乾燥きのこのあったかポテトスープ ②

「お兄ちゃん!」

「シリウス君!」

「ああ、ただい……んんッ、邪魔したな」


 言いかけた言葉を濁すように咳払いをすると、シリウスはちょうど二人の間に割って入るように身を寄せる。


 彼の背は悠に百八十センチを超えている。

 手足は長く、引き締まった体には程よい筋肉。

 切れ長の瞳は妹と同じ黄金色だが、薄い唇と形の良い鼻梁は抜けるような白い肌に神の采配とも言えるような絶妙なバランスで配置されていた。


 同じ長身でも印象はフィーネのそれと大分違う。


 唇を真一文字に引き結び、切れ長の瞳を更に鋭くさせ、眉間に深いシワを刻もうとも。

 くたびれきった白衣に身を包み、ぶっきらぼうに年下の幼馴染みを見下ろそうとも。

 短く切られた黒髪に朝と同じ寝癖が残っていようとも。

 彼にかかっては全てが『美』を表す素晴らしい演出に見えてきてしまう。


 男神のような精悍さと女神のような気高き美しさを併せ持った類まれなる容姿に、優秀な成績から異例の人事で国立研究室に勤務となった男シリウス・クライン。


 彼は自慢の兄であり、時に凡人のフィーネにはついていけない思考をする優秀な家族だった。


「遅くなって悪かった、カイ」

「おかえりなさい。シリウス君」


 言葉とは裏腹な剣呑な眼差しに、カイは太眉を下げて微笑み返す。

 邪気の全く無い反応に、シリウスの眉間の皺が緩まった。


「……ああ」


 僅かに上がる口角に果たしてカイは気付いているだろうか。

 長年の付き合いとは言え、兄の強面に後でフォローを入れるべきかフィーネは未だに悩んでしまう。


「良かったね、フィーネ。間に合って」

 そんな思いを知ってか知らずか、フィーネの耳の下をほっとするような柔らかな声が擽った。


 慌てて声の主を見れば、既に兄の仕事の愚痴を聞いている。

 視線だけはフィーネをとらえ、心配ないとでも言うようにキャラメル色の瞳が細まった。


(カイ……)


 嬉しいような、申し訳ないような、そわそわするような。

 自然とフィーネの頬も緩む。


 細工時計が夕食時を告げる。

 丸いテーブルを囲み、三人は各々の席へと着いた。

 今晩はスープの他にハーブ入りパン、焼いたソーセージにアスパラが並ぶ。


「いただきます」


 民を守る神様に祈りを捧げて。三人はスプーンを握った。


 まずは優しい琥珀色のスープをひとすくい。


 ふわりと鼻に届くのはマジョラムとキャラウェイの香りだろう。懐かしいような温かな香りの中に食欲を刺激するスパイシーさが垣間見える。

 口に入れれば生クリームに溶けた牛肉と野菜のうま味、併せて芳醇で深い乾燥きのこの香りが広がった。


「っ、~~!!」


 緩む頬と次のひとすくいを求める手は止められない。

 クリーミーなスープが染み込んだごろごろ芋とセロリ芋のぽっくりとした食感は、ほっとするような味がする。


 噛まずともじゅわりとスープが染み出る黄金カブと、すっと刃が通るような快感を思わせる食感のあけぼのかぶ。

 異なる二種のかぶの甲乙は、この国の人を時に二分するらしい。


 約束のアドバイスもカイへの感謝の言葉もすっかり忘れて、フィーネは口いっぱいにスープを頬張る。

 カイの言葉の通り、初夏といえども夜はまだ冷える。温かなスープは体に染みこんでいくようだった。


 ハーブ入りパンをちぎり、香ばしく焼けたソーセージと春先の柔らかなアスパラを咀嚼。

 再びスープに手をかけようとした時。ようやくフィーネはカイの視線に気付いた。


(あっ……私つい夢中になってガツガツと!)


 母が幼子を見守るような優しい視線と口元に浮かぶ微笑。それらは更なる羞恥を呼ぶ。

 スープ皿を空にする前だったのがせめてもの救いか。

 フィーネはコホンとわざとらしく咳払いをすると、にこにこと笑顔で見守るカイへの言葉を探した。


「あー……うん、その…………美味しい。その、マジョラムとかきのこが良い匂いで……美味しい……」


 料理への感動とは裏腹に、口から頼りなく漏れる語彙は乏しいものだ。


「良かった」


 はにかむカイにフィーネは眉を下げる。

 隣のシリウスはと言えば、フィーネを写したように次々と料理を口に運んでいた。


 この妹にしてこの兄あり。

 否、この兄にしてこの妹ありか。

 フィーネもシリウスも『いただきます』を発車合図に、停車駅を軽く通り越す勢いで夢中で食べてしまったようだ。


(なにか、なにかカイの手助けになることを……!)


