聖ウァレンティヌスの日4

 数時間後、港区内の某教会の前。

 千夏と葵は数十分前からずっとそこで待っていた。

 時刻は17時、もう日が沈み始めていた。


 そして100mほど先の角から二人の男が現れる。

 慎とユーリイだった。

 ユーリイは慎に腕を掴まれ、無理やりこちらに引っ張られてきていた。


 しばらくして、ユーリイが葵の存在に気づき「慎!!これはどういうことだ!?」と叫ぶが、慎は慎で「うるさい!!俺はこうするしかなかったんだ!!」と叫び返す。

 そんな押し問答をしながら、とうとう葵と千夏の前までやってくる。


 慎はユーリイの背中を両手で押して無理やり葵の前に立たせる。

 千夏は片手でぽんと葵の背中を押し、葵は一歩前に出る。


 しばしの静寂が流れたあと、先に口を開いたのは葵だった。


「ユーリイ、婚約ってことは、いつかは結婚してくれるってこと?」


 ユーリイはその問いにどう答えるべきか、数秒悩んだあと静かに答えた。


「昼間言ったとおり、俺の故郷も、俺自身も、この先どうなるかわからない.........」


 昼間と同じ答えが返ってくる..........


 葵はそう思った。

 だが.........


「でも、いつか......故郷に平和が訪れて......そのときにまだこの命があるならば......必ず君を迎えにくる」


 ユーリイはそう言って、まっすぐ葵の目を見た。


 葵はその言葉を聞いて、涙をこらえながら、声を絞り出した。


「じゃあ......その約束の証として......先に結婚式をして......」


 その言葉で、その場は再び静寂に包まれた。


「え.......」


 ユーリイは、葵の言った言葉の意味がわからず、顔に似合わない間の抜けた声をあげてしまった。


「いや、だから、結婚の約束はするけど、今の状況で結婚はできないと......」


 昼間と同じ問答が繰り返されようとして矢先、横から千夏が割って入った。


「あー、話がこじれないようにここからは私が説明するわね。二人の関係はあくまで結婚の約束をした婚約者。結婚式は未来の結婚の前借り。言うなれば、婚前結婚式ってところね」


 千夏の言は完全に屁理屈であった。

 よくこれで偉そうに話がこじれないようになどとのたまって割って入ってきたなと、外野にいる慎は呆れかえっていたが、その屁理屈を聞いて逆にユーリイは全てを理解した。


「そうか......この舞台の黒幕は君か......千夏......」


 ユーリイは苦虫を嚙み潰したような顔で千夏を睨んだ。


 恋人の親友ということで、千夏との付き合いも長い。

 千夏の破天荒な行動にユーリイが巻き込まれて酷い目に遭ったのも一度や二度ではなかった。


「ユーリイ、確かに言い出したのは千夏だけど、今はもう私の希望よ」


 葵はそう言って、千夏をかばうように千夏の前に立った。


「式は、いつかあなたが私を迎えにきてくれる約束の証であると同時に、私の心がユーリイから離れないという覚悟の証でもあるの。だから......」


 葵の瞳から、ずっと堪えていた涙がこぼれ落ちた。


「君の心が離れるようなことがあったらとか......婚約を破棄してもらっても構わないとか......言わないでよ!!」


 葵は両手で顔を塞いで、わんわんと泣き出した。

 そんな葵を横から千夏が優しく肩を抱く。


 ユーリイは泣き出した葵をどうしていいかわからず立ち尽くしていた。

 そんなユーリイの肩を横から慎がぽんぽんと叩く。


 肩を叩かれたユーリイは慎の方を見る。

 慎の表情は、「どうするんだ?もう腹くくっちまえよ」と言っていた。


 ユーリイは空を仰いでしばらく考えたあと、葵の方に視線を戻しこう言った。


「わかった。結婚式をあげよう」


 その言葉を聞いて、葵は塞いでいた顔を上げた。


「本当に?」


「本当だ」


 次の瞬間、葵はユーリイに抱きついた。


「ありがとう!!」


「俺こそ、ありがとう......それから......悲しい思いをさせて、すまなかった......」


 二人は、しばらく抱き合っていた。


 が、葵が思い出したように声を上げた。


「あ!!でも、これからが大変!!式をあげるとしたら、土曜か日曜だけど、ユーリイ、今週末まではまだ日本に居られるの!?」


「もちろんできるだけ早く帰らなければならないが、君との大事な約束だ。それを果たすまでは日本にいるよ」


 そんな二人の会話を聞きながら、千夏は顔に疑問符を浮かべる。


「土日?週末?」


 千夏の様子に気づき、葵とユーリイは千夏の方に目を向ける。

 そして、もう何度目か、そこはかとなく嫌な予感がした。

 そんな二人に向かって、千夏は何を馬鹿なという調子でこう言った。


「式は今からやるに決まってるじゃない」


 千夏の言葉に葵もユーリイも血の気が一気にひいた。


「何考えてるのよ!?いくらなんでも今からなんて!?」


「そうだ!!俺たちは悩みに悩んだ末にやっと覚悟を決めたんだ!!中途半端な式にはしたくない!!」


 二人がわーわーと反発するが、千夏はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「あんたたち、私を誰だと思ってるの?」


