魔性の女

大河かつみ

 

(1)

 一家団欒の夕食中、会話が途切れたので、私はここがタイミングだと思い、なかなか言い出せずにいた事を家族に話し始めた。

「お父さんなぁ、今まで五十八年生きてきて未だに“魔性の女”に会ったことがないんだ。」

女房と高校生の娘が箸を止め、こちらを見た。

「何?”魔性の女“って。」娘が尋ねた。

「どんな男も虜にしてしまう魅力的な女性で、男に貢がせて、いい暮らしをする。そして大抵、男の方は財産を失って不幸になってしまい、結局は捨てられる。恐ろしい女性だよ。」

私は自分の知っている範囲で答えた。

女房が半笑いで

「イメージがなんだか古臭いわね。で何、会ってみたいわけ?」と言った。

「まあ。・・・」

「会ってどうするのよ?」

「お父さん、浮気するの?」娘がはしゃいだように言った。

「まさか。金も地位もない私なぞ相手にされるものか。ただ、見てみたいんだ。どういう人なのか。今まで学校でも会社でも出会った事がないから。・・・」

「ふーん。」娘はつまらなそうだった。

「そういえばアタシも今迄に、出会ったことないわね。“魔性の女”なんて。近所の奥さんの連中の中にもいないわよ。」

女房も不思議がった。

「本当にいるの?都市伝説じゃない?」

娘が呟いた。

「わからない。だから、お父さん、明日からいろんな場所を巡って“魔性の女”を捜すことに決めた。」

「ちょっと何を言っているの?仕事はどうするのよ。」女房が怪訝そうに言った。

「うん。しばらく休職する。実はもう部長には言ってあるんだ。」

「ええ?」二人が顔を見合わせて驚いた。無理もない。女房が尋ねる。

「それで部長さん、何て言ったの?」

「うん。“しっかりやれ。”って。」

「いいんだ。休んで。・・・」妻が呟いた。

その後、二人からいろいろ突っ込まれたが私の決意は固かった。


(2)

 翌日、私は早速、“魔性の女”が好きそうな餌を手に入れることにした。

 六本木のメイン通りに、イケメンの資産家が好みそうな株主優待券や高級クラブのチラシを大量にばらまいた。すると案の定、ワラワラとイケメンの資産家がわいてきたのでビルの屋上から投網を放った。

「フォッ?」

「オッ!アオッ?」

十人以上のイケメンの資産家が網にかかった。私は早速GPS機能を持ったバンドを彼らの腕に装着し一斉に放し飼いにした。彼らを餌に“魔性の女”を捕獲する作戦である。


 スマホの画面を開きGPSを追った。するとひとつのGPSが動きを止め点滅した。GPSが外された印だった。これは先ほど”サム“と名付けた茶髪の若いオスのものだ。私は急いでサムの元に急いだ。

 現場に行って私は絶句した。サムの姿は消えておりGPSだけが残っていた。(イケメン資産家にGPSバンドを外すだけの知恵はないはずだ。“魔性の女”に捕食されたに違いない。)私は嫌な予感がして再びスマホの画面を開いて見てみると、なんとほとんどのGPSが動かなくなり点滅しているではないか。

各地に行ってみるとどこもGPSだけがポツンと道端に置いてあった。戦慄が走る。残っていたのはたったの二人で、“マイムマイム”を一人で踊っているチャーリーとアルマジロの物真似に余念のないドリーだけだった。恐らく”魔性の女“もこの二人だけは見て見ぬふりをしたに違いない。


(2)

 チャーリーたち二人を放って置いて私は次の作戦に打って出た。テレビの湯けむり温泉宿で殺人事件の起きる二時間ドラマには必ず“魔性の女”が出ていたような記憶がある。

 私はとりあえず当てずっぽうで東武鉄道を使って栃木県のとある温泉街のある駅に向かった。“魔性の女”は主に北関東の山奥の温泉に多く生息していそうな気がしたのである。

駅に着くとタクシーを拾った。

「魔性の女がいる宿までお願いします。」

運転手は何も言わずにドアを閉め、走りだした。さすがはタクシーの運転手だ。やはり、その土地の事を地元のタクシー運転手は良く知っている。

 着いたところは崖の上の小さな古びた宿だった。この様なところに“魔性の女”がいるのだろうか?

 不思議に思ったが看板を見て合点がいった。

日帰りの混浴露天風呂があるのだった。(うん。混浴風呂なら”魔性の女“が男を物色するのにうってつけではないか。モチロン男の方も。)

 私は運転手に礼を言い料金の釣りはいらないと言った。二十円程度だったが私の謝意は通じたと思う。

 早速、私は露天風呂へ向かった。(嬉し恥ずかし混浴風呂♡)初めての体験に胸が高鳴った。

その混浴の露天風呂は宿から山道を五十メートル程、歩かないと着かない場所にあった。すぐ横を川が流れており、風呂から見る清流は絶景と呼べそうである。

ようやく脱衣場を見つけ、服を脱いで岩場に囲まれた大浴場に向かった。湯けむりが立ち込めており、よく前が見えない。

湯船に入ると奥に人影が多数見えた。恐る恐るそちらの方に行き尋ねた。

「あの、失礼ですが”魔性の女“でしょうか?」そう言いながらゆっくり顔を覗く。

“魔性の女”というより“魔女の婆さん”だった。

「ヒエッ!」思わず声が出た。

「よそ者じゃな。」婆さんがそう言うと周りの人影がこちらを向いた。十人以上いた。

どれも地元の爺さん、婆さん達だ。

「よそ者じゃ!」「よそ者が来とる!」

皆、一斉に騒ぎ始めたので私は怖くなって逃げだした。すると爺さん達が追っかけてくる。パニックになった私は追いつかれるのを恐れ、脱衣場には寄らず、着るものも着ずに逃げ出した。だが慣れぬ山道を裸足で走る為、どうしてもスピードが出ない。一方、爺さん、婆さん達は山猿の如く木から木へ飛び移りながら、どんどん私に近づいてきた。

