乾燥きのこのあったかポテトスープ ③
ふわりと、桃色のサイドテールとスカートをひらめかせ、リーゼロッテ・アイブラーは一つ年上の友人の手を引いた。
昨夜から燻ったままの曇天は再び機嫌を損ねかけている。
花祭りの準備の為とはいえ、クラスメイトからの『無理なお願い』など安請け合いするのでは無かった――両手合わせて四つもの楽器ケースを抱えながら、己の甘さに後悔していたリゼに救いの手が差し伸べられたのは一時間前。初学年から世話になり、昨年度卒業したフィーネ・クラインだった。
「ありがとう、フィーネちゃん」
「どういたしまして。花祭りでの催し、大成功すると良いね。リゼちゃんの舞台、楽しみだなぁ」
「ふふふ、楽しみにしててよ。ぜーったい満足させるから!」
のんびりとした応えと柔らかな微笑、やや天然にも近いおおらかさ……に全くそぐわない物理的な素早さと力強さ。
誰がどう言おとも、それらは頼もしい
リゼは愛すべき先輩を盗み見ながら、ここ数時間の記憶を辿る。
大男もびっくりの速さで学校まで楽器ケースを運んだフィーネは、教師からのもてなしを「なんでもない事」と一度は断ったものの、慌て過ぎたのかその場で転倒。
校長にまで心配された後、結局は教師の押しに負けて共に茶を馳走になった。
そして今は当然のようにリゼを家まで送り届けようとしてくれている。
もちろん奇跡と不運と万が一が重なり、飛び出てきた魔物から後輩を守り逃げ切れる事を前提とした気遣いだと思われる。
(フィーネちゃんの体ってすんごい丈夫だよね……。だからよく食べるのかな? それより……ううーん、今日もホオノキの落ち葉みたいな格好! 色々おっきくて薄茶色いのに、服から出る手足は枝みたいだよ! もっとお洒落すればぜーったい可愛くなるのに! こう、キュッとしめて、
本人達が気付いているかはともかく、その様は盗み見たと言うよりも凝視に近い。
リゼはフィーネに掴みかかりその服を着替えさせたい欲を必死に抑える為に、
「……? ところでリゼちゃん。あの、そのね……今日これから空いてる?」
「ふぁっ?! あ、なに? 空いてる? 空いてるよっ!」
自覚無く、
フィーネは地面に視線を落としたまま、しどろもどろに言葉を続けた。
「あの、良かったらこれから……その、きちんと見えて、でも可愛らしい感じの服をコーディネートして欲しいんだ」
「えっ」
およそ後五年は訪れぬだろうと踏んでいた好機に、リゼの理解はしばしの時間を要す。
(えっ? フィーネちゃんが、服の、相談???)
「あっ、時間ないなら大丈夫だよ! 急に言っちゃってごめ……」
「あるあるあるある‼ そういう時間なら明日明後日明明後日まであるよっ‼ 今からフィーネちゃん家? おっけーおっけー! て言うかフィーネちゃん、何があったの?! あれ? とうとうカイ先輩に何か言われたの?」
「えっ? カイに? 何も言われてないよ?」
「ええっ? カイ先輩じゃないの?」
まさかの返答にリゼは驚く。
年頃の女性が服装に悩む事はままある。
しかし相手はあのフィーネだ。自発的に自身の装いを見直すとは、にわかに信じ難い。
(春到来じゃないの?? カイ先輩じゃない?)
