十六話

 その後、応援が来るまでの約一週間、僕は怪我人達の面倒を見ながら、どうにか耐え続けていた。やっぱり一番困難だったのは食料の調達だ。かばんに残っていた食料を皆で分けつつ、畑の作物や食べられそうな植物をかき集めたけど、それだけじゃ到底満足な量にはならなかった。幸い雨が降ってくれたおかげで水だけには困らなかったから、僕や比較的体力の残っている人はそれだけで過ごすこともできた。でもひもじさは日に日に増すばかりだった。


 そんな状況を見兼ねて動いたのは、ラモンや軽傷だった人達だった。軽傷と言っても、起き上がれない人に比べれば動けるっていうだけで、中には腕の骨が折れていたり、片目を包帯で巻かれた人もいた。そういった安静にすべきだけど動ける人達は、不甲斐ない僕の代わりに食料を探してくれた。しかも火を起こして料理までしてくれたのだ。山崩れに飲まれてしまった里だけど、思えばここは勝手知ったる彼らの住みかだ。どこに何があって、どうすればいいのかは僕よりもわかっていて当然だ。そんな彼らと協力して、助けられながら一週間は経ち、そして待ちわびていた応援がやっと現れた時、僕は誰よりも胸を撫で下ろした。やっぱり僕は、机に向かってペンを走らせるほうが性に合っているようだ。


 怪我を負っているラモン達は、一度山を下りて町の病院で診ることになった。そんな彼らを初めて見る周囲の人達は、一体彼らは何者なんだと奇異な目で眺めていた。それはラモン達も同じで、初めて見る町の景色や住人に、警戒や戸惑いを見せていた。数百年ぶりに先住民族が王国人と接触するのだ。そんな反応をするのも無理はない。でもこれって、歴史的な光景なんだよな。


 僕と父さんも念のため医者に診てもらったけど、擦り傷と筋肉痛だけで特に異常はなく、すぐに家へ帰ることができた。無事に戻ってきた僕達に家族は安心して、研究はどうだったと聞いてきたけど、父さんは説明する時間も惜しむように、僕を連れて研究所へ向かった。正直、疲労でぱんぱんになった体を一、二日くらい休めたい気分だったけど、研究欲の塊と化した父さんを止めることは今はできないだろう。僕達はそれほどすごいものを見てきたのだ。研究所に着くなり、父さんは所長室へ突撃すると、山での出来事を説明し、その上で調査員の派遣を求めた。最初は慎重だった所長も、父さんの熱のある説明を聞いて、調査隊を作ることを決めた。そしてその一ヶ月後、僕達は早めに退院できた数人のイレドラ族の人達と共に、再び西の山を登ることになった。


 調査隊には土木工学、工事の専門家も入り、先住民族の調査と並行して山崩れ被害を受けた里の復旧作業も行われた。それを横目に僕達は調査を進め、里から見て取れる文化や聞き取った話などから、改めて彼らをイレドラ族だと断定した。父さんはとりあえずここまでの調査を論文にまとめると、早速学会に提出した。するとこの大発見は瞬く間に歴史学者の間で話題になり、僕と父さんは一躍注目の的となった。ちなみに、これは僕と父さんの共同研究となっている。論文を主導して書いたのは父さんだし、もう父さんの手柄でいいよと言ったんだけど、最初に発見したのはお前だと、この共同研究という形に収まった。僕は人目を引くほど目立ちたい気はないし、新たな発見から好きな研究が進められれば十分なんだけど……。


 でもこの注目は収まるどころか、ますます広がっていき、ついには国王陛下から素晴らしい功績だと表彰されることになった。僕は貴重だとか高価だという歴史書を数冊褒賞としていただき、父さんは爺ちゃんから継いだ男爵の爵位から、子爵に叙された。まさに、爺ちゃんの功績に並んだ瞬間だった。これで何かが大きく変わるわけじゃないけど、家に帰った父さんは感無量のようだった。長年それが目標みたいだったからな。偉大な父親と肩を並べられて、研究にもさらに力が入るだろう。イレドラ族について調査が進めば、彼らが歴史に載っていた時代を深く解明でき、もしかしたら新たな学説を生むことだってあるかもしれない。そうなれば爺ちゃん越えも夢じゃない。これからの研究が本当に楽しみだ。


