乾燥きのこのあったかポテトスープ ①
「ただい……んんっ、お邪魔します!」
うっかり間違えてしまった台詞を咳払いで誤魔化して、フィーネは隙間風と共に友人の家の扉を閉めた。
週に一度、多い時は毎日のように兄妹が世話になっている友人の家はこぢんまりとした一戸建てだ。
温もりを感じる木目調の内装に、落ち着いた色合いの玄関マットとカーテン。品の良い小さな壁掛け時計。玄関脇にはどこかの地方のお土産であろう、可愛いがどこか不思議な置物が並ぶ。
入ってすぐに食欲をそそるニンニクとバター、次いで燻製の香りが鼻に届いた。思わずよだれが出そうになるのを我慢して、右折し手洗いうがい。
フィーネはそのまま迷い無く奥の居間へと進む。
「あ、フィーネ……っ!」
フィーネの帰宅に、家主はパッと振り返るとその頬を緩ませた。
彼の名はカイ・ハース。
柔らかなココアブラウンの髪にキャラメル色の大きな瞳、随時下がっている太眉が印象的なフィーネの友人だ。
細身の体にフィーネよりも頭ひとつ小さい背丈、童顔も相まってか、大抵は実年齢よりも相当若く見られてしまう。
本人が強く否定しない事もあり、フィーネと同じ十七歳だと知らない村人も多い。
「ごめんね、遅くなって。お邪魔します」
「いえいえ。どうぞ」
ぺこりと頭を下げるフィーネに、カイもまた両手を揃え会釈する。
近所のよしみで友人となってから早十余年。フィーネは実家の手伝いを、カイは実家の近くに家を借り料理人見習いとして、互いに職を持った今も交流は続いていた。
「外寒くなかった? 休んでても大丈夫だよ」
「ううん、平気! 手伝うよ! あ、あとお兄ちゃんだけど少し遅くなるみたい。ごめんね」
「大丈夫だよ。さっきシリウス君からも電話があった。研究が詰まってるって……大丈夫かなぁ」
カイの言葉にフィーネは僅かに顔を曇らせる。元来の性質か、拘束時間が研究に左右されてしまう仕事柄か、シリウスは以前から
数ヶ月前からは実家の薬草店との兼業研究者になったものの、そんな事情を研究経過が考慮してくれるとは思えない。
「大丈夫……だと思う。お兄ちゃんなら」
一抹の不安を残しながらも、過去の兄を思い出してフィーネは言い切った。
忙しい、食べる暇も無いと言いながらもシリウスはそつなく仕事をこなし、約束の日には必ず食べ始めるまでには帰宅している。
休日出勤になることはあっても、日付を過ぎて帰宅したことも今のところは無い。兄ならばきっと今日も、疲労を口にしながらもカイとの食事に間に合わせるはず。
「そうだね。シリウス君なら」
納得したように頷き、微苦笑するカイにフィーネも自ずと同じ笑みが零れる。
背が高く神経質で生真面目なシリウスと、小柄で穏やかな性格のカイ。彼らに共通するものは少ないが、かえってそれが良いのだろう。
「……ところでそれ、今日のご飯?」
挨拶や待ち人の話はひとまずに、フィーネは抗いきれない魅惑的な香りのもとを指さした。
カイの後ろ、コンロの上――手鍋の中ではきつね色のニンニクとじゅわりと油の染み出た厚めのベーコンが跳ねている。
胃袋を刺激する魅惑的な香りはまず間違いなくこの手鍋からであろう。
飛び出かけた催促の二の句をよだれと一緒に飲み込んで、フィーネはそわそわした様子で覗き込む。
「うん。まだ夜は寒いから、乾燥きのこのスープを作ろうかなって……っ、大丈夫だよ。今回はたくさん作るから」
言いながらカイは顔を背け口元を覆う。必死に笑いを堪えているのだろうが、不自然な間と小刻みに揺れる肩が隠しきれていない。
しかも最後の台詞もおそらく、前回のフィーネのうっかり発言を覚えていての気遣いだろう。
長い付き合いだ。食い意地が張っていることも、大食漢なことも今更恥ずかしいとは思わないけれども。同時にその言葉に揶揄する意図が全くないと言うこともわかるので、尚のことフィーネは羞恥を感じてしまう。
(ううう……あの時は、美味しくてつい『まだ残ってないよね?』なんて聞いちゃったけど……! 違うって言うか、食いしん坊なのは認めるけれど、そこまでカイにして貰おうとは決して思ってないと言うか……! あああ私の馬鹿。さっきの言葉も考えたら図々しすぎるよ!)