妹を溺愛する兄を持つフィーネには浮いた話ひとつなく、リゼが知る限り親しい異性も非常に限られている。
おそらくその中で、皆の前で呼び捨て合う仲なのは幼馴染みであるカイだけだ。
クラスメイトに対して敬称を付けずに呼び捨て合う事は珍しくもないが、フィーネもカイも後輩のリゼにさえ敬称を使う律儀な性格。
それにリゼは知っている。
不意を突かれた時など極偶に。二人が互いに親しみを込めた敬称を付けて呼び合っている事を。
幼馴染みという間柄や世間体を考慮しても、呼び捨て合うに至った経緯は想像に
だからこそ敬愛する先輩に春が訪れるとすれば、カイ一択であろうとリゼは睨んでいたのだが。
「じゃあなになに? なんでまた服を? 誰とデート? それとも自分磨き的な?」
少しだけ拍子抜けはしたものの、その程度でリゼの興奮は冷めやらない。
理由はどうであれ、あのフィーネがやっと自分を着飾ろうと思い立ってくれたのだ。千載一遇のこのチャンスを逃す訳にはいかない。
「ううん、もうなんでも良いや! とにかくレッツゴー! その森に隠れるような茶色は今日捨てよう‼ 私に任せて! 飛ぶ鳥も落とす勢いでシリウスさんを抜かしてみせようぞ!」
「う、うん⁇ ありがとう」
気の良い
いじりたくて堪らなかったフィーネの鶯色の髪も揺れている。
苦節三年、満を期しての喜びをリゼは噛み締めた。
(きたよ‼ きたきた‼ やっと! やっと! やっとだよおおお! どうしようかな~きちんとした感じで可愛く……清楚系でも良いし、スタイリッシュな感じに少し攻めても良いよね! あ~髪もさ~迷うよ~~!!!)
一方、フィーネは二つ返事で請け負ってくれた友人に感謝しつつ。
(『とうとう』……? もしかしてリゼちゃんだけでなく、カイにまで服装の事心配されてる? そんなに茶色いかったか……お義姉さんにいつもの格好で会わなくて良かった……)
自らの装いを見下ろしながら、昨日兄から告げられた衝撃の一言を思い出す。
『妻を紹介する』――正確にはシリウスの『妻(予定)』らしいが――今夜、フィーネは未来の義姉と会食する。
(でも、職場の上司さんって言ってたけれど……あの、あのお兄ちゃんが……?)
『色恋など時間と労力の無駄』と数多の女性の期待を無意識に切り捨て、『よく知らない人間と食事をするくらいならカイと犬の餌の研究でもしている』と在らぬ誤解を広げた兄である。
美しく整った顔で言ったばかりに、今でも動物愛護団体から誘いを受けているし、年下の幼馴染みが恋人なのではないかとの噂も絶えない。
しかも本当に犬好きでカイとも仲が良いので、女性の誘いを断り二人で犬の餌の研究をしていても驚かない自信がフィーネにもあったのだが。
(奥さんって……人間だよね? 実在するよね? お話にある契約結婚とかカモフラージュ的なものじゃないよね??)
物凄く不安である。
「フィーネちゃん! さあ、さっそく着替えよー!」
始まりの合図のように、リゼはフィーネの家のドアを跳ね開ける。と同時に、まるで測ったようにパラパラと無数の雫が天から零れ落ち始めた。
🍴🍴🍴
一時間後。
「しかしあのシリウス先輩が……」
フィーネの髪を結う手を止めると、リゼは顎に手をやり大袈裟に眉間に皺を寄せた。
あれからリゼはフィーネの手持ちの洋服を全て確認し、紆余曲折を経て、見事『きちんと見えて可愛らしい感じ』にコーディネートしてくれた。
無難な白のブラウスに淡い緑のカーディガン、そしてお馴染み茶のスカート。
彼女曰く『正しい着方』でスカートを履き、引き出しの奥にあったガーネットのリボン留めと揃いのカフスボタンを付けるだけでこうも印象が変わるとは、フィーネ自身も驚いている。
そして今は彼女の好意に甘え、髪まで結って貰っているのであった。
「相手の人、どんな人なんだろうね。私は観察眼が鋭くて、神に見合うような絶世の美女……それもあのシリウス先輩と一緒にいてもまるっとぜーんぶ許せるような包容力ばっつぐんの聖女の様な人だと思う! フィーネちゃんは?」