 そんな大発見から半年後、周囲も大分落ち着いて、僕は大きなかばんを背負って西の山へ出発しようとしていた。


「じゃあ、行ってきます」


 玄関から居間のほうへ声をかけると、掃除の途中の母さんとマルセロが顔を出した。


「気を付けてね」


「いってらっしゃい」


 にこやかに見送る顔に軽く手を振って、僕は家を出た。頭上から照る太陽の光は、冬とはまた違う暖かさで、街路樹の枝の若葉や新芽は見るたびにぐんぐん成長している。辺りはもう春の陽気に包まれようとしていた。


 季節は確実に変わっていくけど、我が家のほうはといえば、爵位が一つ上がったくらいで、大きな変化は何もない。相変わらず家計は苦しいままだし、そんなことも気にせず婆ちゃんは買い物を続けていて、母さんは愚痴りながら節約をしている。そんなことに父さんは無関心、というか、今はイレドラ族の調査研究で目にも入っていないのかもしれない。もともと進めていた研究のほうも続けているみたいだから、父さんの頭はそれだけで埋め尽くされているんだろう。爺ちゃんは父さんと僕が功績を挙げたことで対抗心が芽生えたのか、自室での研究時間が増えて、前よりも部屋にこもるようになってしまった。高齢の身であまり無理はしないでほしいけど。親子で張り合うところは、やっぱりそっくりだな。妹も変わらず玉の輿を狙っているようで、ご機嫌な様子からすでにその相手を見つけたっぽいけど、それが以前と同じソラーノ君かはまだ確認できていない。もしそうだとしても、問題があるのは親のほうだから、まあ、彼自体は悪い人じゃなさそうだし、しばらく放っておいてもいいだろう。……こんな感じで、我が家は良くも悪くもいつも通りだ。


 僕自身も、そんなに大きな変化はない。父さんの助手をしながら自分の研究をする毎日だ。その合間に副業を探したりもしているけど、今回はマルセロに頼らず、自分でしっかり探している。犯罪者になるのは一度で十分だ。でもイレドラ族の調査が一段落しないと、副業をする時間はまだ作れそうにない。本格的に探すのはもう少し後になるだろう。


 僕がこうして調査へ行くのは一ヶ月に一回くらいで、もうすでに五回は山登りをしている。そうして西の山へちょくちょく登るようになった影響で、体力と筋力が大分付いて、前みたいに息が切れることはなくなった。でも理由はそれだけじゃない。僕と父さんの大発見を聞いた歴史学者達が各地から集まり、連日こぞって西の山へ向かうおかげで、山までの道には宿や商店ができ、乗合馬車も通るようになったのだ。長い距離を歩く必要がなくなった上に、日数も短縮できて、僕を含めた各調査隊はかなり楽に山へ行くことができていた。


 以前は体力を根こそぎ奪うような山登りの道も、今は登りやすいように整備されていて、ロープを張ったり階段を作ったりと、僕達のための登山道が出来上がっている。それでも険しいことは変わらないけど、以前の道と比べれば雲泥の差だ。危険が減った分、根気さえあれば誰でも登れる山になった。


「……ふう、着いた」


 一ヶ月ぶりの里の景色は大して変わってはいないけど、山崩れが起きた直後からすれば、かなりの変化を遂げている。


 砂と岩に覆われていた里だったけど、王国からの救助と支援でそれらはすべて取り除かれて、今は石を積み上げた家があちらこちらに建っている。その周りには畑や緑が広がり、その中で人々は思い思いに過ごしている。あの悲惨な光景から、よくここまで戻ったと思う。元の里は見たことないけど、でもほぼ元通りになったんじゃないだろうか。


