屋台名物、選別スープ⁈ ④

「ごめんね、遅くなって」


 魔法院前、東広場の屋台名物なるものを幾つも試す兄妹と、魔法院内で珍獣の如く検査と調書を受けた幼馴染みが合流したのは、魔法院の二時間の昼休みが終わる頃だった。


 どこからか駆けてきたカイは大きく肩で呼吸している。

 右手には紙袋。朝別れた時にはなかったものだ。


「遅かったな。なんだ、買い物でもしてたのか?」


 開口一番、とんでもなく失礼な兄にフィーネは慌てて袖を引く。優しいカイとは言え、着いて早々の咎めるような詰問に気分を害してもおかしくない。

 おそるおそる顔を上げれば、乱れる呼吸を整え困り眉を更に下げた幼馴染みが見えた。


「あ、いや……これはちょっと色々あって……」

「気持ちはわからなくもない。珍しい屋台も多いからな。特にあそこのスープとパンは結構美味いぞ。そうだ。お前の分も買って来るから、待っていろ。話はそれからだ」

「大じょ……ありがとう。シリウスく……シリウス君っ?!」


 シリウスは彫像のような美しい顔に微笑を浮かべると、返事も待たずに屋台へと颯爽と向かっていく。余程早くカイにスープを渡したいのか、姿は優雅こそなれど動きは素早い。


「気をつけて! 焦らないで大丈夫だよ!」


 兄の背に呼びかけるカイを隣りに、フィーネは深く反省した。

(ご、ごめん。お兄ちゃん。お兄ちゃんはそういう人だったよね……)


 見目好いばかりに、シリウスの姿は部下を気遣う見目も心持ちも良い上司や優雅に下界を舞う女神の如く見えるだろう。現にそう思われているかは不明だが、広場では兄に見蕩れる者が幾人も見られた。


 しかしその実は幼馴染みに新しく発見した宝物を見せたいだけの、年甲斐もなくうきうきしている二十三歳の成人男性である。事情を知る身内としては少しだけ、いや物凄く恥ずかしい。


「シリウス君、気に入ったのがあったんだね」

「ごめんね。毎度よくわかんないお兄ちゃんで」


 フィーネの言葉にカイはびっくりしたように瞬くと、すぐに幼さの残る頬を緩めた。

「ううん。それよりシリウス君にいい物、貰ったかもしれない」

「いい物?」

「うん。これ……」


 カイは紙袋を探り、真っ赤に熟れたそれを取り出す。大地の香りがふわりとフィーネの鼻へと届き、思わず幾つかのカイの手料理が頭を過った。


「パープストマトだ!」

「うん。そこで貰ったんだ。……ちょっと色々あって、良かったらっておじさんが……ごめんね。遅れて」

「いいよいいよ! それにカイのことだもん。……へへへ」


 つい、フィーネの頬は緩んでしまう。カイの事だ、きっと困っている人を見かねて助け、断り切れずにお礼を受けている間に時間が過ぎ去ってしまったのだろう。


 フィーネの笑みからカイは見透かされた事に気付いたのか、しどろもどろに言葉を紡ぐ。


「あの、たいしたことはない……ううん、遅れちゃったのは本当に僕のせいなんだ……」


 カイは詳細を濁すと、気恥ずかしそうにキャラメル色の瞳を伏せた。

 申し訳なさそうな、照れの見え隠れする微笑。どうやらフィーネの予想は当たったようだ。


「へへへ……へへ、っあ、……! お兄ちゃんも喜ぶと思うよ。パープストマト!」


 気持ちが悪いと不評の笑顔を誤魔化すように。また、これ以上誤解が深まらぬように、フィーネは無理矢理に話題をトマトへと移した。


「ちょうどそのトマトを使ったスープが美味しいねって、話してたんだよ」

「そっか。良かった。宿では調理できないから、どこかで切って乾燥トマトに出来れば良いなって……」

「カイ、待たせたな」


 穏やかな空気が流れ始めたと思ったのも束の間だ。僅かに唇の両端を上げた兄が両手にスープカップと串焼きを携え現れたかと思うと、目にも止まらぬ素早さでフィーネとカイの間へと腰を下ろした。


 余程カイへ気に入った食物を勧めたいのか、成人男性一人が入るには少々足りない隙間だという事実まで彼の頭からは抜けてしまったらしい。


「『選別スープ』だ。時間が経過に伴っての味や風味の低下はあるが、味そのものは良く出来ている。元々はこの辺りの郷土料理で店によって味も異なるそうだ」

「そうなんだ? ありがとう」


 どうやら店の主からスープについての話を色々と聞いてきたようだ。

 シリウスはスープの命名権や元祖を決める裁判が行われている事、スープを始めとした各種名物のお陰で魔法院前の通りは大変栄えている事、他方で同じような店が乱立して競争も過酷になっている事などを立て板に水の如く次々と述べた。


「そう言えばカイ。お前がもし『選別スープ』に代わる名物を作るならばどんなものにする?」

 ふと、スープを飲み干したシリウスはカイに尋ねる。


「店の主人の到底不可能と思われるぼやきを聞いてな。彼いわく、今後の為にも多くの者に親しまれるような味と香りを持ち、病みつきになる癖もあり、かつ革新的な新商品を開発したいらしい。どうだ?」


