十五話

 カタカタカタという小さな音で僕は目を覚ました。真っ暗な中で何かが揺れている。そして自分もわずかに揺れていることに気付いた。


「……地震だ」


 眠りから抜けきっていなくても、僕は瞬時に地震とわかった。その直後、揺れは激しくなって、部屋中の物という物が床に落とされていく。もうすぐ治まるはずだ――僕はベッドにしがみ付いて、その時を待った。


 三十秒ほどすると、思った通り地震は治まった。何とも不思議だ。この地震を体験した記憶が、すでに頭の中にあるのだ。まるで未来が見えているような感覚……アナは本当に記憶を残して、僕を同じ時間に戻してくれたらしい。


 この時点で、僕はまだラモンに会っていない。それなのに、これから起こることも、自分がすべきことも、手に取るようにわかっている。頭の中にもう一人自分がいるみたいだ。それじゃあ、ラモンいわく、僕にしかできないことをやってくるか――ベッドから飛び下りて、物が散乱する暗い中で、僕はタンスから服を出して着替えを始めた。


「エヴァン、エヴァン、大丈夫か?」


 ドンドンと扉を叩きながら爺ちゃんの声がした。部屋から出てこない僕を心配したのだろう。着替えを終えて外套を羽織りながら、僕は部屋の扉を開けた。


「大丈夫。無事だよ」


 出てきた僕の姿を見て、爺ちゃんは安堵するも目を丸くした。


「怪我がなくてよかったが……外套なんか着て、どうした?」


「今から出かけるんだ」


「今から? まだ夜明け前だぞ。どこへ行く気だ?」


「西の山にね」


 疑問符だらけの爺ちゃんの横をすり抜けて、僕は一階へ下りた。


「エヴァン、無事か」


 暗い居間に行くと、父さんが僕に近付いてきた。その後ろには火の灯ったランプを持つ母さんと、妹とマルセロの姿もある。


「うん、何ともない。地震はもうないから安心していいよ」


「何……?」


「それと母さん、少し食料を貰いたいんだけど、いいかな」


「え? いいけど、お腹でも空いたの? それにしてもエヴァン、その格好は何? まるで出かけるみたいじゃない」


「エステバン、お前の息子がおかしなことを言ってるぞ」


 婆ちゃんの手を引きながら階段を下りてきた爺ちゃんが、こっちに向かって言った。


「僕はただ、西の山へ行くって言っただけだ」


「それも今からなんだろう? 地震で頭を打ってないだろうな」


 爺ちゃんが僕の頭を探ろうとするのをやんわりと避けた。


「言いたいことはわかるけど、でもすぐに行かないといけないんだよ」


 もう世界の終わりは始まっているのだ。


「西の山に何しに行くんだ。あそこは人が近付かない、何もない場所だろう」


 怪訝な顔の父さんが聞いた。理由は前と同じでいいか。


「研究のためだよ。行って見ておきたいものがあって」


「長期休暇を取ったとは聞いていないぞ。こんな時間に家を出たところで、山までは数日かかるはずだ。仕事はどうする気なんだ」


 そんなこと、まったく頭になかったな……。


「あー……休むよ。じゃないと山に行けないし」


「研究のために行くのはいいけど、何も暗いうちから行かなくても。大きな地震が起きたばかりなんだし」


 心配そうに母さんが言う。それに父さんがうなずく。


「同感だ。そもそも研究とは何の研究なんだ。お前はまだ研究主題を模索中だとばかり思っていたが」


「研究は先住民族についてで……ほら、イレドラ族っていたでしょ?」


 そう言った瞬間、父さんは眼光鋭く僕を見た。


「大昔の先住民族を研究しているのか? それは驚いたな……。だがなぜ西の山なんだ? 何か痕跡でもあるというのか」


「彼らが住んでる里があるんだよ」


 これに父さんは一瞬動きを止めると、次には眉間にしわを寄せた。


「……それは、確実にあると言い切っているのか?」


「うん。間違いなくあるんだ。でも、さっきの地震でどうなってるか……」


 山崩れはさっきの地震で起きたはず。時の環にはまっても、それ以前には戻れないらしい。犠牲者も救えればよかったんだけど……。


「本当なのか? 本当に、イレドラ族の里が、山に残っているのか?」


 興奮しつつも、半信半疑の口調で父さんは聞いてくる。そりゃ疑うよな。僕だってラモンの話を聞いた時は、絶対に嘘だと思っていたし。


「気になるなら、父さんも来る? かなり険しい道程になると思うけど」


「よし、行こう」