「エヴァン、いらっしゃい」


 里へ行く坂道の前に、もう顔馴染みになってしまったイレドラ族のフアナが笑顔で立っていた。


「こんにちは。今日も大入りみたいだね」


「ええ。皆珍しいものが貰えて喜んでいるわ」


 そう言ってフアナは足下に置いてあるかごを持ち上げて見せた。その中には王国各地の特産品や食料がどっさりと入っている。


 イレドラ族には金というものがなく、何かが欲しい場合は物々交換が基本だ。王国人に助けられた彼らは僕達に深い感謝の意を見せたけど、自分達の里に学者が殺到し始めると、落ち着いて生活ができないと不満をあらわにした。そこで学者達は金の代わりに、王国の品物や食品を差し出して、調査の許可を得ようとした。僕は姑息な方法だと思ったけど、意外にも彼らは許してくれた。山崩れで畑も蓄えも、何もかも失った彼らにしてみれば、日常で使える物や食べ物が手に入ることは願ってもないことだったようだ。それからは里に入りたいという部外者は、彼らが必要とし、気に入った物をあげることが決まりとなっている。


「僕のは……これ。野菜の砂糖漬け。また食べたいって言ってたよね」


 かばんから瓶詰の砂糖漬けを取り出すと、フアナは目を輝かせて手を伸ばしてきた。ちなみにこれは母さんのお手製だ。


「わあ! 本当に持ってきてくれたの? もう一度食べられるなんて嬉しい!」


 瓶を抱えるように受け取ったフアナは、まるで我が子を愛でるように砂糖漬けを見つめる。これを初めて持ってきたのは前回の時で、最初こそ得体の知れない食べ物に表情を曇らせていたけど、一口食べさせると瞬く間に虜になったようで、次に来る時はまた持ってきてと頼まれるほどだった。ここまで気に入ってもらえると、作った母さんも喜ぶだろう。


「ありがとう! さあ入って。ラモンも元気にしているわよ」


 砂糖漬けをかごに入れながらフアナは里への道へ促した。かばんを背負い直して、僕は早速坂道を下った。


 調査隊員と思われる何人かとすれ違いながら里に入ると、そこはちょっとした観光名所のようなにぎわいを見せていた。里の隅々まで調査をする王国人、その案内をするのはイレドラ族の男性だ。それだけじゃない。調査隊に休憩場所を提供していたり、質問に答えながら雑談に応じている人もいる。その側では調査隊の女性がイレドラ族の子供と一緒に遊んでいた。彼らを助けてから半年が経つけど、お互いすっかり打ち解けている。里に来るたびに雰囲気はよくなっている気がするな。大昔に争っていたなんて、ここからは想像できないくらいだ。


「エヴァン、よく来たな」


 声に視線をやると、そこには歩いてくるラモンの姿があった。いつもの服装で、かぶったフードの下には笑みが見える。


「ラモン、また世話になりにきたよ」


「君は私達の命の恩人だ。いつでも歓迎する」


 そう言ったラモンと僕は抱擁を交わした。


 助かったイレドラ族は十七人で、僕はその当事者だから全員と親交があったけど、中でも親しくなったのはラモンだ。以前の記憶があるせいか、もう何度も会話をしている感覚があって、僕としては一番話しやすかったのだ。ラモンもそんな僕に付き合ってくれて、調査の手伝いや自分の家に泊まらせてくれたりと、積極的に協力してくれるうちに仲が深まっていった。今じゃ何の気兼ねも必要ないほどだ。


「里の再建は順調にいってるみたいだね」


「君達の支援のおかげで、生活に問題はなくなった。あとは自給自足の暮らしを取り戻すだけだ」


「畑の作物が取れるのはもう少し先か。それまでは族長の腕の見せ所だな」


「私は次の話し合いまでの臨時の族長だ」


 ラモンは困ったような笑みを浮かべる。あの山崩れで、残念ながら族長は亡くなってしまい、現在はラモンがその役目を預かっている。でも本人は頼まれたから引き受けただけで、続ける気はなさそうだ。


「でも他の皆は、ラモンにこのままやってもらいたそうだったけど?」


「一人一人に確認してからそういうことは言ってくれ。私なんかより適任者は他にいる」


「自信ないのか?」


「自信と言うより、そんな資格はないと思っている。世界が滅びることをずっと言えずにいたんだから。危うく伝えられないまま命を落とすところだった……」


 暗い表情になったラモンだったけど、ふと視線を僕に向けると言った。


「……そう言えば、いろいろ忙しくて、このことについては今までちゃんと聞いたことがなかったな」


「このことって?」


「世界が滅びることを、エヴァンが知っていたことだ。確か、この里の場所もある男性に教えてもらったと言っていたな。その男性とは誰なんだ?」


「ああ、それね……」


 説明が難しいな。正直に言っても信じてくれるかどうか……。


「男性っていうのは、ラモンのことなんだけどさ……」


「ラモン? 私と同じ名の男がいたのか?」


「そうじゃなくて、あなた自身で、でもまた別のラモンなんだけど、そこでは山崩れで死んじゃって、幽霊になって僕の前に現れてさ。信じなかった僕に懸命に伝えてくれたんだよ。だから知って――」


