第5話 ブラハード・バーン

 ブラハード・バーンは何かが燃えるところを眺めるのが好きだった。

 幼少の頃から自分のお気に入りのおもちゃを燃やしては、密かに悦に浸っていた。


 ブラハードが『燃焼』の悪望能力に覚醒したのは十六歳の時だ。

 ある日、凶獣に遭遇した。人間よりも大きい体躯に凶悪な牙と爪。ぎょろりと六つの眼球に睨まれて、ブラハードは恐怖を覚えるよりも前に、ただ純粋に燃やしたいなと思った。その瞬間、ブラハードの近くに火球が現れて凶獣に向かって飛んでいったのを良く覚えている。


 あれほどまでに幸福を感じた時間はそう無い。

 燃え盛り悲鳴を上げる凶獣、焼ける脂肪の匂い、黒焦げになった死体。全てがブラハードを興奮させた。

 この至福を何度も味わうために、神はブラハードに『燃焼』の悪望能力を与えたのだ。そう思った。


 欲望は留まるところを知らない。


 さらに凶獣を燃やし、恍惚の表情を浮かべ、次にもっと大型の凶獣を燃やし、絶頂し、しかし、徐々にそれだけでは物足りなくなっていった。


 ――人を燃やそう。


 この街では俺よりももっとクズな悪役ヴィランが好き放題に暴れている。

 どうして俺だけが我慢する必要がある?


 燃やしたい、燃やしたい、燃やしたい。

 人間を燃やしたくて仕方がない。


 ある日、通りがかった少女を見て、ただ純粋に燃やしたいなと思った。

 その少女を選んだことに理由は無い。強いて言うなら、自分の中の悪望が、燃やせと囁いたのだ。

 少女の泣き声は、凶獣を燃やした時よりも最高だった。

 初めに指を燃やし、足を燃やし、腹を焼け焦がし、最後に顔を火球で覆った。


 俺はただこれをするためだけに生まれてきたのだ。そう思った。

 欲求は留まるところを知らない。

 一人燃やしただけでこんなにも幸福を感じるのだ。ならば、街全てを燃やしたらどうなる?


 燃やしたい、燃やしたい、燃やしたい。

 全てを燃やしたくて仕方がない。


 ブラハード・バーンはどうしようもなく悪役ヴィランだった。

 ブラハードにとって、この世のものは全て自分が燃やして楽しむためだけに存在している。

 ある日、奇妙な男に出会った。顔も、露出した腕も、全ての肌が古傷だらけの男。よく観察すれば古傷だらけの肉体は鍛え上げられているのが分かった。


「ブラハードちゃん、あなた良いわあ。この世に暴力アイを満たすため、あなたに協力してあげる」


 剣呑な見た目に対して、優しげな口調で話しかけてくる男に、ブラハードは戸惑う。


「てめえ、何者だ?」

「あら、あたしが誰かだなんてどうでも良いじゃない。あたしたち悪役ヴィランにとって大事なのは、悪望をどうやって叶えるか。ただそれだけでしょう?」

「……まあ、そうだな」


 違いない。ブラハードは男の言葉に納得した。

 他の何よりも自分の悪望を優先するからこそ、俺たちは悪役ヴィランなのだ。


「だからね、ブラハードちゃん。あなたに良いモノをあげるわ」


 傷顔の男にケースを渡される。開くと、中には数本の注射器が入っていた。


「ドラッグか?」

「そうよ、あたしはレミニセンスって呼んでるわ。あなたの悪望能力を強化する、とっても素敵なおクスリ」

「こいつが……」


 ブラハードは十数人の末端ストリートギャング『バーナーズ』を従えている。

 『バーナーズ』の連中が、悪望能力を強化するドラッグの噂話をしているのを聞いたことはあった。ブラハードはその話を聞いた時は一笑に付したが、目の前の男が差し出してきたドラッグから何故か目を離すことができない。強化ドラッグ、本当にそんなものがあるのなら、ブラハードの悪望には必要なものだ。

 黙ってブラハードがドラッグを受け取ると、傷顔の男は笑みを浮かべた。


「それと、あともう一つプレゼントがあるの。あたしの『暴力アイ』をあなたに分けてあげる」

「あ? ……ぐっ」


 傷顔の男が指で軽くブラハードに触れると、瞬間、ブラハードの全身を焼けるような情動が駆けめぐった。今までの欲望が全て嘘だったかのような強烈な『燃焼』の悪望。

 ブラハードの瞳が赤く染まる。もっとデカい獲物を燃やさなくては到底我慢できそうにない。


「本当はもっと燃やしたいのに、悪役対策局セイクリッドに目をつけられるのが嫌で理性で抑えているのよね? そんなのダメよう。悪役ヴィランはもっと自由でなくちゃ」


 傷顔の男はパチリとウインクする。

 ああ、そうだ。この男の言う通りだ。ブラハードがひっそりと少女を燃やすだけで留まっているのは、この街に巣食う正義気取りの連中が邪魔だからだ。


悪役対策局セイクリッド。燃やしたら気持ちよいんだろうなあ、おい」


 『燃焼』の悪役ヴィランはその快感を想像して静かに嗤った。



 ◇◇◇



 去っていくブラハードを笑顔で見送ると、傷顔の男は振り返った。そこには誰もいないが、男は気にせずに話しかける。


「さあて、これから忙しくなるわよう。レミニセンスのデータを取って能力濃度の調整もしなくちゃならないし、悪役対策局セイクリッドのお嬢ちゃんの対策も考えなきゃね」


 傷顔の男は高揚していた。世界に『暴力アイ』を満たすために、やるべきことは沢山ある。


「あなたにも色々手伝ってもらうわよ。だから、まずはね」


 傷顔の男は姿を見せない人物に嗤って話しかけた。


「まずは、悪役対策局セイクリッド第十二課の情報、頂きましょうか」

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