リゼに問われ、フィーネは兄の想い人を想像する。
しかし。
「う、うーん……? 優しくて頭の良い人なんじゃないかなぁ……とは思うんだけど」
気難しく交友関係の狭い兄が誰かと恋愛にまで発展し、生涯を共にしたいと考える……その想像がまず出来ない。
「そっかー。曲がりなりにも研究所の職員だもんね。研究員じゃなくても頭良い人しかいなさそーなのに上司! ……ん? 上司?」
「うん」
素直に頷けば、リゼはううむと唸った。
「上司……包容力……すっごい年の差婚とか?」
リゼの推測にフィーネも頷く。
年の功は人間を寛容にさせ、好みの幅を広げるかもしれない。
「あるかも。エルフとか龍みたいな長生きな種族の血が入った人とか」
「ああそっちかー! そうかー最近は珍しくないもんねー。でも花祭りにわざわざ合わせるなんて、シリウス先輩も雰囲気とか大事にするんだぁ。意外。奥さんの為かなぁ?」
フィーネも同感だ。
だがもし、妻となる人(?)に出会い、兄に相手を思い遣り楽しませる心が芽生えたならば喜ばしい事この上ない。
「ところで花祭りと言えばさぁ」
「うん」
フィーネはまだ見ぬ義姉に思いを馳せながら、相槌を打った。
「フィーネちゃんは好きな人いないの?」
「うん、っえぇっ⁉」
不意打ちの質問にフィーネは思わず振り返る。瞬間。
轟音と共に二階建ての家屋が大きく揺れ、次いで微かな悲鳴が耳に届く。
「えっ⁉ な、なに? これぇ? 雷?」
「ちょっと外見てくる!」
「え? フィーネちゃん?! 気を付けてよ!」
リゼの言葉が終わる頃には、フィーネは玄関から飛び出していた。
今も耳に残る悲鳴には聞き覚えがある。
先日会ったカノンだ。気のせいかもしれないが、それを確かめている程時間は無いように思えた。
「ギュェッ、ギッギッギ!」
「え? っわあああぅ……っ‼」
振り向こうとした刹那、何かにぐいっと衿を掴まれる。
抗う術などそこには無く、されるがままにフィーネは引き摺られるようにそれに従うしかない。
(?! く、なっ、くるしっ、しまっ! うぅ)
天から降る雫のほかに、生理的な涙が眦を濡らす。距離にしてそれは数メートルだったかもしれないし、数十メートルだったかもしれない。
偶然か意図してか。得体の知れぬ何かは急くようにフィーネを引きずり、つと真っ二つに裂けた大木の下で暴力的な力を緩めた。
「っ、は、っはぁ……っ……!」
咳き込むフィーネが見上げた先にはうつ伏せに倒れたカノン。”雷”とのリゼの言葉と身重の彼女の笑顔が蘇る。
乱暴に導いた謎の存在も忘れ、フィーネはカノンへと駆け寄った。
「カノンさんっ」
大きなお腹を守るように蹲るカノンにフィーネは躊躇う。すぐにでも温かい部屋へと運んであげたい気持ちはあるが、無理に動かせば母子共に危険にさらしてしまうかもしれない。
(私ひとりじゃダメだ……!)
フィーネは着ていたカーディガンを脱ぎ、降りしきる雨から庇うようにカノンへとかける。
「カノンさんっ! 今、呼んできます!」
時は一刻を争う。ぐっと奥歯を噛み締めて、フィーネは泥濘を蹴ろうとした。
ところが。
「っ!!」
視界の端で裂けた大木が傾ぐ。冷静に考え判断する間もなく、気付けばフィーネは泥濘を予定の方向とは逆に蹴り、カノンと大木の間へと飛び出していた。
「ギュッキュッ」
足元から発せられたそれに気付くこと無く、フィーネは容赦なく襲いかかる幹へと両手を伸ばす。
瞬間、幾つもの淡い緑の光がフィーネを包み、目の前の大木が音もなく霧散した。同時に光の中で泥だらけになった腹部が歪んだかと思うと、斑のような黒点が滲み始める。
(あ、あれ?)
おそるおそる瞳を開けたフィーネは己の予想だにしなかった異変に気付いた。黒点は歪み、じわじわと拡がり、真ん中でなにかがキラリと光る。
「な、に…………?」
禍々しい様相のそれは、フィーネの意識をも滲ませっていった。
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