「悪いが、さっぱりわからない。つまり、男性とは誰なんだ?」


 首をかしげるラモンはまったく理解できていないようだった。そりゃそうだよな。自分でも下手な説明だと思う。


「つまり……僕が世界を救えたのはラモンのおかげなんだ。ラモンが僕に世界を救わせたんだよ」


「私は、この話を誰にも教えたことはないのに、これまで会ったこともないエヴァンがなぜ知っていたんだ?」


「それもラモンのおかげで、要するに、ぜーんぶラモンのおかげっていうことだな」


 上手く説明ができないと、こんな言い方をするしかなくなってしまう。でもこれはこれで本当のことだ。


「……言いづらいことでもあるのか? それとも、単に面倒くさがっているだけか?」


 ラモンのいぶかしむ目が僕を見つめてくる。


「この説明は本当に難しいんだよ。でもラモンの責任感がなきゃ、この世界はもうなくなってたはずだ。だからラモンのおかげってことは間違いない事実なんだ。まあ、どうしても理由が知りたいっていうなら、後で細かく説明するからさ。今はとりあえず、調査をさせてもらえないかな。ここで話を続けたら日が暮れそうだ」


 山に囲まれた頭上にぽっかりと開いた穴からは、陽光がさんさんと降り注いでいる。でも日が傾くと、その光は山にさえぎられて、里はすぐに暗くなってしまう。たいまつくらいしか照明のないここでは日の照る時間帯は貴重なのだ。


「そうか。そんなに複雑な話になるなら、また夜にでも聞かせてもらおう。今回もここに泊まっていくんだろう?」


「うん。そのつもりなんだけど、いいかな」


「当たり前だ。好きなだけいればいい。息子も喜ぶ」


 ラモンの一人息子のルカスはまだ五歳と幼いのに、母親を失った悲しみも見せず、いつも僕を笑顔で迎えてくれる。そんな健気なルカスのために、僕は王国の話をしたり、葉っぱや木材で簡単な玩具を作ってあげたりするのがいつものことで、彼もそれを喜んでくれていた。今回はどんな話をしてあげようかな。


「それで、今日は何を調査するんだ」


「里は大分見て回ったから、今日は聖域のほうを見たいんだ」


「わかった。じゃあ案内しよう」


 歩き出したラモンに並んで、僕は里の奥にある聖域へ向かった。すれ違う顔見知りと挨拶を交わしながら、僕はふと思ったことを聞いてみた。


「なあラモン、僕は聖域の役割をすでに知ってるけどさ、他の調査隊にはそれを教えてるの?」


「恩があるとはいえ、そこまではさすがに教えていない。願いを叶える力は、私達の最大の宝だ。その宝を、邪な者が騙して悪用しないとも限らないからな」


「じゃあ聖域はどんな場所だって言ってるの?」


「私達を見守る人柱が眠る大事な場所だと言っている。これで皆、納得してくれている」


 嘘は言っていないようだ。でも見守っているのが、あのやさぐれ少女だと知ったら、里の皆はどんな反応をするかな。まあ、会うことはないだろうけど。


「……あれ、ルカスじゃないか?」


 聖域が見えてきた時、そこで駆け回って遊ぶ二人の子供に気付いて僕は言った。


「そうみたいだ。またあんなことをしているのか……」


 ルカスともう一人の男の子は、手に持った木の枝を武器に、戦士の気分で切り合いを演じている。それをラモンは呆れた目で見ていた。というのも、以前僕が里に来た時、ルカスにせがまれて王国の古い英雄の話を聞かせたんだけど、その英雄の活躍に感化されたルカスは、翌日から落ちていた棒を剣にして、悪人をやっつけると鍛錬を始めたのだ。でも所詮子供の鍛錬だ。まともな素振りができるわけでもなく、ただ棒を振り回しているようなものだった。それを見たラモンが危ないと注意したんだけど、ルカスは父親の目のないところで続けていたらしい。その結果、通りすがった女性の腕に棒は当たってしまい、大きな青あざを作ったという。叱ったラモンは棒を取り上げて素振りを禁止にし、反省させたって言っていたんだけど……やっぱり男の子だな。こういう遊びが好きみたいだ。でも、好きにさせたのは話を聞かせた僕のせいでもあるんだよな……。


