35.「いや」

ガチャッ…


玄関の鍵の開く音。

どうして?だって、そんなハズは……。


「居留守?……それとも本当にもぬけの殻なのかな?」


考えてる暇なんか無かった。

扉を開けた人物は、予想通りで、一番ここに居ちゃ嫌な、……居ちゃダメな人だった。


「ま、居ない訳ないよね」

「っ……」

「だって、……君たち子供が行ける所なんて、他に無いんだから」


男はつかつかと歩いてきて、凛を追い越し、僕の目の前まで来た。


僕より高いその背は、今まで見上げてきたどの背より高く感じて、見た目に合わない威圧感にクラっとする。

……そして、その目は僕の方を見ていなかった。


「あっ……!」


気づいた時にはもう遅い。

男は僕を追い越し、目線の先に居た……れいちゃんの所に居た。


「っ……離れろっ!」

「あはは、怖いなぁ」


男はベッドに座っているれいちゃんの隣に座ってれいちゃんの頭を撫でる。


「っ……!」


僕は今すぐにもその男をどかしたかったけど、そんな事が出来るような大層な理由も無くて、その場に固まるしか出来なかった。


「凛ー!お前も来なよ」

「っ……うん…」


男が現れてから、僕だけでなく、れいちゃんも凛も明らかにぎこちなくなっている。

その重苦しい空気の中、一人だけ、嘘くさい軽い笑みで男は話す。


「れい、ここで暮らすの楽しい?」

「……べ、別に」

「楽しそうだね」

「あっ……違う…」

「……良いんだよ?別に、楽しくても」

「……」


れいちゃんはあの母親と居る時より居心地の悪そうに、ぎこちなく話す。


「……あはは、久しぶりの大人だから緊張してる?……そうだ、面白い話をしてあげるよ」

「……」

「一人で暮らせないダメな大人が一人、両親の厄介になってるよ」

「……!」


男の言葉に、凛だけが明らかに動揺するように反応した。

れいちゃんはそのままきょとんとしている。

僕は、……この流れで『一人で暮らせない大人』と言ったら、れいちゃんの母親が思い付いたけど、両親の厄介になってるって……どういう意味だろう。


「れい、分からない?」

「えっ……わ、分かる」

「……嘘はダメだよね、れい?」

「う、嘘じゃ、ない……」


僕にさえもバレバレの嘘だったけど、あのれいちゃんが嘘を突き通さないといけないくらいになるのかと思うとゾッとした。


「……れい」


すると、男はれいちゃんの名前を呼んでから、右手を高く上げ、勢い良く振り下ろした。


「父さん!!」


凛の悲鳴のような叫び声が聞こえる。

男の手は……れいちゃんに当たっていなかった。

その手は、すんでのところで止められていたから。


「っ……ぁ……」

「あはは、冗談だよ。俺があの女みたいに子供に暴力を振るう訳無いでしょ?」

「……」

「……ね。凛もれいも、俺に暴力振るわれた時なんてある?」

「……無いよ」

「ない……」


れいちゃんは怯えるように、凛は言いたい事を必死で抑えるようにして答える。


いや、これは脅しだろ……。


本当に殴らなければ良い?

