36.「いこう」
「……いや」
れいちゃんが小さく呟いた。
……そこからは一瞬の出来事だった。
「っ……ああああああああぁぁぁっ!!!」
凛が叫んで小さなナイフを男の片足に刺す。
「ったぁああっ!凛っ!!」
「しき!れいを連れて逃げて!」
「っ……おい、あんた……」
「早く!!今しか逃げられない!」
「……ごめん、……ありがとう、凛」
僕は頭で何が何だか理解するより先に、ここで逃げなきゃいけないって思いが勝って、辛うじて財布が入ったバッグを手に取れてれいちゃんと一緒に玄関へ走った。
「お前らは子供だ!どこにも逃げられない!」
男の言葉に振り返りもせず、僕達は手を繋いで玄関から飛び出した。
れいちゃんは手を引かれるだけじゃなくて、ちゃんと自分の意思で走っているように見えた。
……でも、やっぱり逃げ出すのが怖いのか手は震えていた。
「れいちゃん行こう、僕が守るから」
「……うん、」
僕達はそのまま走って駅まで向かった。
着いた頃にはどっちも息切れで、走った所を見たことも無いれいちゃんに至っては、死にそうなくらい息が荒かった。
「ごめん、走らせて。……ちょっと座ろう」
僕達はとりあえず駅前の漫画喫茶に身を寄せた。
足を怪我しながらではすぐにはここまで追ってこれないだろうけど、死んでは居ないんだから、いずれ見つかってしまう。
……だから、僕達は逃げなきゃいけないんだ。
「れいちゃん、何がいい?」
「何でも……」
「……選んで、れいちゃん」
「じゃあ、ミルクのコーヒー……」
「分かった」
僕はれいちゃんに言われたものを持ってくる。
「れいちゃんはこれから誰のものでも無いんだから、自分で選ばなきゃ」
「……じゃあ、しきのモノにしてよ」
「ダメ。……これからは、誰のモノにもなっちゃダメ。……繰り返しちゃ、ダメ……」
僕が必死に言うと、れいちゃんは、
「……分かった」
と、ちゃんと答えてくれた。
僕はれいちゃんの前に頼まれたドリンクを置く。
僕は、……れいちゃんに好かれることばかりを考えて、れいちゃんの事を知ろうとしてなかった。
知ろうとしなきゃ、ずっと分からないままの事だってあるんだ。
「れいちゃん」
「……なに?」
「聞きたいことがあるんだ」
それから僕達は、ちゃんと面と向かって話し合った。
れいちゃんには兄がいて、僕には弟が居ること。
れいちゃんは甘いものがそんなに好きじゃなくて、僕は甘いものが好きだけど大人ぶってたこと。
れいちゃんには過干渉な家族があって、僕には無関心な家族があること。
……でもそれぞれ、兄弟だけは自分の幸せを願ってくれていたこと。
たくさん、思いつく限り僕達は話した。
れいちゃんがこんなに話すのを見たことが無いくらい話した。
「あっ、れいちゃん、そういえば……どうして転校して来たの?」
「……同じクラスの人を、殴ったから」
「どうして殴ったの?」
「……覚えてないけど、嫌な事あったから」
「そっか」
誤魔化してる訳じゃないのは分かった。
ちゃんと真面目に話してくれてる。
だからこそ、言いたかった。
「殴っちゃ……ダメだよ」
「……うん。みんな言うから、分かってるよ」
「殴っちゃうの?」
「うん、」
「……そっか」
そうだ。
れいちゃんは分かってるんだ。
でも、それが我慢出来ないだけで。
「薬……あの薬は?」
「……わかんないけど、りくがたくさん買ってくるのを飲んでる」
「じゃあ、医者に診て貰ったことは?」
「無い……かもしれない」
「……障害があるってのは?」
「え……っと、多分……りくが言っただけ」
「……なるほどね」
確かに、れいちゃんは何かしら不自由はあると思う。
けど、ちゃんと調べもせず言っちゃダメだ。
過干渉なクセに、れいちゃんの事をちゃんと見てくれる人は居なかったんだ。
「……」
『お前らは子供だ!』
でも、やっぱりあいつの言う通り、僕達は子供で、……子供だけじゃ何も出来ない。
じゃあ……。