 まるで誘われるのを待っていたかのような即答だった。やっぱり父さんの研究への熱は、どんな時でも変わらないようだ。


「まったく。父親なら、普通は止めるなり、日を改めさせるもんじゃないのか?」


 呆れた顔で爺ちゃんが言った。


「だがこれは大発見になるかもしれないんだ。それに、一人より二人のほうが助け合えてより安全になる。……エヴァン、支度をしてくるから、待っていてくれ」


 父さんは小走りで自室に戻っていく。


「じゃあ、私は持っていけそうな食べ物をを探してくるわね」


 母さんはランプの明かりを頼りに台所へ入っていった。


「父さんも兄さんも、地震が怖くないの? また起きるかもしれないのに……」


 妹は不安そうに言った。


「大丈夫だよ。僕が山へ行けば、もう起きないって」


「……? どういう意味? 私を安心させたいのか笑わせたいのか、よくわかんないんだけど」


「えっと……とにかく大丈夫だって言いたかっただけだ。シルヴィナも、玉の輿狙いはいいけど、相手は慎重に見極めろよ。家計の心配より、まずは自分の幸せを考えてくれ」


「急にどうしたの? 何か変だよ、兄さん」


 首をかしげて妹は僕を見つめる。この時点では知らないはずのことを知っていると、前もって言っておきたくなってしまう――妹には笑顔でごまかしながら、僕はその隣に立つマルセロに目を向けた。


「マルセロは苦労したみたいだね。過去に何があったかなんて、僕は気にしてないから、これからも皆を手伝ってほしい」


「はあ……はい。わかりました」


 きょとんとしたマルセロから、次は爺ちゃんと婆ちゃんに顔を向ける。


「二人とも……父さんと母さんもだけど、僕は皆に感謝してるから。だから、何も隠し事する必要はないよ」


「隠し事って何? 私達が一体何を隠しているって言うの?」


「そ、そうだぞエヴァン、何を勘違いしてるか知らんが、そう思ってるなら、それは単なる思い過ごしだと思うぞ……?」


「何もないって言うなら、それでもいいんだけどさ」


 僕は笑って二人を見た。平然とした婆ちゃんとは対照的に、爺ちゃんは表情を引きつらせて、わかりやすく動揺している。家系図を見ていた時もそうだけど、爺ちゃんは嘘やごまかしが本当に下手だな。


「エヴァン、こんなものでいいかしら」


 台所から出てきた母さんは、持ってきた布のかばんを開けて中をランプで照らして見せた。そこには嵐に見舞われていた時に食べていた野菜や果物の保存食がいくつも入っていた。


「……ん? これは?」


 それらに混じって、かばんの隅に何枚も重ねられたガーゼと、短い棒に巻かれた包帯があった。


「山で怪我をしても助けてくれる人はいないでしょうから、そんな時のためにね」


 母さんはにこりと笑うと、ずっしりとしたかばんを僕に渡す。母さんの気遣うようなことが、今回の山登りでも起きないといいけど。


「準備ができたぞエヴァン」


 部屋から颯爽と出てきた父さんは、寝巻姿から動きやすそうなベストにズボンにブーツ、その上に外套を着た姿になっていた。行く気満々だな。


「里を見つけた場合、検証するための文献や資料を持って行きたいが、山へ行くのではかさばりそうだから、とりあえず携帯用のペンとインク、メモ帳だけにしておいた。問題はないか?」


「ああ、うん、ないと思うよ」


 大発見もする気満々らしい。まあ、順調に行けばそうなるんだけどさ。


「それじゃあ、出発しよう」


 僕と父さんは暗い玄関に行き、扉を開けた。夜が明けきっていない外は居間よりは明るいけど、まだまだ薄暗くて黒い霧がかかっているようだった。


「あなた、エヴァン、気を付けてね」


「研究所には数日休むと伝えておこう。くれぐれも無理はするなよ」


 皆に見送られながら家を出た僕達は、まだ眠っている町中を西へ向けて歩いていった。


「ところでエヴァン、山までの道は知っているのか?」


 町を出るところで父さんが聞いてきた。


「うん。多分知ってる」


 僕の中の感覚では、山へ向かったのはつい八日前のことだ。まだほとんどの道を憶えている。でも以前は地震や嵐でめちゃくちゃになった景色だったから、間違えずに行けるか少し自信がない。こんな時、ラモンが来てくれるといいんだけど、あいつは確か、この一週間後くらいに我が家に現れたはず。まだこの周辺にはいないだろう。残った記憶を頼りに行くしかなさそうだ。


