


「殉職すれば、バディは解消されるでありますね……?」

「おいシンリ! あんたの部下の教育どうなってるんだ!」

「軽いじゃれ合いだ。気にするな。エイスケとハルも互いに自己紹介を頼む」


 シンリの声は諦めに近いトーンだった。いちいち注意していては身がもたないのだろう。殺害予告に近い発言も、悪役対策局セイクリッドではちょっとしたジョークとして流されることに戦慄しながら、エイスケはハルと握手を交わした。


「『不可侵』のエイスケ・オガタだ。よろしく」

「僕はハル。ハル・フロスト。『正義』の悪役ヴィランだ」


 ハルが名乗ると同時に空中に光の粒子が集まり、剣の形に収束する。

『正義』を執行するために武器を具現化する悪望能力。

 ハルは慣れた動作で剣を手に取ると、そのままエイスケに突きつけてくる。


「エイスケ、先に言っておくが、僕の前でむやみに悪望能力を使うなよ。君の『不可侵』がどういう悪望かは知らないが、その能力で誰かに危害を加えるようなら、この正義斬殺剣が容赦はしない」


 殺害予告の次は、実際に凶器を突きつけられる。エイスケはこれが悪役対策局セイクリッドなのだと諦めに近い心境になってきた。肩をすくめてハルに応じる。


「分かってるよ。だがハル、一つだけ言わせてもらうが、ネーミングセンスが最悪だぜ」

「え? なんでだ、正義斬殺剣、格好良いだろ。その通りだと言え」

「……ああ、まあ、その通りだな」

「パワハラはやめろ、ハル。エイスケも間違っていると思ったら間違っていると言っていい」

「え? 格好良いよな? 正義惨殺剣」


 ハルの言葉に全員が目を逸らした。

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