 そう言い放った千夏の背後で、大型のトラックが急停車する。

 そして、助手席に乗ったスーツ姿の男が身を乗り出して大声で話しかけてきた。


「チーフ!!いくら平日で他に式がないからって、いきなり当日なんていくらなんでも無茶苦茶ですよ!!」


 男は千夏の会社の部下だった。


「つべこべ言わない!!さっさと始めて!!」


 千夏に大声でそう命じられ、男は泣きながら、トラックの荷台を開ける。

 さらに後ろから来ていた別の数台の車両からも数人の男女が出てきて、中の荷物を運び出す。

 中から出てきたのは、花や装飾品などで、次々と教会内に運び込まれていく。


 そして、運び込まれていく荷物と入れ違いに、教会内から一人の神父らしき男性がでてくる。


「いやー、輪蓮さん、いくら平日で他に式がないといっても、当日というのはいくらなんでも......」


 神父らしき男は困った表情で千夏と二言三言話したあと、千夏に何を言われたのかげっそりした表情で、教会内に戻っていった。


「あ、ここだ、ここだ。おーい、葵ー、千夏ー!!」


「たぶん、この教会だな。おーい、ユーリイー、慎ー!!」


 今度は歩道の両サイドから、若い男女が続々と教会の前に集まってくる。

 彼ら彼女らは、葵の友人や、ユーリイの職場の同僚たちだった。


 他にも、何かしらの業者らしい人物たちが、千夏に軽く挨拶をしたあと、教会の中に吸い込まれ行く。


 それらの光景を前に、葵とユーリイは茫然としていた。


 だいたいのやりとりが終わり、千夏は二人の方に向き直った。


「あんたたちの結婚式はこの輪蓮千夏が担当するのよ。世界一の式になるに決まってるじゃない」


 そう言って千夏はドヤ顔で大きく胸をはった。


「はははは......そうだったわね......」


 葵は乾いた声でそう言い、全てを受け入れた。


 輪蓮千夏。

 ブライダル業界最大手企業であるワタナベブライダルフォールディングスにおいて、年間成績全国トップを誇る凄腕ウエディングプランナーであった。




 1時間後、式は厳かに執り行われた。

 世界一とまではいかないかもしれないが、急ごしらえの式とは思えない素晴らしい結婚式になった。


 そして、最後の退場。

 二人は、友人たちの声援を浴びながら暖かく送り出されていった。


 そんな光景を見ながら千夏は、式場のすみで、ふうと息をついたのだった。

 そんな千夏の横に慎がやってくる。


「これで本当に良かったのかな......」


 慎は不安そうにそう呟いた。


「なにが?」


「ユーリイはこれから戦争中の故郷に帰らなきゃいけない。あいつ、もしかすると従軍するかもしれないとまで言ってた。そんな状況にあるユーリイを、外野の俺らが焚きつけて、婚前結婚式という名目とはいえ、結婚式をあげさせて。本当に良かったのかな........」


「最後は二人が決めたことだよ。それに、戦争のせいで離れ離れになる二人が、今日という日に結婚式を挙げられたのは、きっと、聖ウァレンティヌスの思し召しだよ。だからきっと大丈夫」


「聖ウァレンティヌス?」


 慎はその名の意味が一瞬わからなかったが、しばらくしてから思い出した。


「あー......そっか......今日はバレンタインデーか......」




 西暦269年、時のローマ帝国皇帝は妻を故郷に残した兵士がいると戦地の士気が下がるという理由で兵士たちの婚姻を禁止した。

 キリスト教の司祭だったウァレンティヌスは、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行った。

 そんな彼の行為はやがて皇帝の怒りに触れ、ウァレンティヌスは最後には処刑されてしまう。

 彼の尊い行いを称え、彼の処刑された2月14日は“恋人たちの日”という神聖な祭日となった。

 後に日本ではバレンタインデーと呼ばれる日のことである。




 聖ウァレンティヌスの日 完



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