 けれど、そんな心配は無用だった。山までの道程は順調過ぎるほど順調で、長く続く街道の横には、この道の行き先と共に西の山の方向を示した案内看板が立っていて、僕達は迷うことなく進むことができた。前回とは違い、地割れで迂回する必要もなく、暴風雨で体力を奪われることもなく、草原オオカミに追い回されることもなかった僕達は、八日かかっていた道程を、その半分の四日で歩き、山に到着することができた。


 山登りは相変わらず大変だったけど、まだ地震が一回しか起きていないせいか、崩れた箇所は少なく、登り方も憶えていたおかげで、比較的すんなりと登ることができた。それでも擦り傷を負ったり、筋肉が悲鳴を上げたことは変わりなかったけど。


「やっと、着いた……!」


 父さんと助け合いながら、再び目の辺りにした里の景色に、僕は小さな感動を覚えつつ坂道を下っていった。


「エヴァン、ここが、イレドラ族の里、なのか?」


 肩で息をしながらも、父さんは突然現れた緑の景色に瞠目して言った。


「うん。家は山崩れの砂に埋まっちゃってるけど」


 坂の上から眺めた光景は、前とあまり変わっていない。大きな山崩れの跡は、岩石の雪崩となって里の中央に流れ込んでいる。でも記憶より、砂や岩の量が少ないような気もするな。山崩れは地震が起きるたびに、少しずつ起きていたのかもしれない。


「確かに、人が生活をしていたような跡が、至るところにある……エヴァン、これが本当にイレドラ族だというなら、すごいことだぞ、これは!」


 里の中に入ると、疲れも忘れたかのように、父さんは辺りを見て回り始めた。僕はそれには構わずに、里の奥にある聖域へ真っすぐ向かおうとした。


 その途中、視界の端に大きな岩に壊された家の跡が見えて、思わず足が止まった。瓦礫と化した家――ラモンとその家族が埋まっている家だ。僕の脳裏には瞬時にラモンの無惨な姿が浮かんだ。埋まっていると知りながら、このまま通り過ぎるのは、やっぱり忍びないな――僕は向きを変えて、ラモンの家に近付いた。


 石壁だったと思われる長方形の石が積み重なった瓦礫を見つめる。この石をどけていくと、あのひどい臭いがしてきたんだよな。そんなはずはないんだけど、思い出すと今もその臭いが鼻に残っている感じがする――僕は覚悟をしてから石を一つずつどかしていった。


 すると、奥に狭い空間を見つけた。確かここにラモンがいるのだ。変わり果てた姿で……。でも、おかしいな。あの臭いが全然しない。もう少し石をどかした奥だったかな――穴の中を確認しようとのぞき込んだ時だった。


「うう……う……」


 ん? 声、か? いや、まさか。ここにはもう――


「た、すけ……たすけ、て……」


「……ええっ?」


 思わず僕は声を上げていた。かなりか細くて聞き取りづらいけど、間違いなく人の声だ。その姿を確認するため、僕は暗い穴の中に目を凝らす。と、細長い何かが鈍く動いているのが見えた。……手だ。手が光を求めるようにこっちへ伸ばされている。


「エヴァン、どうした。何か見つけたのか?」


 顔を上げると、里を見回っていた父さんが僕の様子に気付いたのか、いつの間にか側まで来ていた。ちょうどよかった。


「生き埋めになってる人がいるんだ。手伝って」


「何? 生き埋めだと? この下に人がいるのか!」


「父さんは瓦礫をどけて。その間に僕が助け出すから」


「わかった。崩れないよう慎重に助け出せ」


 父さんが瓦礫をどかしている隣で、僕は穴をのぞきながら奥で動く手に自分の手を伸ばした。


「頑張れ。もうすぐ助かるから」


 徐々に穴が広がって、僕の手は助けを求める手をつかんだ。冷たく、骨張った手。僕が強く握っても、向こうは握り返す力もないようだった。


 父さんが懸命に石をどかしてくれたおかげで、人一人が這って通れる大きさの穴になったところで、僕は握った手をゆっくり引っ張った。小さなうめき声を出しながら、生き埋めになった体はずりずりと出口に近付く。そして――


