星の王子さまミュージアム
このエッセイは、子供の長期休みとか創作意欲が減衰している時に書くことにしていて、今はどちらでもないのだけれど、個人的にタイムリーな話題なので書くことにした。
ちなみに、『星の王子さま』の物語に関する話題ではないことを、先にお伝えしておく。これは私が「星の王子さまミュージアム」から持ち帰った「種」の話だ。
サン=テグジュペリ作の『星の王子さま』という、世界的に有名な小説を読んだことがある方は、どれだけいらっしゃるだろうか。
私はない。読もうと思ったことはあるけれど、その時は気分が合致しなかったらしく、なんだか説教くさく感じて、パラパラ捲っただけで終わってしまった。
ウワバミに呑み込まれた象のくだりとか、狐の話とか、薔薇の話は知っているけれど、本腰を入れてきちんと読んだことはありませんよ、という人間。
かつて神奈川県の箱根町に、この『星の王子さま』をテーマにしたミュージアムがあった。
かつて、ということは、今はもうないのだ。調べてみると、2023年の3月で閉園していた。コロナ禍で来客数が減り、建物が老朽化していたこともあって、そういう選択になったらしい。
きちんと『星の王子さま』を読んだこともない私だが、なぜかそのミュージアムには行ったことがある。友人と箱根旅行をした際に立ち寄ったのだ。
著者サン=テグジュペリの出身地である南フランスの風景を再現した、可愛らしい建物やガーデンが立ち並ぶ、童話的な雰囲気に満ちた素敵な場所だった。
(当時の写真を近況ノートに載せました。
①南フランスを再現したミュージアムの外風景https://kakuyomu.jp/users/kanekoyomi/news/16818093073181637898
②ミュージアムのレストランhttps://kakuyomu.jp/users/kanekoyomi/news/16818093073181709155)
たいして物語の内容を知らなくても、展示内容に沿って進んでいけば、概要が掴めるのがありがたかった。『星の王子さま』だけでなく、他の作品の紹介もあり、著者の生涯を詳細に辿れる構成になっていて、ただその場にいるだけでワクワクできるファンタジックな空間に、気持ちは自然と高揚させられた。
サン=テグジュペリをあまり知らない方のために、Wikipediaを参照して少し説明しておくと、彼は作家であると同時に、飛行機乗りだった。
郵便輸送のパイロットをしており、その経験を元に『夜間飛行』などの作品を発表している。『星の王子さま』にも、サハラ砂漠に不時着した時の体験が反映されているそうだ。
第二次世界大戦で招集され、やがて偵察部隊に配属され、アメリカへ亡命するなど紆余曲折を経て、最終的には自由フランス空軍のパイロットに。
偵察のために単機で出撃後、消息不明となり、後に海から彼の機体とブレスレットが見つかって、戦死が確定される。
こういうことも、ミュージアムへ行くまで私は、ちっとも知らなかった。
元からファンでもない人間が言うのも白々しいかもしれないが、ミュージアムは素晴らしいところだった。作品世界や著者の想いを大切にし、丹念に細部まで気を配っているのがわかる。安心して雰囲気に酔わせてくれる、こういうテーマパークがあると知れただけでも、来たかいがあったというものだ。
そうやって私は、楽しみながらも一歩離れた気持ちでいたのだが、最後の最後で、ガツンと魂を持っていかれるような衝撃に出会った。
サン=テグジュペリの生涯を辿るような構成で作られた順路の終盤。
つまり、彼の死が訪れる部屋に、その文章はあった。
細部を覚えていないので、正確な文言は違うかもしれない。
そこには、こういう意味のことが書かれていた。
「サン=テグジュペリは偵察任務中、消息不明になった。
後に、ドイツ人パイロットが、自分が撃墜したことを証言した。
彼はサン=テグジュペリのファンだった。」
それを見た瞬間、うわあああ! と全身が総毛立ったのを覚えている。
十分だ、と思ったのだ。
戦争の愚かさを表すのに、この短い文章があれば、十分だ。
誤解されないように言い添えておくと、もちろん現実的には、十分ではない。
もっと細かく具体的に記録し、後世に伝えるべき悲惨な状況は、枚挙にいとまがないほどある。
私が想起していたのは、文学的表現の話だということを、ご理解願いたい。
天井から垂れ下がる薄いスクリーンに印刷されていたその文章は、透明なガラスの棘のように、深く私の胸に刺さった。
抜いてはならない。こんな衝撃に出会うことは、大人になってからは稀だ。
こんなに短い文章で、静かに、愚かで悲惨なことを言い表せる。
言葉を尽くすより心に刺さるということを、覚えておかなくてはならない。
この出会いはいつかきっと、創作に生かさなくては。
そう思って、大事に自宅へ持ち帰った。
たぶん、私がサン=テグジュペリのことをよく知っていたら、ここまでの衝撃を受けることはなかっただろう。
まるで無防備な状態で、ただ箱根に来たから立ち寄った、それだけの気軽な心持でいたからこそ、この上ない不意打ちが効いたのだ。
人生、どこにどんな出会いや感動が転がっているかわからない。
機会があればなんでもやってみることにしている理由の一つが、そこにある。
刺さったまま一緒に帰宅したガラスの棘は、年月と共にやがて溶け、まあるく固まり、まるで種のような状態になった
物語の種だ。いずれここから、何か生み出すんだ。
そう思ったきり、結婚して子供が生まれ、十年以上が経った。
ミュージアムでお土産に購入した携帯電話のストラップは、ボロボロになって紐が切れ、数年前にとっくに使えなくなった。
物語の種は消えなかった。いつかきっと、何か生み出すんだ。
ついに機会がやってきた。材料と合致するテーマが見えた。今がチャンスじゃないか。そう思った私は、そっとガラスの種を取り出して、ひと撫でしてみた。
少し光った。何か書けそうだ。
そうやって書き上げたのが、直近に公開したKAC20241参加作の『エレメンタル・ワーカーズ』です。
え、あれ?
そう、あれ。
自分の好きな世界を生み出してくれた人が戦争で失われる理不尽な話。
その痛みや悲しみを十全に書き表せたとは言えないけれど、とにかく一つ書くことができた。少し前進できた。
あの時の自分との約束を少し果たせたかなと、ちょっと肩が軽くなって、記念にこのエッセイを書くことにしたのです。
べつにファンではなかったのに、サン=テグジュペリは今や私にとって、忘れられない存在になってしまった。
世の中には、そういう不思議なことも起こり得るのだ。
このエッセイを書くにあたり調べてみると、ドイツ人パイロットが「私が撃墜した」と公に証言したのは、2008年のこと。
あのミュージアムに私が行ったのは、2011年だった。
ミュージアム自体の開業は1999年だから、つまり例の文章は、後から付け足されたもの。テーマパークなんて軽いものではなくて、そういう努力をする確かな資料館だったのだと、今になって理解した。
「星の王子さまミュージアム」はもうないけれど、あの場所へ行った大勢の人が、それぞれの感じ方で、たくさんのものを受け取ってきたに違いないと感じる。
その一人一人が、受け取ったものを何かの形に変えて、別の誰かの心を動かす。
そんな連鎖の一端を、私も担えるといい。
――かんじんなことは 目に見えないんだよ。
有名な一節が、時を越えて今さら胸を叩く。
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