二の句が継げぬまま悶えるフィーネに気付いたのか。カイは慌てて顔を上げると身振り手振りを加えて付け足す。
「別に悪い意味で笑ったんじゃ無いよ……! 『美味しい』って言って貰えて、沢山食べて貰える事は料理人として素直に嬉しかった」
「カイくん……」
「いつもありがとう。フィーネちゃん」
カイの眉がハの字に下がり、キャラメル色の大きな瞳が細まる。
嬉しいような、くすぐったいような。胸に広がる心地良いそれに、フィーネの自然と微笑んでいた。
「私こそいつも……っああ! 鍋、鍋‼」
「うわあっ……」
二人が友情と信頼を育む間も、空気を読まないニンニクとベーコンはどんどん焦げていく。すんでの所でカイが火を止め、
「……っぶなかった……!」
二人は安堵の息を吐いた。
「邪魔しちゃってごめんなさい」
「いいよ、いいよ! 僕がぼーっとしてたんだし、ちょっと焦げたけど、香ばしくて良いかも? それよりお皿とか今のうちに出しといて貰える?」
「わかった」
再び眉をハの字にさせて微笑むカイに、フィーネもまた同じ表情を返す。
非常に香ばしくなったベーコンたちはカイに任せて。フィーネは食器棚から深めの皿を出し、ランチョマットとスプーン、フォークを三つずつ並べていく事にした。
真剣な表情の友人をフィーネはそっと見つめる。
学生時代から今日まで、良かったら料理の試食をと度々呼ばれご馳走になってはいる。が、食い意地が張っているだけのフィーネと几帳面で『自分で考えろ』が口癖のシリウスだ。
アドバイスなど口実で、友人達を喜ばせたいという好意からだという事は鈍感な兄妹も気付いている。
美味しい料理だけではない。カイの笑顔に、言葉に、フィーネもシリウスも幾度も救われ元気を貰ってきた。
少しずつでも良いので感謝の気持ちを返したい。
いつかフィーネにとってカイがそうであるように。誇れるような友人になりたいとフィーネは日々考えている。
「フィーネ……っ、良かったらそこにある皮を洗って、この鍋に水と一緒に入れてくれる?」
「うん? これ?」
「うん」
示された先にはスープに使ったであろう野菜の皮や軸がまとめられていた。
玉葱、ニンニク、ごろごろ芋にセロリ芋の皮。フィーネの店でも扱っているアネットやマジョラム、野良にんじんの切れ端もある。
「ベジタブルブロスも作るの?」
「うん。ついでに作っておけば保つから」
ブロスとは簡単に言うと出汁の事だ。ベジタブルブロスは複数の野菜から、チキンブロスやビーフブロス、フィッシュブロスは骨や余った身を加えて作る。
基本は水と酒を入れて弱火で煮込むだけ。炒めてから煮込んだり、ハーブを加えても良い。食べられない部分を利用した出汁は料理の世界をより深いものにする。
「セロリ芋の葉が混じっていたらそれは避けてくれる?」
「はーい」
セロリ芋の葉は苦みが強く、食べることは滅多にしない。出汁を取る時も渋みが出るため、取り除くのが一般的だ。
隣りのカイの手元では行く末が不安だったベーコンとニンニクに玉葱が加わり、見事に息を吹き返していた。甘い玉葱の香りに野菜を選別する手もおのずと緩慢になる。
(うわぁ! もうこれだけで美味しそう……!)
コンロの上の手鍋には新たにセロリ芋と黄金かぶ、あけぼのかぶが加えられる。
弱火にし、軽く炒めるのは根菜類に全て火を通さないため。些細な火加減ひとつで食べ応えのある食感をより楽しめるようになる。
根菜類の周りが少し半透明になったら、炒めた小麦粉を入れ軽く混ぜる。淡い色彩からは想像できないほど豊かな香りだ。
「へへへ。良い匂いだね。美味しそうだね」
「だね。ところで今日はビーフブロスにしようと思うんだけど、どう?」
「わあ……! 良いね! 冷蔵庫開けるよ?」
カイが頷くのを確認し、フィーネは後ろの冷蔵庫を開ける。
中段と上段に目的のものを見つけ、大小二つの器を手渡した。
共に中の液体は飴色や濃い琥珀色。大きい方の器には乳白色の油脂が見える。
こちらが件のビーフブロス。牛肉や牛骨から取ったどっしりとした味わいの出汁だ。
そしてもう片方は乾燥きのこを水で戻したもの。乾物特有の独特の芳香が鼻に届く。
「いよいよだね!」
「はは、もうちょっとね」
瞳を輝かせて鍋を覗き込むフィーネにカイも釣られて笑う。
かき混ぜながらブロスを加え、乾燥きのこも汁ごと注ぐ。
マジョラム、キャラウェイシード、月桂樹の葉、塩コショウを加えてひと煮立ちさせ、一口大に切ったごろごろ芋を加えたらあと少し。
コクのあるビーフブロスに乾物の深い香り、甘くスパイシーなマジョラムとキャラウェイの香りが絡む。生クリームを入れ少しだけ温め、器に盛ったら完成だ。
「美味そうだな」
その時。聞き慣れた心地よい低音が二人の耳に届いた。
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