「もう大丈夫だ。助かったぞ」


 数日ぶりに日の光を見たであろう男性に、父さんが力強く声をかける。でも仰向けのまま助け出された男性は、陽光を眩しがる目で僕達を不思議そうに見上げていた。


「……誰、だ?」


 これに僕は笑顔で言った。


「生きてるあなたに会えるとは思わなかったよ……ラモン」


 埃と砂にまみれた顔は、紛れもなく、僕に付きまとっていたラモンだった。でも今回は幽霊でも遺体でもない。ちゃんと息をして生きているラモンだ。そう言えば成仏する前の話で、ここに閉じ込められた後、脱出しようともがいていたと言っていたっけ。つまり山崩れが起きた後もラモンはこうして生きていて、その地震の一週間後に僕の前に幽霊となって現れた……ということは、地震から四日経っているから、ラモンの命はあと三日だったってことか。まったく計算したことじゃないし、生きているなんて気付きもしなかったことだけど、これは嬉しい誤算だ。


「なぜ、私の、名を……?」


 ……そうか。ラモンは死んだから僕を知っているわけで、生きている今は僕のことなんて知りもしないのか。こっちとしては、ラモンの頼みでここまで来たんだけど……何か、おかしな状況だな。


「いかにもラモンって顔をしてたから、当てずっぽうで呼んでみただけだ。気にしないで。それより、早く安静にして休ませないと。血も出てるみたいだし」


 後頭部の後ろで丸まったフードには乾いた血の染みが付いていた。きっと大きな傷を負っているのだろう。かばんには母さんが入れたガーゼと包帯がある。応急処置しかできないけど、まさかこんなことで役に立つとは。


「妻と、息子……が、中……に……」


 ラモンは力の入らない手で自分が出てきた瓦礫の奥を示そうとする。


「わかってる。すぐに助け出すから。……父さん、傷の手当てをしてあげて」


「こっちは任せろ。エヴァン、気を付けるんだぞ」


 ラモンは父さんに任せて、僕は奥さんと子供を助けるために瓦礫を掘った。


 結果を言えば、助けられたのは子供だけだった。この子も弱り切った状態だったけど、大きな傷がなかったのは多分、子供を抱えるように亡くなっていた奥さんのおかげなのだろう。家が崩れて、咄嗟に子供をかばったに違いない。これをラモンに伝えると、覚悟をしていたのか、言葉少なに悲しみを見せたけど、頑張って生き抜いた子供を見ると、感極まったようにその小さな体に抱き付いて、僕に礼を言った。


 前回は絶望的だった里の状況だけど、今はまだ山崩れから四日しか経っていない。もしかしたら、この二人以外にも生き残っている人がいるかもしれない――そう思って、僕はラモンに他の家があった場所を聞き、その周辺を掘って捜し回った。すると予想通り、瓦礫の下敷きになって動けない人達を何人も見つけることができた。父さんにも手伝ってもらい、数時間かけて助け出せたのは十五人。でもそれ以上に遺体は見つかった。即死だったような人もいれば、ついさっきまで生きていたんじゃないかと思える人もいた。もっと早く気付いていれば助けられたかもしれない――そんな悔やむ気持ちが湧いたけど、今ここで問題なく動けるのは僕と父さんの二人だけだ。どうしたって限界はある。


「ガーゼと包帯を使い切ってしまった……私達だけじゃ、やっぱり無理そうだ」


 地面に横たわる怪我人の手当てをしていた父さんは、おもむろに立ち上がった。


「山を下りて、応援を呼んでくるしかない。エヴァン、その間一人でも大丈夫か?」


「うん、平気だと思うけど、父さんのほうこそ体力、大丈夫なの?」


「まあ、休み休み行けば、どうにかなるだろう。もちろん急ぐつもりではいるが。それじゃあ、できるだけ早くこのことを伝えて戻ってくるから、それまで頑張ってくれ。頼むぞ」