「……美味いな」

「ありがとう。シリウス君」

「あ、う、ごめんね。兄妹揃って。その美味しい以外の言葉がすぐには……」

「良いって。美味しいかどうかは大事だよ」

「そうだ。最終的には美味いか、それ程でも無いか。楽しいか、楽しくないか。至って単純な話だ」


 何処吹く風か。淡々と兄は身も蓋もない話をする。

 なのに何故だろう。美しい兄が堂々と言葉を発すると、あたかも霊験あらたかな天啓のように感じてしまう。


 しかもカイ本人はさもありなんと言わんばかりに頷き、尊敬の眼差しでシリウスを仰いでいるのだ。


(うう……私もだけど、お兄ちゃんの言い方も随分じゃない?)


 フィーネは自身の行動を棚に上げ、兄と人の良い幼馴染みをねめつけた。


 しかしそんな不満は長く胸には留まらず。無表情な兄の口元に浮かぶ微笑と幼馴染みの下がり眉を見て、雪のように溶けてしまった。


(まあいっか。カイも喜んでくれているし、お兄ちゃんも嬉しそう)


 感想は後で伝えれば良い。美味しい食事に、にこにこと嬉しそうな幼馴染み。満更でもない様子の兄。


 満たされていくお腹と胸に、シリウスへの不満が入る余地はとっくに無くなっていた。


「へへへ……」

「フィーネ、お代わりいる?」

「うん! でも大丈夫、自分でよそってくるよ」

「別に好きに呼べばいいだろう……俺の分はあるか?」

「もちろん」


 フィーネに続いてシリウスも席を立ち、台所へとお代わりに向かう。

 嬉々として台所へと向かう二人にカイは更に笑みを深めた。



「それよりカイ、明日からリィンに行くと聞いたが」


 ふと、台所から戻ったシリウスの顔が曇った。

 平静を装いつつも、明らかにしょんぼりとした様子にフィーネは噴き出しそうになってしまう。


「ああ、うん。仕入れに。料理長が勉強になるからって手配してくれて」


 リィンとはフィーネたちの住むピゴスから西に50キロ程離れた地方都市である。ヒュームの中心よりやや東、宿場町として栄えた歴史を持つ小都市だ。

 大型百貨店、首都や他地方都市へ繋がる鉄道駅、映画館、ホテル、国立大学、魔術院分院等々。

 様々なものが揃っており、港町や首都への定期便もほぼ毎日出ている。


 リィンから先、首都へと続く広大なリィノスト平野で取れる農産物をはじめ、西部海岸周辺で採れる魚介類、首都で流行する品々などが豊富に揃うため、食材や日用品、洋服などを求めて遊びに行く者も多い。


 当然、カイのような料理人や支配人が仕事としてリィンへ出向かうことも珍しくなかった。


「そうか……その、帰りはいつ頃になるんだ?」

「十四日、明後日の夕方には。シリウス君の好きなマ・レーヌのケーキも買ってくるね」

「本当か!  是非四つ頼む! そう言えば期間限定のフレッシュベリーチョコタル……いや、手間になるならば良いんだ、お前が無事に帰って来れれば良い。暗くなると危ないからな、うむ」

「買ってくるね。なるべく早くも帰ってくるよ」


 まるで祖母や母のように微笑むカイにフィーネは頭が上がらない。


 それにしても。カイはシリウスに甘過ぎる。

 それこそ期間限定フレッシュベリーチョコタルトよりも数倍甘いのではないだろうか。


「いつもごめんね。とりあえず五千グルで足りそう?」

「えっ、良いって! お土産だし……」

「そうやって! お兄ちゃんとか皆にお土産ばっか買ってると破産しちゃうよ!」

「あぁ……うん、なら千グルだけ預かろうかな」


 カイは太眉を八の字にさせ、遠慮がちな数字を示す。


 兄妹揃って散々甘えておいて言える立場ではないが、彼はいつか悪い人間に騙されてしまうのではないだろうか。そんな不安が胸を過ぎる。

 フィーネ達だけでなく、皆に優しく面倒見が良いのは彼の美点だとは思うけれども。


「カイ! 本当に、ほんとうに気をつけてね……!」

「フレッシュベリーチョコタルト、だ。覚えにくいだろうが」

「うん。気を付けるよ。フレッシュベリーチョコタルトも、ね」


 各々眉間にシワを寄せる兄妹に、カイはふにゃりと頬を緩ます。


 今日も今日とて、微妙に噛み合っていないような、意外と噛み合っているような。

 不思議な会話はきっと温かな食卓と優しい幼馴染みのお陰で成り立っている。


「ところで今日はチーズケーキと聞いていたのだが……」

「うん、先輩に美味しいクリームチーズを貰ったから。ちょっと待ってて」

「へへへ、カイのチーズケーキ美味しいんだよね」


 カイとフィーネはほぼ同時に席を立ち、足取り軽く台所へと向かう。

 台所の窓は白く曇り、無数の雫の跡が朧気に見えた。


(寒いと思ったら雨かぁ。この時期は天気が変わりやすいなぁ……。折り畳みの傘あったかな……?)


「ところでカイ、明後日の夜は空いているか?」

「空いてるけど……?」

「話がある」

カイの手元、好物のチーズケーキに視線を留めたまま。

「妻を紹介したい」

「「え……」」


 息を飲むフィーネとカイをよそに、シリウスはチーズケーキを口いっぱいに頬張った。

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