そんな訳……あってたまるか。


「ほらね。しきくんも安心して?」

「出来ない……出来る訳無い……」

「……へぇ。何でかな?」

「だって、れいちゃんを見て……何も思わないのか?あんたは……」

「あはは、しきくんは俺が敵に見えてるのかな?」

「っ……当たり前でしょ……」


僕の言葉に、男はニヤッと笑う。

僕はその笑顔に嫌な予感がして堪らなかった。


「……じゃあそれでも良いよ。でも、れいは俺の味方だと思うよ?」

「は……?!」

「じゃあ聞いてみよっか、れいはどっちの味方?」

「れいちゃん!従わなくていい!僕が守るから……!」

「り、りく……りくの味方……」


れいちゃんは慌ててそう答えた。

まるで僕の言葉は都合が悪くて、それをわざと遮るように。


「……で、しきくん。れいは何で俺の味方かわかる?」

「……言わせてるから」

「あぁ、そう?悲しいな、君にはそー見えるんだ。」

「は?違うってなら何だって……」

「しき!」


凛に大声で遮られる。

凛まであの男の味方なんだろうかと睨みつけると、凛は僕の方じゃなくて、怯えた顔で男の方を見ていた。


男の方を見ると一瞬だけ凛を冷たい目で見下ろしているのが見えたが、直ぐに僕の方を向いて笑った。


「それは、れいが俺の事を好きだからだよ」


まるで真逆の答えに、「は?」としか言えなくなってしまう。

困惑する僕に、男は「だってそうでしょ?」と続ける。


「君だって、れいが好きだから、れいの『モノ』になって、何をされても嬉しいんでしょ?」

「は……?何が一緒だって言うんだよ!」

「だってれいは、俺の『モノ』だから」


認めたくないその言葉に、僕は絶句する。


僕が好きなれいちゃんは、他の、……僕の嫌いな奴のモノだったなんて、そんなの……。


「れいちゃん……?」


れいちゃんを見る僕の顔はどんな顔だったんだろうな。

れいちゃんは僕の方を見て、小さく目を見開いてから顔を悲しく歪ませて、


「……そうだよ」


と、誰に言う訳でも無く呟いた。


でもそれは、到底好きな人を好きだと言う時の顔じゃない。


そんなの……到底認められない。


「……しきくん、納得してないみたいだね」

「……」

「れい、今何歳になるんだっけ?」

「……えっと、10…」

「凛?」

「えっ、……っと、れいは16だよ」

「へぇ。もう16かぁー」


僕が喋れなくなってる間、れいちゃん達は話し続ける。


「……れい」

「な、なに……」

「さっきのだけど、一人で生きられない大人は花子……君の母親なんだ」

「……?」

「だからね。良い?れい」

「う、うん」

「『俺に捨てられた花子』は、れいにも捨てられてしまって、俺が救ってやる前居た地獄……両親の所でしか生きられなくなった」

「あっ……」

「れいも俺に捨てられたら、同じようになるよ」

「えっ……あっ……ぅ……」

「父さん!」


僕が喋れないので誰もれいちゃんを追い詰める言葉を止められなくて、ついに耐えきれなくなったと言うように凛が声を上げた。


「凛、お前だってそうだ」

「えっ……」

「お前はれいの『モノ』になったんでしょ?それは何でだった?」

「……れいが……妹が大切だったから」

「そうじゃない」

「えっ……」


否定されて、凛は困惑したように声を出す。

男は笑って凛に詰め寄り、肩に手を置いた。


「妹の幸せを願えないなら、お前は捨てられるモノだね」

「ね……願ってる!……っ……誰よりも……」

「……じゃあ、認めなよ」

「何を……」


男は立ち上がって、ベッドに座るれいちゃんの肩を勢いよく押して寝転ばせる。


「……!父さんっ!」

「れいはあいつと同じ!好きな人に犯されたいドMの淫乱女だ!」

「は……?!」

「ほられい!言ってみろ!……りくとシたいですって」

「……り…」

「れい!!」

「……くと…」

「辞めろ!!!」


僕はやっと立ち上がってれいちゃんに駆け寄った。


「ごめん、ごめんれいちゃん……」

「……りくと…」

「れいちゃん!」

僕はまだ言おうとするれいちゃんを、……あの時れいちゃんがしてくれたみたいにきつく抱きしめる。


「れいちゃん……お願い、本当のことを言って……。自分の言葉で、……いやって言ったら、僕、助けるから、……お願い」

「れい!……お前、捨てられるのは怖いよな。花子のようになったら、お前も不幸になる。……お前を救ってやれるのは、俺だけだ」

「ぁっ……っ……」


れいちゃんは混乱したように言葉にならない声を出し続ける。

男は暴力を振るうことは出来ないから、れいちゃんを強く抱きしめる僕の事を引き剥がせないでいる。


「……ごめんね、れいちゃん。大好きだよ。……あいつの事、イヤって言って。……そしたら僕、れいちゃんの事、どんな事しても助けるから……お願い」


僕の言葉に、れいちゃんがピクっと動いた感じがした。

男はずっと大声で自分に捨てられるとどうなるか言い続けている。


「……れいちゃん」


僕の声に、れいちゃんはやっと、絞り出すように、


「……いや」


と言った。

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