 かばんから食料を少し持っていくと、父さんは里を出て下山していった。急ぐとは言っても、行きと戻りで確実に一週間以上はかかってしまう。それまで食料は残っていないだろうな。それに助け出したラモン達の分も考えないといけない。どこかで食べられそうな物を調達しないと……そう言えば、ここには畑があったな。木もたくさん生えているから、木の実なんかもなっていたりするかも――


「君の、名前、は……?」


 いろいろ考えていた僕に、すぐ側で息子を抱えて休んでいるラモンが聞いてきた。その頭には包帯がぐるぐるに巻かれていて、少し重そうだ。


「エヴァリスト・ミトレ。エヴァンでいいよ」


「エヴァン……ミトレ……どこから、来た?」


「ずっと向こうの、王国の町だ」


「やはり、王国人か……。なぜ、この場所を、知っている……?」


 あなたに教えてもらった、とは言えないしな。


「えっと……ある男性に教えてもらったんだ。それと、世界を救ってほしいともね」


「世界を、救う……?」


 ラモンの目がわずかに見開いて僕を見つめる。


「そう。だから僕はここに来た。ここの聖域で、願いを聞いてもらうために」


「どういう、ことだ……なぜその、ことを……知って……」


 驚いて身じろぎするラモンを、僕は手で制してなだめた。


「あなたの疑問はわかる。でも僕は世界を救いたいだけだから。それ以外の気持ちはないよ」


「だが……願いを、叶えられ、るのは……私達の、力だけ、で……王国人には――」


「それは大丈夫。僕には半分、イレドラ族の血が流れてるんだ。願いが叶うことは実証済みだから心配ない」


「……?」


 ラモンの僕を見る目は、言葉の意味がさっぱりわからないと言っているようだった。まあ、わからなくてもいい。説明するにも長くなりそうだし。……そうだな。食料の調達の前に、本来の目的をさっさと済ませておくか。


「じゃあ、願いを言いに行ってくるよ。少し待ってて」


 僕はラモンから離れようとした。


「待て……本当に、君が……世界を……」


 不安と疑いの声が引き止める。そんなラモンに僕は笑って言った。


「もう後ろめたさを感じなくていい。僕が世界を救うから」


 背中にラモンの視線を感じながら、僕は里の端にある砂に埋もれた聖域へ向かった。


 この場所は前の記憶だと、一面大量の砂に覆われていたけど、今は地面の半分ほどしか埋もれていない。見えている石の地面を見ると、そこには白い塗料でうっすらと何かが描かれている。絵なのか模様なのか、よくわからないけど、多分これが聖域の証なのだろう。そして、この下にアナの魂がいるのだ――そこに立って、僕は足下を見つめながら言った。


「アナ、また来たぞ。でも今度は違う願いだ。聞いてくれるか?」


 静寂の中に、あの声は聞こえてこない。寝ているのか……?


(……望みは何?)


 聞こえた。ちょっと生意気なあの声――


「この世界を滅ぼさないでくれ。そんな未来じゃない、元の世界に戻してくれ」


(……その望み、聞き届ける)


 すると、足下の白い模様がじわじわと光を放ち始めた。僕が見た光はこれだったのか。そしてこの光が、願いを叶えたという合図。これで平穏を取り戻せる。世界は、やっと救われたのだ――随分と呆気ないけど、消えていく白い光を眺めながら、僕は突然背負わされた重荷をようやく降ろせたような、すっきりした気分を感じていた。


「アナ、ありがとう。これで僕は時の環から抜け出せたよね」


(……あたしに感謝してよね。あ、それと、皆を助けてくれてありがとう。もうこんなふうに話すことはないと思うけど……まあ、せいぜい頑張ってよね)


 可愛げのない口調は、僕の頭にあの少女の姿を思い浮かばせる。黙っていれば可愛い普通の娘なのにな。やさぐれているけど、もう会うことも話すこともないと思うと、少し残念な気もするから不思議だ。でもまあ、世界の運命を変えた今、僕にはやることが山積みだ。まずはラモン達を助けて、それが一段落したらこの里を調査したいな。学会にもイレドラ族の存在を発表しないと。あとはまた副業を探して家計を助けて……やるべきことはたくさんあるけど、まずは目の前のことからだ。食料を調達して、応援が来るまで持ちこたえる。すべてはそれからだ――希望を胸に、僕はひとまずラモンの元へ戻った。

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