「とぅりゃー!」

一人の爺さんが木の上から俺の背中に飛び乗って来た。その衝撃と体重になんとか耐えたが、爺さんの股間の感触が気持ち悪い。更に今度は私の正面に廻った婆さんが手にした砂を私の顔に投げかけてきた。

(こいつら、子泣きジジイに砂かけババアか!)

砂が目に入り、まともに走れなくなった私は(このままだと捕まる!)と思い、とっさに山道の横を流れている川に爺さんもろとも飛び込んだ。濁流に揉まれ流される。

「あー!」爺さんが背中から外れた。爺さんはなんとか大きな岩にしがみついたようだった。そして悔しそうにわめく爺さんの声が遠くなっていった。

なんとか追っ手を巻いたようだが、私は、疲れ果て、もはや泳ぐこともどこかにしがみつく事もできずに、流されるままになり次第に意識が遠のいていった。


 目を覚ました。河口のコンクリートで固められた河岸に流れ着いて横たわっていた。顔を上げると遠くの対岸から子供たちの歓声が上がった。

「たまちゃ~ん。」

どうやら迷って入り込んだアシカかアザラシと勘違いしているようだった。けっこうな人だかりである。なんとか立ち上がると悲鳴が起こった。

(あ、裸だったんだ。)慌てて股間を隠した。

「ここはどこですか!」私の問いに東京という返事が返って来た。

「帰りの電車賃浮いたな。」

こういうのを奇蹟と呼ぶのである。


(3)

 六本木に行くと相変わらずチャーリーは一人で”マイムマイム”を踊っていた。ただし、右回りから左回りに変わっていた。ドリーはダンゴムシの真似に余念がないようだった。彼は殻に閉じこもるタイプなのだ。

ことごとく“魔性の女”に出会う作戦に失敗していた私は途方にくれていた。そんな時、ふと電信柱を見た。“行方不明になっている猫を捜しています”という手書きのポスターが貼ってあった。(この手があったか!)

 早速「尋ね人 魔性の女 探しています。

当人または、お心当たりの方、ご一報ください。携帯電話番号●●●」というポスターを数枚、手書きで作製した。そして、至る所にベタベタ貼っていった。

ポスターを貼ってから二日経ち、何の連絡がないので、いささか焦れていた頃、私のスマホに着信音が鳴った。慌てて電話にでる。

「”魔性の女“の張り紙を見て連絡したのですが。」

残念ながら声の主は男だった。

「ありがとうございます。どなた様でしょう?」

「ワタクシ、魔性の女研究会の田辺と申します。」

何という事だろう!そのような研究会があったなんて。

「失礼ですが、アナタ、どうも勘違いをしていらっしゃる。」

「と言いますと?」

「魔性の女は自分をそうとは自覚はしておりません。だからアナタに名乗り出ることはないのです。」田辺と名乗る男の指摘にハッとした。更に田辺がボソボソと言う。

「アナタ今までに、例えばですよ、“今度うちの部署に配属となった魔性の女の●●君だ。”なんて上司が紹介して、その女性が“私、魔性の女の●●です。宜しくお願い致します。”なんて自己紹介するようなシュチュエーションにあった事ありますか?」

「いえ。ないです。」

「でしょう?それは本人も周りも自覚がなく、知らないからです。それに魔性の女というのはけして美人とも限らない。美魔女とは違うのですから。」

「・・・同じイメージでした。」

「でしょう?だから魔性の女に引っかかっている男の方だって、彼女を“魔性の女”なんて思っていない。・・・」

目からうろこが落ちたようだった。という事は・・・どういう事なのだ。私の知能では理解できない。ひょっとしたら知らぬ間にもう出会っている可能性だってあるというのか?女は自覚のないままに。そして私も気づかぬままに。私は困惑した。

「では、“魔性の女”とは、何なのです?本当にいるのでしょうか?」

「それはいます。間違いなくいます。」

田辺が力強く言った。

「では、どうやって見分ければいいのでしょう?」私はすがるような思いで尋ねた。

「いい質問です。外見ではなかなか見分けられませんが“魔性の女”の定義として私達の研究会の見解はただひとつ。あらゆる男を魅了し狂わせるもの、それは。・・・」

「それは?」

「床上手です。」

「トコジョーズ?・・・」


なんだ。“魔性の女”とはサメの一種だったのか。どうりで今まで出会えなかったはずだ。私は普段、海釣りもしないし、海水浴にも行かない。

しかし乗りかかった船だ。さっそく沖へ出よう。私は話し続ける田辺を無視し電話を切った。そしてマリンスポーツの店に向かった。アクアラングや水中銃を買いに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔性の女 大河かつみ @ohk0165

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