「何か、ごめん。確実に僕の話の影響だ」


「別に謝ることではない。迷惑がかからなければ続けても構わないんだが……」


 小さな溜息を吐いたラモンは、聖域で枝を振る我が子に歩み寄っていく。


「……あっ、父ちゃんだ。どうしたの?」


 ルカスのくりっとした黒い目がラモンに気付いて笑った。


「友達と遊んでいるのか?」


「うん。今ね、英雄ごっこしてたんだ」


 にこにこな表情は、いかにも遊びが楽しそうだ。でもやっぱり話の影響には違いない……。


「しばらく別の場所で遊んでいなさい。エヴァンが調査をしなければいけないんだ」


「えー、他に遊べる場所なんてないよ。いろんなところで〝ちょうさ〟してて、人がいないのはここだけだったんだもん」


「エヴァンの仕事を邪魔したいのか? 遊びならいつでも――」


「いいよラモン。子供達が遊んでても調査はできるから」


 確かに、里の中は人が歩き回っていて、ちゃんばらができるような場所は他に見当たらない。里に押し掛けている身としては、子供達に窮屈な思いをさせるのは申し訳ないし、本意でもない。


「だが、集中できないだろう」


「このくらい大丈夫だよ。……ルカス、遊んでていいからね」


「うん、わかった!」


 元気な返事をすると、ルカスは枝を振り回しながら友達の元へ駆け戻っていった。


「……すまないな」


「いいって。子供は遊ぶことが仕事だって言うだろう? さあ、こっちも仕事をしようか」


 僕達は聖域に入り、早速調査を始めた。横目にルカス達の遊ぶ姿を見ながら、僕はまずラモンに聖域が作られた年代や詳しい経緯、そして石の地面に描かれた模様についてなど細かく聞き取り、それから視覚での調査に移った。


「人柱が埋められた方法は聞いてる?」


「いや、あまりに古い話だからな。さすがにそこまでは」


「そうか……この岩盤の下にどうやって埋めたのか気になったんだけど……」


「ここの地面は一見一枚岩に見えるが、よく見ると何箇所かに切れ目がある。そのどこかの岩をはがして、そこから埋めたのではないか?」


 言われて僕は足下に目を凝らして歩いてみる――本当だ。言う通り細い切れ目がある。でも注意して見ないと気付かないほどの細さだ。まるでパズルのピースのように、砂粒も入らないくらいぴったりはまっている。これが人の手によるものなら、相当高度な技術だろう。


