旅立ちの日――幕間のショートショートティータイム ①

「はぁ…………」


 寝台列車の一室で、シモンから深い深いため息が漏れる。


 騎士団本部からの指示により、一行はシモンの監視の下、高地の花の里ピゴスから乗合自動車でリィンへ。

 リィンからは寝台特急を使い、リィノスト平野最大の都市メルトムントへと向かう事になった。


 フィーネの腕には若草色のブレスレットが光る。


 クラウディオ達の開発したそれは一時的にではあるものの、フィーネの体に現れた異変を隠蔽してくれるのだと聞いた。


 お陰で今、フィーネの腹部にはなんの異常も見られない。否、一時的な隠蔽に、と名言している辺りからも、実際は魔法で認知されないよう工夫されているのであろうと推し量れた。


「…………あと、少しですからね」

 自らに言い聞かせるように、シモンは床に向かって呟いた。


(だ、大丈夫かなぁ。シモンさん。ずっと働きっぱなしだし……。それにしても……)

 フィーネは宛てがわれた部屋を見回す。


 こぢんまりとはしているものの、四人定員の二等級車の個室。

 簡易二段ベッドにテーブルセット、小さなクローゼットが一つと、一~三等級まである寝台特急としては中程度のランクだ。


 魔力や石炭等を動力源とした列車、自動車、乗合馬車等の移動手段の発達や普及は目覚しく、一般人の旅行や遠出も珍しくはない。とは言え。

 未知の能力を持つ神継者と訳ありの青年、いわば一介の村人を送り届ける手段としては思いもよらない厚遇……どころか、申し訳ない気持ちが勝る程だ。


 当初はおぞましい姿を晒しながら、猛獣の如く檻に入れられ輸送されても耐えてみせるとまで覚悟していたが。全くの杞憂であった訳である。


「あの、シモンさんお茶どうですか?」

 駅の売店で購入した紅茶を手渡すカイに、シモンも苦笑を漏らす。

「すみません、カイ殿」


 シモンの顔には疲労の色が、一方カイの顔には真新しい複数の絆創膏が、それぞれ見て取れた。


「あっ、お茶菓子もありますよ」

 フィーネがクッキーの袋を取り出すと、シモンは笑いながら遠慮がちに手を横に振る。


「ありがとう、クライン嬢。ですが、それはご友人からの餞別でしたよね? 大丈夫です」

 肩を落とす彼の背中は、まるで二十連続勤務、徹夜明けのシリウスのよう。


 無理もない。

 カイとほろほろ鳥のスープを食べた夜から三日。


 シモンはフィーネとカイに事情を説明し、興奮するクラウディオをなだめ、フィーネの兄シリウスの猛抗議に対処と説明を施し、村長の説明を含め役場とのやり取りをもこなし、騎士団本部との連絡も取りながら、慌ただしくピゴスを出発したのだ。


 それも同行対象であるフィーネとカイだけでなく、融通のきかぬクラウディオとシリウスを伴ってである。


 彼の心労は如何程か、想像に易い。


 人数や職務の関係でクラウディオ、シリウス研究者二人組とは別室となったが、この先もシモンの負担が大きいという事実は揺るがなそうである。


(何か、私にもできることがあると良いんだけど……)

 自然と合わさった視線の先で、カイの困り眉が更に下がった。


「あの、本当にすみません。兄が色々と口うるさく……」


 まずは謝罪をと口を開いたフィーネに、シモンは至って真面目に答える。


「気にする必要はありません。大事な妹御が突然『神継者かみつぐもの』となったのですから、落ち着いていられる人の方が少ないかと。それに安全と研究の為とは言え、年若い女性が私のような騎士に見張られながら へ向かわされるんです……シリウス殿以上に心配なされる方は沢山居ます」


「そう、なんですね……?」


 フィーネは困ったように眉と首を傾ける。


(お兄ちゃん以上の人、も……??)


 シモンを問い詰める兄はまさに魔王のようだった。


 彼は美しい顔を歪めながら、まず同行令の強制力への疑問を投げかけ、応えを待たずにシモン達の身分証明の請求。

 間髪入れずに神継ぎに対しての騎士団権限にまつわる法律と判例を並べ、自ら問うた強制力が無いことを証明した。


 行っていることは失礼極まりないはずなのに。低音の美声と澱みなく並べられる言葉は兄の不遜さを包み隠し、一種の恐ろしさと神々しさを感じさせてしまうから厄介だ。


 神継者に関する国外の研究論文まで引っ張り出そうとしたあの時。絶妙なタイミングでカイがシリウスが求める一言を添え、必死に止めていなかったら。

 シモンの一貫した意向がシリウスに届くまで、もっと時間を要していただろう。


「兄上にも承諾頂きましたが、メルトムントに到着したらクライン嬢は騎士団分室の異種族・異能研究室……異種能研と皆は呼びますが、まずはそこへ私と行く事になるかと思います」

 シモンの切れ長の瞳が、湯気のたつ茶を見つめる。


「シリウス殿は街の宿屋に待機されるとか、ある程度は自由にして頂いて……お父上へもこちらから再度、連絡を差し上げる予定です。何事も無ければクライン嬢の滞在先もその日のうちに決定します」