 傍で聞く素人のフィーネであっても反応し難い問だと思う。問われたカイは瞳を瞬かせると、僅かに首を捻って答えた。


「ううーん……ご主人の期待にはちょっと……。それに僕は売れ筋も購買層もこの辺りの人の好みも知らないから」

「知っていたら、可能か? 主人の要望は置いておくとして。新商品開発のアドバイス程度で良い」


 真剣な表情を崩さずに食い下がるなんて、他人には比較的深く関わろうとしない兄としては珍しい。


 カイもシリウスの異変に気付いたのか、フィーネに目配せすると真っ直ぐにシリウスを見上げた。


「……シリウス君は店主さんの助けになりたいんだよね?」


 ふ、とカイの表情が緩む。見つめられた相手はバツが悪そうに視線を逸らすと、子供のようにこくりと一度だけ頷いた。


「まあ、あちらも軽い感じだったからな。要望も難易度が高い割には抽象的で、世間話の延長だと受け取られてもなんら違和感ない内容だ。しかしこうしてカイという役立てそうな人間がこちらにはいる。つまり解決法が提示出来る可能性を持つという事だ。もし店主の困っているという言葉に少しでも本心が混じっているのならば、無視するのは俺の性にあわない」


 だいぶスープが気に入ったのだろうか。

 それともカイや義姉との出会いにより、フィーネが気付かぬうちに兄も誰かを助けたいとの想いに駆られる人間に変化していたのだろうか。


 意外な兄の一面とそれまでに至るぶれない言い分。ちぐはぐでいてぴったり辻褄が合うような感覚に、フィーネの頬は緩みきってしまう。

 カイも嬉しそうに微笑むと兄の案に賛成するように大きく頷いた。


「いいんじゃないかな? っ……シリウス君らしくて……」

「お前、笑っているな? いいだろう、別に」

 むくれる兄にカイもフィーネも微笑を堪え、必死に真面目な顔を取り繕う。


「うんうん。次に買った時にでもさりげなく聞いてみて、その時にまだ新商品の案に悩んでいるようなら。役に立てるかは自信がないけれど、僕も考えるよ。伝えるかの判断はシリウス君に任せる」

「私も。もし店主さんが、素人の意見もひとつ取り入れたいって感じなら一言位は」


 二人の反応にシリウスの表情が一瞬だけ緩んだ。

「ああ。二人とも頼む。できれば購入層ごとに数案、バリエーションや販売方法、原価率も加味して書面にまとめ……いや、なんでもない」


 何か不穏な言葉が色々と聞こえたのは気のせいだろうか。ほぼ同時に、フィーネとカイから疑問の声が漏れた。


「お兄ちゃん……?」

「シリウス君……?」


 集まった視線から逃れるように、シリウスは噴水しかない真後ろを振り返る。


「やるからには、きっちりとな……」

「でもお兄ちゃん、さすがにそこまでは……普通に迷惑だと思う」

「うん。僕も、もう少し形を変えた方が良いと思う。ごめんね、シリウス君。店主さんが困ってるのは事実かもしれないけど……」


 兄に書面一式を渡されて――しかも兄が作るとなれば、論文よろしく少なくとも数十枚にのぼるに決まっている――困惑しない店主はいないだろう。

 助言を求められ、それが相手にとって心底必要としているものであっても、限度というものは必ずあるのだ。


「別に、俺だって普段ならばそこまでは……」

 そこまで告げてシリウスは押し黙った。


(普段ならば……? それって……)

 不自然な沈黙は彼の台詞と直前の唐突な動作と合わさって、それは一つの推測を補完する。


「お兄ちゃんまさか!」

「今の俺に向こうが提案した対価を拒否する理由もないだろう」


 平然と告げる兄だが多少は居心地が悪いのか視線は真後ろへ逃げたまま。肩を落としたフィーネからは深いため息が、カイからは困惑の混じる苦笑が漏れる。


「僕も色々考えてみるよ。ただ、書面は郵送か僕が代理で持っていく事にしようか……?」

「有難いが、受渡し方法の変更を提案したのは何故だ?」

「それは……」


 兄の顔が人を狂わすほど良いからである。


 例えば店主に年頃の未婚の娘がいた場合など、トラブルや誤解を招く恐れもあるし、親しい者として怪我人や傷心女性を増やす事は避けたいから……とはカイも言えなかったのだろう。


「その……丁寧な店主さんみたいだから、依頼したシリウス君相手では忙しくても時間をかけて対応するだろうし、ならば郵送とかの方が良いかなって。提案したからにはもちろん費用は僕がもつよ。それに郵送なら提出の証にもなるし、消印で日付も明確にされるから」


「……ふむ? しかし受け渡し方法の変更を伝える時間や発送に係る手続きの手間との兼ね合いを考えると……」


「なら私が伝えてくるよ! 私なら言付けになるから、相手の対応時間も短縮されるんじゃないかな!」

 フィーネも頼りない助け舟を出す。


「……そうだな。悪いが頼む」


 シリウスもようやく可能性に気付いたのか、はたまた当初から気付いてはいたがもう一度スープを買いに行きたいが為にぎりぎりまで粘っていたのか。

 どちらにせよ諦めたように苦笑すると串焼きの肉を頬張った。


 フィーネはカイと顔を見合せ、ほっと息を吐く。


 兄に悪気が欠片もなくとも、彼の美貌はまるで魔法や呪いのようにあらゆるものを呼び寄せてしまう。


 シリウスとの議論に興奮するあまり鼻血を出し卒倒てしまった男性や、彼と接点を持ちたいが為に待ち伏せや尾行に走ったシリウスの同級生も珍しくなく。シリウスや周りの人々を題材にした小説が出回っているとの話を妹のフィーネが聞いたのも一度や二度ではない。


「私、伝えてくるね!」

「おい、せめて身元証明に契約書は持ってけ」

「そっか、ありがとう! 送り先とかも聞いてくるね! ちょっと待ってて!」


 トラブルを未然に防ぎ、主人の要望に適切に応える為に。

 そして兄にもう二度とあのような自嘲めいた悲痛な笑みを浮かべさせない為に。


 フィーネは靴裏で道路際の弱い石畳を壊さぬよう気を付けながら、全力で駆け出した。

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