「この岩をはがすのは……駄目?」


 恐る恐る聞いてみると、ラモンは案の定首を横に振った。


「ここは今の私達にとって一つの根源であり、永く伝えていくべき場所だ。悪いが命の恩人のエヴァンでも、聖域を掘り返す許可は出せない」


「まあ、そうか……だから聖域って呼ばれてるんだもんな。残念だけど――」


「とりゃー! 覚悟しろー!」


「俺はやられないぞ!」


 ルカスとその友達は枝の剣をお互いにぶつけながら、こっちに近付きつつ立ち回りを演じていた。


「この剣を食らえ!」


「うわあ、切られたー!」


 友達は枝の剣に袈裟斬りにされると、両手を広げてのけぞって見せる。どうやらルカスが英雄役らしい。敵を切って楽しそうに笑っている。


「ルカス、もう少し向こうで遊んでいろ」


「はーい。……とどめを刺してやる!」


 ラモンに注意されると、ルカスはそう言いながら僕達から離れたほうへ移動していき、切られたばかりの友達も、小走りにその後を追っていった。


「……邪魔が入ったな。ここは掘り返せないが、他に調べたいことはあるか?」


「ああ、そうだな。あとは……この白い塗料で描かれた模様だけど、どうして光るんだ? 何か特殊な塗料なのか?」


「この聖なる紋様は五年ごとに描き直しているんだが、調合する材料はずっと変わっていない」


「どんな材料なの?」


「水、砂、白鉛鉱、それとテグエスの液だ」


「テグエスって?」


「植物だ。私達の祭事にはかかせない。その搾った液を混ぜている」


「へえ、初めて聞く植物だ。それが大きな手がかりになりそうだな」


「春を迎えた今なら里のどこかに生えているはずだ。探してみるか?」


「うん、ぜひとも見てみたいな――」


 僕が視線を里の緑のほうへ向けようとした瞬間、それは起こった。


「え……?」


 視界が淡く光ったのを感じて、僕は動きを止めた。こんなに明るい日差しを浴びていても、その光はしっかりと感じられた。そして視線を足下に向けてみれば――


「模様が……光ってる……」


 白い塗料で描かれた模様は、そこから白く淡い光を放っていた。突然のことで、一瞬その意味を忘れかけていたけど、すぐに冷静な頭が戻って僕は気付く。模様が光ったということは、誰かがここで願いを叶えたということだ。


 僕は辺りを見渡した。でも聖域にいるのは僕とラモンしかいない。それと少し離れたところにルカスとその友達の少年――その姿を見て、思わずはっとした。


「ラモン、これって、まさか……!」


 声をかけると、ラモンも僕と同じことに気付いたようで、血相を変えて息子の元へ走っていった。そんな二人はまだ枝を振って遊んでいる。その最中に急に願いを叶えるとは考えにくい。つまり、無意識のうちに願いを言ってしまった可能性が高い。以前の僕のように……。だとしたら、不本意で突拍子もない願いを言ったことも十分あり得てしまうが――


「俺の願いが叶うまでに、お前を絶対に倒してや――うわっ、父ちゃん?」


 ラモンはセリフを言うルカスの肩をつかんで勢いよく振り向かせた。


「何をお願いしたんだ」


「お願い……?」


「英雄になりきって、何をお願いした? 言うんだ」


「僕はもう英雄じゃないよ。さっき交代したんだ」


「そんなことはいい。お前は友達に何て言ったんだ」


「え……何てって……」


 ルカスは表情をこわばらせ、硬まって父親を見つめている。妙な雰囲気に怯えてるな。


「ラモン、怖がらせるな。そんな聞き方じゃ緊張してしゃべれないだろう」


 僕はラモンの代わりに努めて穏やかに聞いた。


「ねえルカス、英雄の敵役になって、今どんなことを友達に言ってたのか教えてくれないか」


「敵だから、倒してやるって……」


「その前は? 願いがどうとか言ってたみたいだけど」


 戸惑う表情を見せながらも、ルカスは僕を上目遣いに見て言った。


「英雄の敵は、悪い人だったんでしょ? だから、世界ごと、王国を壊してやるって。それが俺の願いだって言っただけだけど……」


 僕はラモンと顔を見合わせた。これはまたしても最悪な願いだな……。


 その時、地面がゆらりと揺れた。地震か……? 里の中を見ると、歩いていた人々も足を止めて周囲に目をやっている。まだ大きな地震じゃないけど、もう世界の崩壊は始まってしまったらしい。またこの感覚を味わうことになろうとは……。


「ラモン、提案なんだけどさ、聖域には願いを叶えたか叶えたい人以外は、立ち入り禁止にしたほうがいいと思うんだけど、どう?」


「そうだな。願いを叶える機会を無駄にしないためにも、そういう決まりを作るべきかもしれない」


「べきじゃなくて、必ず作ってくれ。イレドラ族の力に翻弄されるのは、もうこりごりだよ」


「……本当に、申し訳ない」


 恐縮して謝るラモンに、僕は苦笑した。人柱になったアナも、もう少し融通がきけばいいんだけど、きっといつも通りにやったって怒るだけなんだろうな。まあ、どうしようもならないことを考えても仕方ない。幸い今回は願いを叶えられるイレドラ族が何人もいる。ちゃちゃっと世界を救ってもらうとしよう――こうして僕とラモンは、誰も知らないところでまた世界を救うことになった。こんな経験、できればこれが最後だと願いたいものだ。

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貧乏貴族、世界を救う 柏木椎菜 @shiina_kswg

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