「れいちゃん、大人になるまで、うんと遠くで……2人で隠れて暮らそうか。」
「……うん」
僕は狭い空間で、れいちゃんに寄りかかる。
れいちゃんは僕の頭に頭を軽く乗せて、2人、目を瞑った。
****
「あっ」
漫画喫茶から出ようとした支払いの段階で、僕は小さく声を上げる。
……銀行のカードを忘れた。あの家に。
「どうしたの?」
「……何でもない。行こう」
財布にあるのは数万円だった。
これで2人、数年生きるのは無理だ。
バイトでもしない限り……。
「……れいちゃん」
「なに?」
「行き先を変えよう。……南の方に。」
「南?」
漠然としすぎている。
でも、この人生はもうレールなんて無くて、行き当たりばったりなんだ。
……まだここらは寒い。暖かい所……南の方へ行かなきゃ。
ボロ家でも、最悪野宿でも暮らせるような。
そんな場所へ。
「……行こう、」
僕達は進むしか無いんだ。
大人になるまで。
……2人で手を繋いで、ずっと離れないように、この人混みの中を進む。
れいちゃんの手は相変わらず冷たくて、でもこの手を繋いでいられれば、僕は僕で居られると思った。
ずっと、自分のままで……。
******
僕達が着いたのは、小さな港町だった。
電車に揺られてる時、この町の海に沈んだ夕日が綺麗だと思ったから、れいちゃんとこの町にしようって決めた。
「あ、ありがとうございます……!」
僕達の事情も聞かず、その町の人々は僕らを迎えてくれた。
しかも、地元の小さな魚市場で働くなら、すぐ住める所も用意してくれると言う。
「良かったね、れいちゃん」
「うん」
「あれ、べっぴんさんもこんにちはぁ」
「?うん……」
れいちゃんは人見知りでは無いけど口下手だから馴染むのには時間がかかりそうだったけど、ひとまず住む所と仕事が確保出来て安心する。
「家はこっちだよ」
気のいいおばさんに連れられて着いたのは、普通の民家だった。
「ここ……ですか?」
「ん、瀬戸さんが屋根裏部屋を貸してくれるって。お礼言うんだよ?」
「……はい。ありがとうございます」
「はは、男の子の方はげんきだねぇ。……えーっと、2人は親子……や、姉弟かな?」
「あっ、えっと……はい」
「えっ」
「れいちゃんはお姉ちゃん……です」
「しきは弟……」
れいちゃんは少し困惑していたけれど、僕の嘘に乗っかってくれた。
ここで友達とか答えていたら、男女だし気を使って部屋を分けられたり会えるのが少なくなったりしかねない。
だから、一応……だ。
「あの、服とか食べ物を買いたいんですけど、お店は……」
「ん?あぁ、服屋なら遠いし、ここらでお下がり貰ってきな。……少し行けばお店もあるけど、食事くらいなら瀬戸さん家で食べれば良いよ」
「えっ……」
住が揃って、次は衣食をどうにかしようと聞くと、そんな自由な事を言われる。
「とりあえず服は今日は瀬戸さんの借りな。……あしたから弟くんとお姉ちゃんはいっぱい働くんだから、ちゃんと食べて寝るんだよ」
一瞬「はい」と言いかけて、ある違和感に気づく。
「れいちゃんもですか?」
「ん?」
「えっと……れいちゃんも働くんですか?」
「あぁ、大丈夫。働くって言っても男共にご飯作ったり洗濯したりよ。……お姉ちゃんなんだから、弟に任せっきりもダメだからねぇ」
一応ちらっとれいちゃんの方を見ると、困ったように顔を歪ませていた。
「あ、あの、れいちゃん働けなくて……」
「どうして?どこか病気?」
「いや、えっと……」
「大丈夫大丈夫。バーってやってサーってするだけだから。ね?」
「ぁ……」
「じゃあ夕飯の時間に降りるんだよ?あたしはこれでね。」
「れ……あっ、ありがとうございます……」
れいちゃんは案の定、顔を青くしてとても出来そうに無かった。
「れいちゃん……」
そっか、ここで暮らすには、れいちゃんも……ちゃんと働かなきゃいけないんだ。
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