「お世話になります」

「いいえ。礼を申し上げるのはこちらの方です。上の方針とはいえ、歳若いご令嬢にこのような扱いを……ご家族様にも、カイ殿にも」


 続く深い深いため息には、シモンの苦悩が滲み出ていた。



 ガタリ、と大きく横に揺れて。列車は日の傾きかけた空を横目に、リィノスト平原に入っていく。


「本来ならばカイ殿にも私がつくべきなのですが、如何せん貴族制度の廃止に伴い、公的機関はどこも深刻な人手不足でして。申し訳ありません」

「いえ、こちらこそお手数を……!」


 平身低頭のシモンにカイもまた、頭を深く下げる。


「代わりにクラウディオが魔法院本部の方へ案内致します。クラウディオからもあった通り、カイ殿には魔法使用法第二十三条と四十六条抵触の疑い、主に『魔法過失』の件でお話を伺う事になりそうです。ですが内容が内容ですし、ご学歴やご職業を考えてもお伺いした事が偽りなきと判断されれば、抵触に当てはまる条件もなくなると。私一個人の見解にはなりますが――安心して良いかと思います。今後、ご自身の身を守る為にも院から指導のようなものだけはさせて頂くと思いますが」


 シモンの話には今もってしてフィーネも驚きを隠せない。

 実際シモンでさえも、当初クラウディオの推測には半信半疑な様子であった。


 一件について、フィーネはシモンの言葉以上の事は聞き及んではいないが、非常に珍しい事らしい。


 少なくとも問題の事象やカイの処分については、たった数日で多くの魔法研究者や司法関係者の間に広まり、興味と関心とを集めていると聞いた。


「すみません……処罰はきちんと受けるつもりですので」

 小さくなり続けるカイにシモンは苦笑いする。


「法律や指導のお話をしましたが、あくまで形式ですから。同様の判例もありますし、こちらはカイ殿の証言の裏付けを確かめる術も持っております。むしろカイ殿の場合は私達の思惑が大きいと言うか、逸材として人員確…………その、私としては喜ばしい限りなのです」

「はい……? 宜しくお願い致します」


 二人のやり取りを見ながら、フィーネはそっと安堵の息を吐く。


 騎士団側にも何やら事情があるようだが、真面目そうなシモンが同行するフィーネにまで説明し、ここまで手順やカイの身の保証を示してくれるのならば、ひとまず安心できそうだ。


「カイ殿。クラウディオはあのような奇行が目立つお方です。しかし魔法研究では一目置かれる方ですから。魔法院本部敷地内では安全ですので、はい……絶対に。大丈夫ですよ。ご武運をお祈りしております、カイ殿」

「あ、ありがとうございます……?」


 前言撤回。

 シモンのやけに限定的な物言いには不安が残る。


 数日前の事件といい、兄と同じ雰囲気を持つクラウディオにカイを任せるのはやはり少し心配だ。


(信じてはいる、けれど……クラウディオさんとカイを二人きりにするのは不安だなぁ。はっきりとは聞いてないけれど、こうなった原因は私にもあるみたいだし……これ以上カイが傷つかないように、せめて実験台の上に乗せられないように守らなきゃ!)


 フィーネは決意を胸に膝の上の拳を握ると、カイの様子をそっと伺った。


 無数に貼られた絆創膏の下、ほとんどの傷はフィーネの元へ来た際に出来たもの。

 そして額の傷に限ってはおそらく兄シリウスが関与している。


 昨朝の事――。


 廃城では認められなかった額の傷について、つい声をかけてしまった時の二人の反応。

 目を逸らすシリウスと困ったように微笑むカイ。

 まるで示し合わせたように突如始まるメルトムントの名物料理の話。


(あの流れ、絶対おかしかったよ。ひ弱なお兄ちゃんの事だもん。暴力を奮ったとは考えられない。でもなにか無理を言って、過失で怪我させたのなら有り得る気がする。クラウディオさんの時も私がもっと速くて強ければカイが半分裸になることもなかったし……ちゃんと今日から鍛えないと!)


 決意新たに。フィーネは見た目を裏切らぬ渋さの茶を煽り、餞別のジャムクッキーをかじった。


 目に鮮やかな苺ジャムとほんのりと塩辛いクッキーは、真っ赤に目を腫らしたリゼとの別れを思い出す。


 落雷事故に始まって、腹部の魔石出現などフィーネの神継ぎへの身体変化、軟禁拘束にカイの住居不法侵入、魔法使用法違反の判明、メルトムントへの出立と友人達との別れ。


 立て続けに起きた出来事には、未だ心が追いつききれていないけれども。


(頑張ろう。お兄ちゃんにもカイにも、お兄ちゃんの奥さんにだって……皆に沢山迷惑をかけちゃった。私に出来るのはありがとうって伝えて、頑張って、いつか恩返しできるよう必死に進む事だけだ。お兄ちゃんの結婚がまたうまく進むように、カイが職場に早く戻れるように。……また皆で、リゼちゃんやカノンさんとも笑って話せるように……)


 出立前にフィーネはリゼやカノンと約束し、これまでの感謝の言葉を伝え合った。

 そして二人だけでなく、何人かの友人知人も励ましの言葉を、時にはお小言や軽口混じりに送ってくれた。


 数こそ少なくとも、人によってはフィーネの腹部に恐ろしさを抱きつつであっても、世辞や見栄、同情の混じる複雑な本心であっても。

 なお、向き合いたいと望んでくれている人がいる。


(私は幸せ者だなぁ……)


「ところでクライン嬢と、カイ殿にも。探して頂きたいものがあります」

「え?」

「何か落とされた、とかですか?」


 首を傾げるフィーネとカイに、シモンは緩く首を振る。

 彼の顔から疲労の混じる苦笑が消えて。


「もの、と言っても生き物ですね。実際今どんな様子なのかはわからないのですが、非常に愛らしい容姿をしています。呼べば現れるはずなのですが……」


 なんとも抽象的で難易度の高い捜索願が出た。

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